平和経 第346話

神様のみ旨と共に生きる人生か

このような観点から見るとき、私たちの人生は、神様を中心として一日の生活圏内で、あるいは一時間圏内で、どのようにみ旨と関係を結んで生きるのかということが、重要な問題にならざるを得ません。み旨が成就されてみ旨の国が訪れることを願う前に、自分自身がみ旨とどれくらい一致して生きているかがより重要だということです。

復帰摂理歴史を見れば、アダムの家庭からノアの家庭、アブラハムの家庭、モーセの家庭、イエス様の時まで四千年の歴史が流れてきましたが、彼らが失敗するようになったのは、十年あるいは数十年の期間をおいて失敗したのではないことを知ることができます。彼らの失敗は一瞬の間に起きたのであり、その一瞬の失敗が数千年を経てきながら、彼らをして蕩減の道を歩ませ、数多くの民族と国家が滅亡の窮地に陥っていくようになったという事実を私たちは知っています。

このような事実を見るとき、私たちの人生の一瞬一瞬がどれほど恐ろしく、途方もない瞬間かということを知らなければなりません。永遠の天国も、一瞬を離れては存在できません。永遠の出発は、私が死んで始まるのではなく、私が天のみ旨を知ったその瞬間から始まるのです。ほんの一瞬でも、飛躍があったり、穴が開いたりすれば、永遠性は消滅してしまうのです。

したがって信仰者は、永遠を夢見ながら進んでいくのも重要ですが、それよりも重要なことは、現実生活でどのように悪を清算し、善を実践するかというところにあります。言い換えれば、今日の信仰者が恐れるべきことは、「終わりの日」に訪れてくる審判ではなく、一日一日の生活圏内に訪れてくる時間と瞬間を、どのように天のみ旨と一致させて生きるのか、すなわちどのようにみ旨と交差する道をつくっていくのかというところにあるのです。

今日私たちが生きている家庭、社会、国家、世界は、すべて私のみ旨に符合する環境を提供できていないので、私たちは、あらゆる苦真の中で善悪の分岐点を行き来しながら苦しんでいます。一日の生活をすべて勝利するためにも、周囲の環境との闘争を甘受しなければなりません。

一日の日課だけを見ても、朝に計画したことを、自信をもって一〇〇パーセントやり遂げることができないときが多いことを経験します。さらに、その環境の範囲が大きければ大きいほど、自分の一日の生活を勝利として結実させるためには、その範囲の大きさに比例して、より大きな決意と推進力をもたなければなりません。そのような一日一日が積み重なって一ヵ月になり、一年になり、ついには私たちの一生になるのです。

本郷を訪ねていくべき人生行路

皆様。今日この地に生きている人々は、時間の制約から抜け出すことができません。人類歴史を見ても同じことです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界も、同じ時間圏内で動いています。人が生きていくところには、必ず達成しなければならない目的があります。その目的を中心として、十年、二十年、あるいは一生を走っていくのです。目的が大きければ大きいほど、内的な覚悟と決心が大きくなければなりません。時間という過程を通して、その目的を凌駕できる内的な決意を確固たるものにしない限り、その目的を成し遂げることはできないのです。

皆様は霊界のことが分かりませんが、レバレンド•ムーンは神様の特別な恩寵圏にいるために、この未知の世界についてはっきりと知っています。その世界の根本をのぞいて見ると原則は簡単であることが分かりました。そこは、神様の天理原則に従って「ために生きる人生」を生きた人たちは、自動的に天国に入るようになっていますが、利己的で自分だけを中心に生きた人たちは、地獄行きを免れることができない世界です。

ここで言う天国とは、神様が太初に願われた創造理想を完成した平和王国のことをいいます。そこが正に私たち人間が訪ねていかなければならない本郷です。今日の私たちは、堕落によって本郷から追放された私たちの先祖アダムとエバの後裔なので、本郷の地に向かって再び戻っていく運命に置かれていることを知らなければなりません。

しかし、その故郷は、人間の力だけでは帰ることができません。神様が、歴史過程を通して堕落人間が帰る道を設定してくださってこそ可能なのです。それで神様は、歴史を通じて、それぞれその民族の文化と伝統に応じて異なる宗教を立てて人類を収拾してこられたのです。宗教は、人間が本郷に帰る資格をもつ存在になれるよう錬磨させる訓練所にすぎません。東西、四方の文化背景によって、より高い次元に前進できる一つの統一された宗教世界に導いていく過程的路程なのです。

そのような本郷の所に導かなければならない使命があるので、宗教は利他的な人生を教えてきたのです。真の愛の真髄である「ために生きる人生」を実践するために、人間は柔和、謙遜を最優先に実践してきました。多くの人を敬い、全体のために生きる位置に立ちなさいということです。犠牲になって奉仕しなさいということです。

人生の究極的目的は何でしょうか。神様の愛を占領することが人生の行くべき最高の終着点です。男性も女性も、すべての人が行くべき道です。十回、百回死の峠を経て、死んでも行くべき道が、神様を求めていく人生行路だというのです。

人間の欲望の終わりはどこでしょうか。神様の愛を占領することだと言いました。しかし、神様を占領したとしても、神様の内的核である真の愛を占領できなければ、神様は自分の神様ではありません。ところが、神様の真の愛さえ占領すれば、神様はいらっしゃらなくてもよいというのです。神様のものが私のものであり、私のものが神様のものになるとき、初めて内外が一つになるのです。

そのような愛で満ちた所が理想天国だというのです。そのような位置に上がるようになれば、天下のすべての存在物で美しく見えないものはなく、自分自身のためでないものはないのです。

皆様。人類先祖の堕落によって、人間は誰彼を問わずサタンの偽りの愛を受け、偽りの父母であるサタンを父母として生まれました。皆様の父と母を通して、皆様にもサタンの血統はそのまま伝授されたのです。これが今日の皆様の姿です。

出発から偽りの父母に拉致されて間違ったので、再び原点に返って真の父母の血統によって再出発しなければなりません。私たちの人生はこのように深刻です。

皆様は、神様の愛、神様の生命、神様の血統を相続しなければなりません。祝福結婚を通してこそ、これが可能なのです。祝福結婚式は統一教会の宗教儀式ではないというのです。この式を通して、サタンの毒針を打たれて死んでいた皆様を、解毒して回生させる役事をするのです。

神様が人間を創造した目的

神様は、なぜ人間を創造されたのでしょうか。第一に、無形でいらっしゃる神様は、実体をもった人間の父母になられるために実体の人間を創造されたのです。実体がなければ、実体世界の中心の位置に立つことはできないからです。言い換えれば、神様は形態が必要だったのです。父母としての姿が必要だったということです。アダムとエバを通して、人類の実体の父母の役割をしなければならなかったのです。

第二に、無形に存在する神様御自身は、完成した子女を生産できません。縦的垂直線は一点に留まります。霊的な無形の世界では繁殖がないのです。垂直次元からそれを横的に展開して三六〇度を形成し、球形を形成してはじめて空間ができ、繁殖が可能になるのです。

したがって神様は、天国市民を生産する生産工場が必要だったのであり、その結果、横的なこの地上界を創造されるに至ったのです。男性と女性が出会って夫婦になれば、彼らは授受作用を通して球形を形成し、天国市民の生産工場になります。

御自身が理想とされた理想天国をいっぱいに満たして余りある天国人を、大量生産したいと思う神様であられたのです。結婚した夫婦は、子女を最大限にたくさん生んで育てなければならない理由が、正にここにあるのです。

第三に、愛の相対圏の永遠性を維持するためでした。このように神様は、御自身の愛の相対圏を永続的に保全しようと考えて人間を創造されたのです。

皆様。アダムとエバは、神様を「お父様」と呼びます。だとすれば、彼らの子女は神様を「おじい様」と呼ばなければならないのでしょうか。「お父様」と呼ぶのです。神様の愛を横的に広げて、繁殖させて生産されるその相対は、時間と空間を超越して、誰彼を問わず平等な価値をもつようになるのです。すなわち、完成した愛の価値は平等だという意味です。

神様の創造過程を調べれば、神様は万物を先に創造された基台の上に、最終的に人間を造られました。神様を中心としてすべてのものが始まりました。人間の創造を終えることによって、神様と人間、そして万物が平衡の取れた立場で統一するのを願われたのです。上には神様をはじめとして霊界があり、下では肉界を代表した万物を治める立場が人間の位置です。人間は、このように霊界と肉界を接続させる媒介体の使命をもっています。

今日私たちが生きている被造世界を見てください。そこには二種類の軸があります。それは見える軸と見えない軸のことをいいます。地球が太陽の周囲を公転しながらも、自転を継続するのと同じように、一つの主体を中心として回っている対象も自転しているのです。心と体の関係を考えてみれば、たやすく理解することができます。体が心の命令に従って動く公転をしながら、体自体も、自ら存在して作用するための自転運動をしているのです。すべての存在物は、このような原則によって存在します。同じように、今日の堕落人間を救う復帰の道においても、この原則は例外なく適用されるのです。

人間には心と体があり、心の上には霊があり、霊の上には神様がいらっしゃいます。したがって人間は、神様と完全に一つになってこそ、完全な人になるのです。

このように完全な人は、たとえ小さな個体の姿でも、全体の歴史を代表した存在であり、また未来のすべての関係を代表した存在なので、天宙的な価値を備えています。このような天宙的な価値を知れば、私たちは、生涯を生きていきながら、心を前に迎えてついていく生活をしなければなりません。これが天道です。心の命令、すなわち良心の命令に逆らう人は、天が放っておかない時が来ました。

Luke Higuchi