自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第35話

言論は時代を照らす灯火にならなければなりません


新聞に掲載される言葉は、良い意味よりも悪い意味を持つもののほうが多くあります。「迫害」やr弾圧jも、新聞によく登場する否定的な単語の一つです。過去に比べて、世界の多くの国で民主主義が根を下ろし、暮らしが良くなったのは明らかですが、今この時間もなお、政治的な迫害を受け、宗教が違うという理由で追い立てられている人々が大勢います。

一九七〇年代は、様々な対立や葛藤、混沌に拍車がかかった時代です。特に一九七五年は、世界的に暗鬱なムードが影を落とした時期でした。人々は言い知れない恐怖に襲われ、尽きぬ心配をお互.いに吐露しました。

「ベトナムがもうすぐ共産化されるそうだ」

「日本は共産党が堂々と活動している国だから、左翼がさらに勢いづきそうだね」

自由陣営の国々が心を一つにして戦っていましたが、ベトナムが共産化される日はじわじわと迫ってきていました。韓半島の北で生まれた私は、共産主義の残忍さと戦争の悲劇を直接体験したので、共産主_政権が立てば大虐殺が起こるであろうことは、よく分かりました。そうなれば、さらにその隣国にも共産主義が侵食していき、ドミノ倒しのように順番に崩されていくことは明らかでした。特に、既に共産党が合法となっている日本で共産主義が勢力を伸ばせば、アジアはもちろん、世界が塗炭の苦しみを味わう可能性がかなりの確率であったのです。

一九七〇年代、日本では統一教会の信徒が段々と増えてきていましたが、左翼勢力もまた猛威を振るい、全く予断を許さない状況でした。在日同胞も、在日大韓民国民団と在日朝鮮人総聯合会に分かれて激しく対立し、憎み合っていました。私たち夫婦はその様子を見ながら、日本を共産主義から守るため、新しい.新聞を作ることにしたのです。

「世界日報」は一九七五年一月、多くの人々の期待を受け、東京で創刊されました。日本で新聞社を支えていくのは、簡単なことではありません。左翼団体からは事あるごとに攻撃されました。しかし、そうなればなるほど、「世界日報」は善良な市民や愛国的団体から大きな支持を受け、国を憂う日本国民に愛される新聞となりました。草創期の困難な時代から今に至るまで、「世界日報」は恐れることなく'真実のみを報道してきました。その姿勢が、日本を共産主義から守り抜く一助となったのです。

世界の歴史を動かしたもう一つの新聞は、アメリカで創刊した「ワシントン•タイム、ス」です。

一九八一年の初め、ある人が私たち夫婦に話してくれました。

「そうレえは『ワシントン.スター』か看板を下ろすそうですょ」

その知らせを聞いて、誰もが驚かずにはいられませんでした。アメリカの首都、ワシントンDCには長い歴史を持つ二つの新聞がありました。一つは「ワシントン.スター」、もう一つ力「ワシントン•ホスト」です。ところか、百三十年近く続いてきた「ワシントン•スタ^―」が財政難により、廃刊を決めたというのです。


ワシントンには、信仰と_由、家庭の大切さを訴えて守っていく新たな新聞が必要でした。私たちが「ワシントン•スター」に代わる新しい新聞を作ると言うと、激しい反対に遭いました。周りの人々は、アメリカの首都で新聞を創刊するのがどれほど困難なことかを、一つ一つ聞かせてくれました。しかし、それまで私たちがしてきたことの中で、簡単なことなど一つもありませんでした。

一九八二年五月十七日、人々の心配をよそに、歴史に語り継がれる新聞となる「ワシントン.タイムズ」の創刊号が発行されました。私たちを嫌う人々が、「ワシントン•タイムズ」は統一教会の宣伝道具になるだろう、とわめき立てましたが、決してそのような意図で作ったものではありませんでした。

私たち夫婦は「ワシントン.タイムズ」の社訓を「_由、信頼、家庭、奉仕」に定めました。後日、この社訓は統一家のすべての機関と企業が目指す、「愛天、愛人、愛国」に変更することになります。

新聞社の経営は非常に難しく、毎年、赤字が山のように積もっていくばかりでした。しかし、もし「ワシントン•タイムズ」がなくなれば、それはアメリカの首都で発行される唯一の反共保守新聞が姿を消し、家庭と愛の大切さを説く新聞も消え去るということを意味します。

人々は、「果たしてどれぐらいで廃刊するだろうか」と、嘲笑混じりに見守っていました。しかし、そのあざけりがひどくなればなるほど、私たちの信念と記者たちの情熱は燃え上がりました。民主主義と真正なる保守の立場を守りながら、家庭や道徳、女性の価値を掲げていく中で、やがて「ワシントン.タイムズ」は多くの市民の愛を受けるようになり、「ワシントンポスト」と共に、アメリカの首都における二大新聞となったのです。

創刊十五周年記念式には、世界の有名人たちからあふれんばかりの祝賀メッセージが届きました。レーガン元大統領は、「『ワシントン・タイムズ』は二十世紀で最も重要な十年を私と共に過ごしました。私たちが共に腕まくりして働いた結果、冷戦を終息させることができたのです」と述べ、「ワシントン.タイムズ」が共産主義に勝利するに当たって大きな役割を果たしたことを、世界の人々に知らせてくれました。

イギリスのマーガレット•サッチヤー元首相も、「『ワシントン.タイムズ』が創刊された当時は、非常に困難な時代でした。それは今も変わりません。しかし、『ワシントン.タイムズ』が生き残り、栄えている限り、保守主義の価値は決して色あせないでしょう」と感謝の言葉を寄せてくれました。

「ワシントン.タイムズ」は、権力を振りかざす新聞ではありません。市井の人々の声を代弁し、彼らが毎日を正しく生きていけるよう、導いてくれる新聞です。激しい波風を乗り越え、今や言論の真なる地位を築いた「ワシントン•タイムズ」は、全世界の人々にとって、かけがえのない新聞になっているのです。

正義を貫き、不義は許さない

「確かにこの場所で合っているはずなのに……」

「歴史資料を見ると、この建物は裁判所のはずだ。でも、なぜか病院になっているな」「それじゃあ、裁判所はいつたいどこに行つたんだ?」

一九九〇年代、中国が自国の歴史を再定義し、韓民族の歴史を中国史の一部として取り込むための研究が激しい勢いで進められていた頃、韓国「セゲィルボ(世界日報)」の特派員が中国の大連と丹東の一帯を取材しました。彼はそこで、安重根義士が裁判を受けた「大連法廷」を訪れたのですが、既に法廷はなく、個人病院の看板が掲げられているだけでした。中国政府は、その歴史的な建物を既に個人に売り渡していたのです。

特派員からの知らせを聞き、私たち夫婦は沈鬱な気持ちになりました。祖国光復のため、自らの命を捧げて献身した独立の英雄たちの足跡が、人知れず消えていくことに対し、韓民族の一人として胸が痛まないはずがありません。

「いくらかかったとしても、その建物を買い戻してください」

現代史において民族的受難の場である大連法廷は、お金には換算できない精神的遺産です。そのような場所が一個人の単なる所有物になっているというのは、韓民族にとって不名誉なことでもあります。結局、建物のオーナーと交渉して、大連法廷があつた建物を買い取ることになりました。!ぃァ!グン

すぐに専門家を招聘して徹底的な考証を行い、安重根義士が刑を言い渡された時の様子を再現しました。そして、より多くの人々に協力してもらうために寄付金を募り、一九九三年、セゲイルボ社を通して「旅順殉国先烈記念財団」を設立したのです。この財団は、安重根義士をはじめとする独立活動家たちの活動と偉大さを広く知らせ、共に東洋の平和を成し遂げられるよう、尽力しています。大連法廷は、今や中国や韓国の青少年が大連を訪問したときは必ず訪れる場所となりました。

歴史的に見るとき、東北アジアは隣国同士の複雑で微妙な関係が絡み合っている所で、そのもつれた糸を解きほぐす道を見つけられずにいます。かといって、手をこまねいているわけにはいきません。ですから、「セゲイルボ」が過去の痛みを客観的に見せ、韓民族の粘り強い国難克服の歩みと平和の大切さを直接体験できるよう、大連法廷を当時の姿そのままに復元したのです。

Luke Higuchi