自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第33話

第五章

心情文化は天国の永遠のシンボルです


何よりも美しい韓国の花、リトルエンジェルス

「これは、ただの歌ではありません!渴いた魂を潤してくれる、恵みと祝福の雨ですね」誰かが思わず感嘆の声を漏らすと、隣の人も称賛を惜しみません。

「私には、天使が発する天の声に聞こえます」

「リトルエンジェルス芸術団」の歌を初めて聞くと、誰もが衝撃を覚えます。その衝撃はまさに、心情の奥底にまで届く愛と和合の美しいメッセージです。

私たちの統一文化の特色を二言で表現するならば、「孝情を根幹とする心情文化」です。「孝情」とは、天の父母である神様に向けた私たちの精誠と愛であり、「心情」とは、愛の根本、すなわち愛が湧き上がる泉です。心情文化こそ、時空を超えて永遠の美をつくり出す本質です。天の父母様(神様)のみ旨が成し遂げられた世界とは、一点の汚れもない清らかな心情文化が、水のように、風のように流れる世界なのです。

幼子のようでなければ、神の国に入ることはできません。すやすやと眠る子供の姿は、まさに平和そのものであり、子供の天真爛漫なほほ笑みは、幸福とは何かを如実に教えてくれます。彼らの声はたとえか弱くとも、人々の心の扉を開かせ、見知らぬ人同士を和合させることができ、幸福と平和の心情をあるがままに表現します。ですから私は、子供たちが歌う純粋な歌の力を信じるのです。

今でこそ、リトルエンジェルスは世界中で有名になりましたが、創団当時、韓国は貧しさのゆえ、歌と踊りの力を信じること自体、難しい時代にありました。今、おなかを空かせている人に向かって「歌を歌おう」と誘ったら、怒り出すかもしれません。一九六〇年代の韓国は、まさにそのような状況でした。常に困窮していて、食べていくのでやっとの時代だったのです。そのような時に文化や芸術について話しても、誰も耳を傾けようとせず、ただかぶりを振るばかりなのは'当然のことでした。

「きよう、明日の生活も大変なのに・・・・・文化なんて、贅沢ではありませんか?」

しかし、文化は決して贅沢なものではありません。韓民族は五千年前から文化を育み、生活の中でたしなんできた芸術民族です。韓民族はもともと、独特で美しい文化を持っていましたが、日本の統治と韓国動乱を経験して、それを失ってしまったのです。貧しい韓国人が、世界の人々の目に、未開の民族として映るのは無理からぬことでした。甚だしくは、韓国人には固有の文字がなく、中国や日本の文字を使っていると誤解されることもありました。そのような間違った認識に、私は胸を痛めていたのです。

また、韓国動乱中にあちらへこちらへと避難しながら、芸術家たちが貧しさから才能を発揮できずにいる姿を少なからず目にしました。私もまた、学生時代には絵をたくさん描きたいという希望がありましたが、それをかなえられなかったという思いも心の片隅にありました。で


すから、韓民族は「未開の民族」、「文化を持たない民族」だという、誤った認識を正さなければならないと決意したのです。

リトルエンジェルスは、その一つの結実でした。貧困と政治の混乱から国中が揺れていた一九六二年五月五日の「子供の日」、韓国舞踊と合唱を披露する「大韓児童舞踊団」(現、リトルエンジェルス芸術団)をつくろうとしたのですが、当時は教会内部からも激しい反対を受けました。

反対する理由の第一は、経済的な問題、第二は、もしお金ができたとしても、まずは教会を建てるべきというもの、さらに第三は、どうせ合唱団をつくるなら、大人の合唱団のほうが良いのではないか、というものでした。それ以外にも反対する理由はたくさんあったでしょうが、私たち夫婦の意志をくじくことはできませんでした。

やっとの思いで芸術団をつくったものの、今度は練習する場所がありません。何とかソウルの三清洞にある古びた倉庫を一つ借り、ばたばたと修理をして練習室を造ったのですが、そこは雨が降ると水が漏れてくるような所でした。冬は練炭ストーブすら満足につけられず、子供たちはかじかむ手を息で温めながら練習をしました。

統一教会に反対する人々は、そのような様子を見て、嘲笑するばかりでした。

「天から降りてきた天使じゃなく、.天から降ってくる雨でびしょ濡れになった天使だ!」

しかし、あきらめる人は一人もいませんでした。


「心が美しくあってこそ、踊りが美しい。心が美しくあってこそ、歌が美しい。心が美しくあってこそ、顔も美しい」

リトルエンジェルスはこの信念を胸に刻み、三年間、汗と涙の猛訓練を繰り返したのです。

訓練を終えたリトルエンジェルスは、一九六五年の秋、「太極旗を世界へ」という壮大なスローガンと共に、初公演に出発しました。リンカーンの演説で有名なアメリカのゲティスバーグで、アイゼンハワー元大統領のために行った特別公演を通して、韓国の美を披露する偉大な行進の第一歩を、ついに踏み出したのです。

アイゼンハワー元大統領は公演を見て、韓国を訪れた時のことを思い出し、絶賛してくれました。

「天使たちが、天から地上に舞い降りてきたようです」

ベトナム戦争の真つ最中だつたその時代、アメリカで大衆公演をするというのは、大きな冒険でした。アメリヵ国内の地方都市で認められている歌手や公演団であっても、大都市で公演をするとひどく批判され、そもそも相手にすらされないということも多くありました。

しかし、私は少しも心配しませんでした。子供たちの歌声は純粋そのものであり、その純粋さが人々の心を一つに和合させ、平和をもたらすということを、体験を通じて知っていたからです。

リトルエンジェルスは、熱い拍手を浴びたゲティスバーダでの初公演に続き、アメリカ各地を回っていきました。「故郷の春」や「アリラン」を歌うと、最初はみな、不思議そうに目を丸くしているのですが、しばらくすると目を閉じて静かに耳を傾けるようになり、やがてその目から感動の涙が流れ落ちるのです。

子供たちが韓服を着て花婿と花嫁の踊りをかわいらしく踊ると、みなそれに合わせて肩を動かし、楽しそうに拍手を送りました。韓国の白い足袋を履いて足を宙に伸ばす姿は、西洋人の目にとても物珍しく映るようです。しかし、踊りが一つ終わる頃には、その足のラインが韓国の持つ優雅な曲線美であることに自然と気づくのです。

リトルエンジェルスは一言も話さずに、韓国の伝統と美を表現しました。世界を巡回しながら、公演を一つ終えるたびに、「韓国は美しい伝統と文化を持った民族である」という厳然たる事実を、世界の人々の胸中に刻んだのです。


Luke Higuchi