自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第31話

孤児たちを誰が抱くのでしょうか

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

(ヨハネによる福音書一四章一八節)

私はこの聖句が、自らの歩んできた道を一言で表現している言葉の一つだと思います。神様


を知らず、人生の行くべき道も分からずにさまよっている人は、たとえ生みの親がいたとしても、まるで孤児のように生きる人です。彼らを神様の元に導くため、私は長い歳月をかけて歩んできました。

一九九〇年代の初め、私が地方で大会や講演を行うと言うと、人々は首をかしげるばかりでした。特に、それが女性を対象にした講演ともなると、まともに取り合いませんでした。当時、韓国ではまだ女性の声があまり取り上げられず、男女平等といっても掛け声だけで、実際にはどこにも見いだすことができなかったのです。

私は女性が一人の人間として、社会の平等な構成員として、特に神様の娘として、与えられた役割を果たすためにはどのようにすべきか、長年苦心してきました。その結果、設立されたのが、「世界平和女性連合(WFWP)」です。

一九九二年五月から、仁川を皮切りに全国二十一力所を巡回し、六月からは四十の都市で次々に大会を行いました。その大会で私は、「理想世界の主役となる女性」というテーマで講演をしました。大会前、人々は「果たして何人来るだろうか?」と大いに心配していましたが、ふたを開けてみると、行く先々で会場に人があふれたのです。「女性」が大会のテーマであるにもかかわらず、男性もたくさん参加しました。まさに、私が提唱する「女性時代」の到来を予感させる大会となったのです。


韓国大会が終わると、私は次の講演先として日本を選びました。

「この話を、日本の女性たちにも聞かせてあげなければなりません」

「そうは言いましても……韓国語では、本来の意味がうまく伝わらないと思うのですが」「日本語で話せばよいのですね」

「長い講演文ですし……日本語はあまり習われたことがない上、時間も迫っております」

私は休むことなく練習し、講演文をすべて日本語で語れるようにしました。

会場となった日本の東京ドームには、五万人以上が集まりました。日本の首都で、私が初めて日本語で講演すると言っても、人々は信じませんでした。それだけでなく、大会執行部はもしものときに備え、舞台袖に日本語を流暢に話せる韓国人幹部を待機させておいたのです。

ところが、私が演壇に上がって口を開くと、日本人の聴衆はとても驚き、感嘆の声を上げました。感激のあまり、何度も立ち上がって拍手を送るほどでした。みな、最初は「どこかで間違うだろう、どこで間違うか?」と構えていましたが、私が一言一言、はっきりとした発音で講演する姿を見て、あちこちから驚嘆の声が上がったのです。

私は疲れることも忘れて日本の都市十力所を回り、日本女性の、也をつかみました。

通訳を使えばはるかに簡単だったでしょうが、私は日本語で書かれた講演文を、最初から最後まで、完璧に消化して伝えました。日本国民を孤児にしないため、徹底的に準備したのです。

を知らず、孤児になっているということを、日本語ではっきりと伝えたのです。


Luke Higuchi