自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第27話

水仙

「ベルべディアとはどういう意味なのですか?」

「イタリア語で『美しい景観、展望』という意味です」

アメリカ-ニューヨークのハドソン川の近くに公館を建てた際、その名前を「べルべディア(Belvedere)」としました。美しい自然の中で神様の愛を感得できるようにと、付けた名前です。巨木が鬱蒼と茂るその場所で、一九七〇年代以降、信徒たちが「原理」のみ言を中心とした修練を受けました。私たち夫婦に会うために世界中から訪れる人々で、公館はいつも混雑していました。

私は、ベルべディアとイーストガーデンに黄色いスイセンをたくさん植えました。スイセンは寒い冬が過ぎると、凍りついた地面を真っ先に突き破って新たな季節の到来を知らせてくれる、春の伝令です。まだ雪の残る凍った地面をかき分け出てくる新芽の強靱さ、そして自然の摂理を前にして、私はいつも驚きを禁じ得ませんでした。春や真夏に咲くバラやユリも美しいのですが、私は寒い冬に打ち勝って咲くスイセンの力強さが大好きです。真の父母の道、独り娘、真の母の道を歩みながら、私はこの花を本当に愛しました。


二〇一六年の夏、思い出の多いこのべルべディアで「ニユーヨーク•ヤンキースタジアム大会四十周年記念式」が行われました。四十年前の一九七六年に開かれた大会は、統一教会と文鮮明、韓鶴子を全世界に知らせる記念碑的な大会となりました。同時に、それは混沌と淪落の道に陥っていたアメリカを覚醒させた、重要な日でもありました。

当時、私と文総裁は東洋から来た新興宗教の創始者として、ほんのひと握りの人だけが知る存在でしたが、半世紀近くが経った今では、全世界が文鮮明を「独り子、メシヤ」として、韓鶴子を「独り娘、宇宙の母、平和の母」として仰いでいます。

私たちは四十周年の大会を、「神様が祝福したアメリカの家庭祝祭」と名付けました。アメリカやカナダに住む約三千人の信徒および関係者が、このイベントに参加するためにべルべディアに集まりました。夢にも忘れることのできない歌、「YouAreMySunshine(あなたは私の太陽)」が流れてくると、みな粛然とし、涙ぐみながら当時の感動を思い起こしました。私は、感動にとどまるのではなく、それを越え、まだ残っている多くのことに取り組むよう、信徒に伝えました。

神様に侍り、信仰の自由を求めて立ち上がつた清教徒の精神が、アメリカを誕生させました。しかし時間が経つにつれ、アメリカは神様のみ旨に従って世界を抱くのではなく、利己主義と退廃的な文化が蔓延する国となってしまいました。神様の夢は、七十七億の人類が平和で幸福な世界を築き、新しい心情文化革命を起こして、神様の愛に感謝する生活を送るようになることです。

私たちはアメリカの建国精神を呼び起こし、世界を神様の元に導くという真の使命に目覚めさせるために、渾身の力で青年や指導者を教育し、多くの大会を開いてきました。しかしそれでも、アメリカは天から少しずつ遠ざかっていくばかりでした。

私は今でも、一九七六年六月一日のヤンキースタジアム大会を昨日のことのように覚えています。アメリカ各地からはもちろん、全世界から人々が押し寄せ、ヤンキースタジアムは立錐の余地もないほどの超満員でした。しかし、天候は私たちの味方をしてくれませんでした。雨風が激しく吹きつける大荒れの天気となったのです。また、私たちを非難する人々がスタジアムの外で大会反対のデモを行い、大騒ぎしていました。ややもすると、暴動でも起こるような雰囲気でした。

この大会のために、二力月前から全世界の信徒が祈祷を捧げていました。世界中からアメリ力に駆けつけた信徒は、一日も休まずに方々を回り、大会の開催を一生懸命伝えました。その六十日間は、眠っているアメリカを呼び覚ます期間であり、共産勢力の拡大を阻止し、民主世界を復活させる重要な時期でした。私たちが青少年の倫理的破綻を食い止める防波堤となれるか否かを決する分水嶺でした。

しかし、このような歴史的な意義とは裏腹に、大会の直前には激しい雨風に見舞われました。


垂れ幕は裂け、ポスターはびしょびしょに濡れてはがれ落ち、舞台上の小物まで飛び散って、会場内はまさに大混乱となっていたのです。集まった信徒たちも雨に濡れ、惨めな姿で呆然と立ち尽くしていました。

スタジアムの外では反対する数v|が集まって、あらゆる挪瑜と非難の声を上げています。神様は本当に私たちと共にいらっしやるのか、と疑いを抱いてもおかしくない状況でした。

しかし、激しい雨と非難の声は、かえって私たちを強くしてくれました。アメリカに渡る前に受けた苦難と弾圧に比べれば、反対する者たちの雄叫びは、むしろ応援歌のように聞こえました。私た•ちは雨でずぶ濡れになっても、避難しようとは思いませんでした。

その時、誰かが歌い出したのです。

You are my Sunshine, .

My only Sunshine

それを合図に、みなで心を合わせて、「You are my Sunshine」(作詞作曲:ジンミー.ディビス、チャールズ.ミッチェル)を歌いました。一人の歌声からすぐに壮大な合唱となり、スタジアムいっぱいに響き渡りました。皆の顔に、雨と混じって喜びの涙が流れていました。

するとほどなくして、神様が私たちの元に訪ねてくださったのです。天地を覆っていた暗闇


が消え去り、雲の隙間から一筋の日の光が差し込むと、会場が徐々に明るくなっていきます。そして到底、開催不可能としか思えなかった大会が、太陽が顔を出すとともに始まったのです。

文総裁は祈祷を終えて演壇に上がる前、私の手をぎゅっと握りました。

「あなたの精誠と祈祷のおかげで、私はきよう、壇上に上がります」

雲間から差す日の光よりも温かな、満面の笑み。それはまさに、死の淵とも言える暗闇を突き抜け、光り輝く天地に復活したかのようでした。私は顔に付いた冷たい雨の雫をぬぐい、夫に熱い拍手を送りました。私たちは神様と世界の救いに対する確固たる信仰を持っており、「救世主が私と共にいらっしゃる」という事実に、決して勇気を失うことはありませんでした。

毅然と壇上に上がった文総裁は、目の前の聴衆だけでなく、すべてのアメリカ人、ひいては全世界の人々に向けて、警鐘を鳴らしました。

アメリカの建国二百周年を記念し、「アメリカに対する神様の希望」というテーマのもと、

文総裁は「共産主義思想の蔓延と青少年の倫理的破線を防がない限り、アメリカに希望はない」と声を張り上げました。文総裁が「私はアメリカに医師として、消防士として来た」と力説すると、聴衆は大きな拍手でそれに応えました。これまで誰もが口にすることを避けてきた恥ずべき傷を露わにし、アメリカが抱いている問題を真正面から突いたのです。

大会は大成功を収め、アメリカの歴史に新たな里程標を打ち立てました。統一教会の宣教史にはもちろん、すべての宗教史に偉大な足跡を残した大会でした。私たち夫婦は、アメリカ人が忘れていた神様の心情を伝えるために歩んできましたが、その信仰と統一運動は、アメリカを感動させ、新しい時代を切り開いたのです。

韓国の京畿道加平郡に天正宮博物館を建てる際、私はスイセンをかたどった様々な模様の彫刻を作り、庭にもスイセンをたくさん植えました。私は、力強く美しいスイセンが大好きです。今も残雪が解け切る前に飛び出てくる新芽を見ると、ヤンキースタジアムでの大会が思い出されます。北風や冷たい雪に打ち勝って新たに蘇り、最初に春の訪れを知らせるスイセンは、私たちの平和統一運動にとって大きな意味を持つ象徴的な花として、私の心に宿っているのです。

Luke Higuchi