自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第24話

私たち夫婦に初めて会ったという異国の若い宣教師は、私たちを見るなり大粒の涙を流しました。もちろん、泣きたい心情になったのは、その宣教師だけではありません。最も痛哭したかったのは、私でした。しかし、そうすると行事の喜びの場が涙の海に変わってしまうので、毅然として涙を押し殺し、宣教師の肩を抱いてあげるしかありませんでした。


翌日、私は宣教師たちを全員連れて出掛け、シャツとネクタイを一つずつ買ってあげました。

「よく似合いますね。これまで苦労が多かったでしょう」

心から慰労するとともに、念を押すことも忘れませんでした。

「あともう少し、み旨の道を邁進すれば、平和な世界を私たちの時代に成し遂げることができます」

こうして、宣教師たちはみ旨に対して新たな覚悟を固め、再び摂理の最前線に向かったのです。

今もそうですが、私たち夫婦は宣教師を見知らぬ土地に送り出す際、天をつかんで切実に祈らざるを得ませんでした。特に共産主義国家に向かう宣教師に対しては、一層激しく祈祷しました。しかし、不幸にも^教者が出たらどうしようかと、湧き上がる不安を抑えることはできませんでした。その心配は結局、現実のものとなってしまいました。

一九七〇年代に入ると、世界各地で耐え難い弾圧が行われるようになります。一九七三年、チェコスロバキアのブラチスラヴァで、宣教師と信徒約三十人が一挙に警察に逮捕され、連行されるということがありました。五年から十年の懲役刑、さらには死刑宣告を受ける信徒までいるなど、言葉で言い尽くせない弾圧が行われました。二十四歳のマリア•ジブナは、冷たい監獄の中、花盛りの年齢で命を落とし、共産主義統治下における最初の殉教者となりました。また、信徒がテロに遭い、遺体で発見されるという_事もありました。


一九七六年、フランス.パリにある私たちの教会、ヴィラ.オプレ教会で爆破テロが起き、多くの負傷者を出しました。フランスの信徒たちは、エツフェル塔からトロカデロまでを行進しながら爆破テロ事件に対する抗議を行い、多くの人々の同情を誘いました。そして、この事件に共産主義勢力が介入していたことが明らかになると、アメリカの国会議員を先頭に、朝野がこぞって、このような宗教弾圧を猛烈に非難するようになったのです。

ニューヨークのべルべディアの館にも爆破予告がなされ、馨I察が出動しました。監視や追放、尾行、テロは、宣教師たちにとって日常的な出来事になっていました。

弾圧は八〇年代に入ってもとどまることを知りませんでした。一九八〇年、タンザニアに入った笹本正樹宣教師が、その年の十二月、銃で撃たれて殉教しました。それでも、宣教師たちの歩みは止まりませんでした。

特に共産圏の国々では「バタフライ作戦」の名のもと、宣教師たちが地下で命懸けの活動をしていました。バタフライ作戦とは、当時、才—ストリアを拠点として、鉄のカーテンがかかっていた東ョIロツバで秘密裏に行われていた宣教活動です。最初にソ連の地に渡ったギユンタ!ヴユルツァーをはじめ、数多くの宣教師がソ連のKGBに尾行されて迫害を受け、宣教していることが発覚した後は拘禁されたり、強制追放になったりしました。

一九八六年、私たちは内密に、バタフライ作戦の宣教師たちをアメリカのイーストガーデンに集めました。宣教師たちの凄絶な証しは、夜が深まっても終わることはありませんでした。


宣教師たちは、親兄弟にも言えずにいた胸の奥深くの内情を嗚咽しながら吐露し、それを聞く人々もまた、胸がえぐられるような思いで話に耳を傾けました。共産主義国家で歩む彼らの一日一日は、薄水を踏むような瞬間の連続でした。皆の心に響いた、ある宣教師の言葉があります。

「いつどこで、いかなる危険に直面するか、私には分かりません。ただ、神様が啓示を通して、直接、私の人生を主管されていることが分かります。危険が迫れば、夢に神様が現れ、私の行く道を示してくださるのです」

短い会合を終えて再び任地に向かう彼らを、私は一人一人抱き締め、見えなくなるまで手を振りながら見送りました。いつまた会えるかも分からないまま、戦場よりさらに過酷な地に旅立つ宣教師のことを考えると、胸が痛み、涙があふれそうになりました。

統一教会の信仰を持っている、というだけで迫害を受ける信徒たちは、どれほど不潤でしょうか。それにもかかわらず、宣教師たちの歩みは止まることなく、地球の隅々にまで及んだのです。苦難と危機の中にあっても貧しい人を助け、学校を建てて、職業教育を施しました。また、荒地を開拓して、生活基盤を築くために投入しました。今日、百九十以上の国に家庭連合があり、信徒がいるのは、すべて、宣教師たちの貴い犠牲のおかげです。

私は宣教師たちを見知らぬ大陸や海の向こうに送るたびに、一つでも多くのものを与えたいと思いましたが、それができない現実に、いつも心を痛めていました。私たちの夢が実現する


時には、神様が大きな恵みを与えてくださるだろう、という言葉で励ますしかありませんでした。しかし、その激励は宣教師たちにとって、千軍万馬よりもさらに心強い応援となったようです。

草創期、統一教会の信徒は追いに追われる、最もかわいそうな人々でした。冬の雪降る夜に家から追い出され、塀のそばで一人、涙の祈りを捧げた人がどれほど多かったことでしょうか。

それは、宣教地においても同じでした。ある人は見知らぬ土地で追放の憂き目に遭いながら、ある人は液空の星の光だけを頼りに砂漠を歩きながら、ある人は深い密林をかき分けて進みながら、神様のみ言を伝えました。私たちはこのようにして、悲しみを心の内で消化しながら信仰を守り、み言を広めていったのです。

Luke Higuchi