自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第19話
聖婚、地上で小羊の婚宴が開かれる
二千年前、イエス様は地上に来られました。イエス様は新婦を探して、真の父母とならなければなりませんでした。しかし、そのみ旨を果たすことができないまま、十字架にかかって亡くなってしまったのです。どれほど惨めな心情を味わわれたことでしょうか。イエス様が再臨してまず初めになさることは、新婦を探すことです。真の父母なくして天宙に満ちた恨を解くことはできず、神様のための勝利の基盤を築くこともできません。
私が聖婚した日、それは神様が勝利された日であり、失われた栄光が取り戻された日です。そして、人類が真の母と共に生きることができるようになった、喜びの日です。
文総裁は数えで十六歳の時、平安北道の定州にある猫頭山で、イエス様から使命をお受けになりました。しかし、その使命を果たすに当たっては、過酷な試練が与えられました。日本留学時代はもちろん、解放後、北で新しいみ言を伝える時も、人間として耐え難いあらゆる苦難を経験されたのです。共産党の悪辣な弾圧によって監獄に入れられ、生死の境をさまよわなければなりませんでした。
しかし、興南の徳里特別労務者収容所(興南監獄)で生死の岐路に立たされていた時、国連軍によって劇的に救出され、天が下さつた使命に向かって再び出発することができたのです。
文総裁はその後、釜山を経て、ソウルに定着されました。しかし、試練は休むことなく訪れ、また濡れ衣を着せられて投獄されました。その凄絶な歩みは、神様が準備した独り娘に出会い、「小羊の婚宴」の日を迎えるまでの蕩減路程でした。
統一教会の信徒たちもまた、つらい試練を経験しました。しかし一九六〇年を迎え、名状し難い喜びと希望に彼らの胸は躍っていました。それは、文総裁が生まれて四十年になる年であり、神様の最初の息子、娘である独り子と独り娘の聖婚が成される祝福の年でした。
春たけなわの一九六〇年三月二十七日、陰暦では三月一日の午前四時、文総裁と私の歴史的な佳約式(約婚式)が行われました。招待されたのは男女四十数人ずつでしたが、天の新婦を一目見ようと信徒が押しかけ、ただでさえ手狭な青坡洞教会が人であふれ返りました。佳約式は一部と二部に分けて挙行され、文総裁の祝祷によって、神聖な雰囲気の中、幕を閉じました。
私と文総裁の佳約式には、深い意味があります。聖書で言^-人間の六千年の歴史は、真の父母を迎えるための悲痛なる路程でした。真の父母と出会えなかったことが、それまで全人類にとっての悲しみでしたが、この佳約式によって、その悲しみが終わったのです。まさに、祝福の日でした。
聖婚式は、佳約式から半月後の四月十一日、陰暦三月十六日の午前十時から行われました。全国の教会から選ばれた約七百人の信徒が青坡洞教会に集まる中、意義深い聖婚式が盛大に挙行されたのです。佳約式の時ょりもさらに大勢の信徒が集まったため、教会は足の踏み場もないほどでした。周りの路地も、教会内に入れない人々で埋め尽くされました。
式場は、教会の礼拝堂をきれいに飾りつけて準備されました。壁と床を白い布で覆い、玄関から入って左手に壇を作りました。白いチマチョゴリを着て長いべールをかぶった私は、新郎である文総裁と腕を組み、聖歌「宴のとき」に合わせて二階から降りていきました。こうして、歴史に永遠に残る聖婚式が、祝賀客の熱い歓迎の中、挙行されたのです。
聖婚式は、その意義と価値から見て、万民が称え、栄光と賛美を捧げるべき大きな慶事でしたが、その背後には、むしろ胸痛い出来事のほうが多くありました。キリスト教会からの告発によって、文総裁は聖婚式の前日も、夜の十一時まで内務部で屈辱的な取り調べを受けられました。しかし、文総裁と私はそれまでの痛みをきれいさっぱりと忘れ、平安な心で「小羊の婚宴」に臨んだのです。
最初の式は西洋式で行い、続いて韓国の伝統的な紗帽(官服を着るときにかぶる黒い紗で作った官吏の帽子)と冠帯、チョクトウリ(女性が礼服を着るときにかぶる冠)に婚礼服姿で式を行いました。聖婚式は、私が宇宙の母、平和の母として人類の前に新たに登極する日でした。神様の願ってこられた、独り子と独り娘が聖婚する「小羊の婚宴」は、アダムとエバが成し遂げられなかった宇宙的な真の夫婦、真の父母の理想を実現する場でした。
式が終わり、私と文総裁は晴れて夫婦となって、初めて一つの食膳で食事をしました。普通の夫婦であれば当然のように楽しむ新婚旅行はもちろん、新婚生活における甘い夢すら、思い描くことはできませんでした。ただ、神様と教会のことだけを思つたのです。
韓服に着替えた私たち夫婦は、信徒と共に歌を歌い、踊りを踊って、神様に栄光をお返しする喜びの時間を過ごしました。歌を歌ってほしい、という信徒たちのリクエストを受け、私は「春が来れば」を歌いました。
「春が来れば、山に野原にツツジが咲くよ。ツツジの咲くところ、私の心も花咲いて……」
春は新しい出発を意味します。私は、希望の季節である春が好きです。寒い冬を抜け出し、眠りから覚•めた生命が躍動して、夢を描いていくことを願うからです。私は、統一家の歴史もいよいよ春を迎え、新たに出発しなければならないと考えました。
その日、地上に真の父母の家庭が現れることで、神様の摂理は新たな扉を大きく開きました。薄水を踏むような日々を越えて行われた聖婚式。その日は、神様が最も喜ぶ一日となりました。
ョハネの黙示録に、終わりの日に主が再び来られたら、「小羊の婚宴」をなさるという一節があります。その宴こそまさに、失われた独り子、独り娘を新郎新婦として結び、真の父母として立ててくださる神聖な祝福儀式です。私は文総裁と夫婦の契りを結びながら、神様の前に固く決意しました。
「神様が苦労して歩んでこられた蕩減復帰摂理の歴史を、私の代で清算します。何より、神様の名のもとに起こっている宗教的な分裂は、神様が最も胸を痛められることです。それを必ずや、解決してみせます」