自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第18話
翌日、日が昇ると、呉執事は再び楽園洞の商店街に行きました。仕事中、ずっと上の空だった呉執事は、仕事が終わるや否や、すぐにソウルでも評判の占い師がいる所に向かいました。誰のものかも知らされないまま、差し出された四柱(生まれた年、月、日、時間)を見た占い師は、両目を大きく見開きました。
「このお二人、年の差は大きいですが、天が^{疋めた夫婦です。天下にまたとない夫婦ですね。滅多にお目にかかれない、天の四柱です」
呉執事ははやる気持ちを落ち着かせながらも、すぐに教会に駆けていき、文総裁に報告しまた。
「洪順愛さんの娘、韓鶴子が天の新婦です」
文総裁からは何の返事もありませんでした。おそらくそれは、既に文総裁の周りに、弟子たちから推薦された新婦候補者がたくさんいたからでしょう。しかし私は、心配しませんでした。なぜなら、天の独り子は天の独り娘と聖婚しなければならないのであり、独り娘を探し出すことは、独り子の使命であるとともに、その本分だからです。
いくら家柄や学歴が良いとしても、天が準備した独り娘でなければ、独り子と聖婚することはできません。当時、世間的にはまだ幼く見えたかもしれませんが、天に対する私の気持ちは、既に固まっていました。私は時を待っていました。
当時、寄宿舎で生活していた私は、ある日、窓辺の木に留まったカササギの声を聞いて、喜ばしい知らせがもたらされるよ^'な予感がしました。そして、窓を開いて空を仰いだ瞬間、神様の声が聞こえたのです。その頃は、夜に夢のお告げがあるのはもちろん、澄み切つた空からも、波が押し寄せるように休みなく、啓示が下りてきていました。
「時が近づいた」
それは子供の頃からよく耳にした、天の声でした。貴人に会えそうな予感がした私は、まるで誰かから背中を押されるようにして、読んでいた本を伏せ、寄宿舎をあとにしました。朝、母の具合が悪いという知らせを受けたことも頭にありました。
バスに乗って漢江を渡りながら、たくさんのことを考えました。川を渡るというのは、今までの世界とは別の世界に入ることではないか。あのように滔々と流れる川の、穏やかな水面とは裏腹に、その中はどれほど多くの事情を抱え、渦巻いているのだろうか。そのような水面下の様子は、私たちを訪ねてこられる神様の心情にも通ずるのではないか……。
気がつくとバスを降りて、鷺梁津の丘の上にある母の家に向かっていました。坂道を上ると、漢江から吹,いてくる冷たい風が吹きつけてきましたが、季節外れの暖かい日差しが、私の足取りを軽やかにしてくれました。
母は私を見ると、自分の体調のことは忘れたかのように、心配そうな表情で口を開きました。
「教会から知らせがあつたわ。すぐに来るようにって」
私はその知らせが、天によって準備されたものであることが分かりました。小学校を卒業して間もなく、初めて文総裁にお会いした時の場面が、パノラマのように広がりました。
その数日前に、私は夢を見ていました。ひときわ若々しく、穏やかな表情をした文総裁が夢に出てこられたのです。天の啓示も、はつきりと聞こえました。
「その日が近づいた。準備をしなさい」
それは、天の厳然たる訓令でした。私は完全に無我の境地で、祈祷を捧げました。
「今まで私は、神様のみ意のとおりに生きてまいりました。ム"7や、神様のみ旨が何であろうと、その摂理がどのようなものであろうと、たとえ何があっても、私はあなたの願われる使命を果たします」
私は天の無念なる事情を知っていたため、自分に与えられた使命を感謝して受け入れたのです。
「小羊の婚宴」が行われるという予感がするとともに、再び天の声が聞こえてきました。幼い頃、道を行く道人が私を見て証ししたように、「宇宙の母、時が満ちた」という声が、まるで銅鑼の音のように虚空に鳴り響くのが聞こえました。
「私はアルパでありオメガである。創世以前から、宇宙の母を待っていた」
私はその言葉を聞いて、これから起こる未来の出来事を悟り、穏やかな心情で時を待ちました。エデンの園で、アダムとエバは神様と直接会話をしていました。つまり、神様のみ言を自分の耳で聞いたということです。私も子供の頃から、神様といつでも会話を交わすことができました。困難にぶつかったり、決断を迫られたりするたびに、神様は私を導いてくださったのです。
一九六〇年二月二十六日、冬が過ぎ去り、春の陽気を感じさせるこの日、私は青坡洞教会に向かいました。天の新婦を決定する場を持つためでした。文総裁と私は、九時間もの間、たくさんの言葉を交わしました。私は絵も描いて、お見せしました。堂々と、かつはっきりと、私は自分にかけられた願いと抱負について話をしました。アブラハムがカナンの地で受けた祝福を思いながら、「天の子女をたくさん生む」という話も、堂々と伝えました。神様が祝福したとおり、天の星や浜辺の砂のように広がった地上の人類を、善なる子女として生まれ変わらせると決意したのです。
アブラハムが、供え物を捧げるためにイサクを連れてモリヤ山に登った際、イサクはアブラハムに、供え物はどこにあるのかと尋ねます。アブラハムはそれに対し、神様が準備してくださっているとだけ答えて、それ以上は話しませんでした。それでも、イサクは幼いながら置かれた状況を理解し、自分が天に捧げられる供え物であることを悟ったのです。イサクは神様の摂理を悟り、祭壇の薪の上に、従順に横たわりました。
同じように、神様が私を天の新婦として準備してこられたのは天の摂理であり、天が立てられた予定であったと悟った私は、疑問など持ちませんでした。ただ、そのみ意に従順に従うだけでした。天の声を、私は無我の境地で受け入れたのです。
家に帰る道すがら、母が驚いたように言いました。
「普段は柔和で物静かなお前に、あのような剛胆さがあるとは思わなかった」
しかし、聖婚はそのような気持ちの強ささえあればできるというものではありません。天の血統を広げていくために、真の母は善なる子女をたくさん生まなければなりません。そのためには、二十歳を超えてはいけなかったのです。また、国のために奉公した忠臣の家門で、三代が献身的で深い信仰を備えていなければならないということは、言うまでもありませんでした。
実際、文総裁が四十歳になる三年も前から、何人かの未婚の女性信徒が、それぞれ良い条件を掲げ、自分こそ新婦として適任者であると主張していました。特に三十歳前後の女性たちが、自分なりの理想を高く持っていました。文総裁は聖婚の日をあらかじめ定めていましたが、まだ新婦を発表せずにいらつしゃいました。
宇宙の母、平和の母になるための「小羊の婚宴」に出ることができるのは、神様が準備された独り娘だけです。世界を救い、平和な世をつくるためには、私が決心しなければなりません。そうしてこそ、文総裁も、真の父母の立場に進むことができるのです。
私は文総裁を独り子として迎え、神様のみ旨を成し遂げてさしあげると決心しました。それは神様が私に下さつた、天の新婦、宇宙の母としての使命でした。これから歩むことになる路程が、想像を絶する険しい茨の道であることも知っていました。しかし、その時、私は神様のために、世界の人類を救う使命を必ず果たすと決意したのです。
「行く道がどれほど困難でも、私の代で復帰摂理を終わらせます」
さらに、次のように決意しました。
「神様が実現しようとされているみ旨を、必ずや成してさしあげます」
その日以降、私は生涯のすべてを、その決意のもとに捧げて生きてきました。
しかし世の中というのは、すんなりとは事を運ばせてくれません。ほかでもない、「十七歳の韓鶴子」が新婦として選ばれたという知らせが教会に伝わると、多くの人々が仰天しました。いぶかしく思う人、困惑する人も大勢いました。喜んでくれる人もいましたが、あからさまに嫉妬する人もいました。私は、その四年前に文総裁が言われていた「犠牲」という言葉を思い出し、自分に与えられた道を行く、と覚悟を決めました。
祖母の先祖である趙漢俊は、画のために奉公し、「天の王女を送る」という啓示を受けました。天は彼の精誠に応え、そこから忠情の家門が続くようにしてくださいました。そして信仰の深い祖母から母が生まれ、その母を通して、私が生まれました。世を救う独り娘を送るための天のみ旨が、先祖の趙漢俊から始まり、私で実を結んだのです。
その使命を果たすには、神様の独り娘として、世の中を救うという固い意志と強靱な信念がなければなりません。そして、国を超えて民族と人種を和合させることができなければなりません。あたかも、大小様々な川をことごとく包み込む海のような、慈愛がなければならないのです。また、神様に侍り、父母の心情を感得して、行き場を失った人類を懐に抱かなければなりません。
私はそれらすべてを胸深く刻んで歩みながら、天が願われた使命を一時も忘れませんでした。そのような道を行ってこそ、真の天の新婦、真の母になることができるのです。それが、天の摂理を導く宇宙の母、平和の母になる道なのです。