自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第17話
天と地の鳳凰が出会う
一九五〇年代の末に、女手一つで子供を育てながら生きていくというのは、容易なことではありませんでした。母は様々な仕事をこなして生計を立てなければなりませんでしたが、精誠を込める祈祷生活を一時も休むことなく続けながら、その苦難と試練を見事に克服していきました。
そのような中で、ある日ふと、「このままではいけない」とい^''思いが湧いたそうです。
「生活に追われて虚しく生きるより、もっと価値のある人生を送らなければ」
母は、祖母と私のことを叔母(洪順貞氏の夫人)に頼み、青坡洞教会に住み込んで献身的に歩み始めました。教会では人の一番嫌がる仕事を進んで引き受け、人々の心配をよそに、いつも楽しそうに、感謝しながら過ごしていました。かって、北で誰よりも徹底した信仰生活を送っていた母でしたが、統一教会では新参者として、新しく出発したのです。
しかし、教会で手に余るほどの仕事をこなそうとしたため、体がひどく弱り、母はついに病気にかかってしまいました。幸いにも、母が腹中教時代から姉妹のように親しくしていた婦人信徒たちがソウルの鷺梁津に住んでいたので、母もそこに居を構えて闘病生活を送り、交替で面倒を見てもらいながら、少しずつ健隶を取り戻していきました。
私は寄宿舎から看護学校に通い、日曜日には青坡洞教会に行って礼拝に参加しました。ある時、母が教会で私を見かけるや否や、隅のほうに引っ張っていき、こっそりささやきました。「数日前、何だかよく分からない夢を見たのよ」
「どんな夢だったの?」
「それが、白い礼服を着た教会の女性たちがピンクの花を持って立っている中、お前が文先生に向かって歩いていくんだよ。集まった人たちは、お前のことをうらやましそうな目で見つめていたのだけれど……。そこで突然、雷鳴が轟き、天から雷が落ちて、夢から覚めたわ」「もうすぐ、世の中がびつくりする出来寧が起こるという知らせのように思います」
「そうよね?明らかに何かのお告げなのだろうけれど、どんな意味なのかしらね」
当時、教会では文総裁を「先生」と呼んでいました。母はまだ、これが途方もない啓示、すなわち自分のたった一人の娘が「世界を救う真の母になる」という天の啓示であるとは、思っていないようでした。しかし私は、神様のために犠牲となる人生を生きることを決心していたので、その夢の意味をうっすらとですが理解しました。
一九五九年の秋、青坡洞教会で開かれた全国伝道師修練会に、私は母と一緒に参加しました。狭い達物の一角で修練会をするということで、ずいぶん慌ただしかったのですが、一方で、また別の重大な摂理が進められていました。二力月ほど前から、信仰心の篤い元老婦人たちを中心に、文総裁の聖婚準備が少しずつ進められていたのです。
ある日、一人の元老女性信徒が文総裁の元を訪れ、自分が見た夢の話をしました。
「空から無数の鶴の群れが飛んでくるのですが、何度手で払っても戻ってきて、ついには文先生を覆ってしまったのです」
当時、文総裁と聖婚したいと思う女性信徒は、非常にたくさんいました。文総裁がその夢の話を聞いても、これといった反応を示さないでいると、その元老信徒は確信に満ちた声で言いました。
「私の夢は、新婦の名前に『鶴』の字が入らなければならないという、天のみ意を示していると思います」
しかし当時、私は学生であり、文総裁の年齢に比べてあまりにも幼かったため、私の名前は多くの候補者の中に埋もれ、取り上げられることすらありませんでした。
そのような中、祈祷生活を続けていた母が、また夢を見ました。一羽の鳳凰が天から降りてくるのですが、別の一羽が大地から飛び立って昇っていき、出会うのです。天から来た鳳凰は文総裁でした。母は数年前、文総裁にお目にかかるために大邱に向かう頃に見た夢のことも思い出しました。一対の黄金の龍がソウルに向かってひれ伏している夢です。それがいったい何を意味するのか、一生懸命考えましたが、やはり答えは見つかりませんでした。
ところがある日、母が明け方の冷水浴を終え、誓いの言葉を唱和していると、天の声が聞こえてきたのです。
「天から降りてきた鳳凰は真の父を象徴し、大地から飛び立った鳳凰は真の母を象徴する」
母は夢を解く糸口がつかめてとても喜びながらも、口をつぐんで、教会で毎日精誠を捧げました。私は十六歳になる頃には、教会に行くと信徒たちの視線を感じるようになっていました。そして彼らは私を、「気品があり、容姿も端麗だ」と、称賛してくれるのでした。
「鶴子は、その落ち着きといい、淑やかさといい、まるで名前のごとく、鶴を見ているようだ」「それだけじゃなく、礼儀も正しい。よく見ていると、判断力や観察力も優れている」
北にいる時から、あらゆる困難を経験しながらも、垢の付いていない純粋さとみ旨に対する従順、服従の美徳を身につけることに心を砕いてきたからか、何人かと一緒にいれば、特に目立ったようです。しかし、称賛に浮かれて自分を前面に押し出したり、軽挙妄動に走ったりすることはありませんでした。
文総裁は何より、自身を犠牲にして献身的に歩む、ために生きる心を持った女性を探していらっしゃいました。学歴や家柄、財産、美貌は求めていらっしゃいませんでした。絶対的な信仰を持って、この世界に愛を施せる女性、この世界を救うことのできる女性でなければなりませんでした。
そのような女性を見つけるため、文総裁は聖婚なさらずにいました。宇宙の母となる天の新婦がすぐ近くにいるのですが、時を待たなければならなかったのです。私は天のみ意に気づいていましたが、それを話すことはしませんでした。探し出すのは文総裁の責任だつたからです0
ただ私だけが天の花嫁であることを
しばらくして、呉執事という信仰の篤い信徒が、鐘路区楽園洞の商店街にある服屋に、裁縫を手伝いに行くことがありました。服屋の主人は「祈祷おばあさん」と呼ばれている元老信徒で、男性用の服を一着作っているところでした。呉執事はその横に座ってミシンを動かしながら、何の気なしに尋ねました。
「誰の服を作っているのですか?」
「文先生の服だよ。約婚式の時に着る服」
彼女はびっくりして聞きました。
「花嫁が決まったんですか?」
「日にちは決まったけれど、新婦はまだ決まってないのよ。でも、いずれにしても式は挙げるわけだから、あらかじめ服を作っておくの」
呉執事は、「いったい新婦になるのは誰なのだろう?」とあれこれ思い浮かべてみましたが、ピンと来る人はいませんでした。
ところで、彼女は祈祷の最中によく神様の声を聞いたり、啓示を受けたりする人だったのですが、その日も祈りを捧げている時に啓示を受けたのです。
「エバが十六歳で堕落したのだから、天の新婦は二十歳を超えてはならない」
一九五九年の秋のことでした。呉執事は、真の母を迎えるために七年もの間、精誠を尽くしていたのですが、その時、ようやく天のみ意を悟ったのです。
「神様!天の新婦は、本当に二十歳前でなければならないのですか?」
何度も尋ねているうちに、一筋の光のようにひらめくものがありました。
「十六歳くらいの子に、韓鶴子がいる……。私はどうして、そばにいながら気がつかなかったのだろう!」,
夜十時過ぎ、仕事を終えて家に帰るため、鷺梁津行きのバスに乗り、漢江を渡っている時に起こった天の役事でした。
「鶴子がなる!」
「鶴子がなる!」
天の啓示は、秋の夜空から、波のように何度も押し寄せてきました。午後十一時を回っていましたが、呉執事は驚梁津にある私の母の家に足を運びました。
「順愛、寝てる?」
「まだよ。入って」
「あなたの娘は何歳だったかしら」
唐突な質問に、母はいぶかしそうに呉執事を見つめました。
「こんな夜中に来て、私の娘の年をなぜ聞くの?」
「いいから、早く答えて」
「今年、数えで十七歳よ。満十六歳」
「誕生日は?」
「一九四三年の陰暦一月六日。文先生と同じ誕生日で、寅の刻に生まれたわ。いきなりどうしたのよ」
呉執事は、母が北の故郷にいる時から共に信仰を持ってきた同志であり、友人でした。もともと、母親同士(興執事の母親と趙元模女史)が非常に仲の良い間柄だったので、本当に長い付き合いだったのです。母が教会の仕事をしすぎて体を悪くした時も、吳執事は鷺梁津にある自分の家の向かい側に、母の住まいを用意してくれました。