平和経 第23話
13.神様の祖国と一つの世界
日付:二〇〇二年十月十六日
場所:韓国、京畿道、九里市、中央修練院
行事:天上地上和合統一大会
全国から集まった宗教界、政治界、学界の指導者の皆様、そして高名な平和大使の皆様。きょう皆様は、平和世界に対する希望を抱いてこの場に集いました。私は、この意義深い席において、「世界平和超宗教超国家連合」の創始者として、神様が本来理想とされた「神様の祖国と一つの世界」に関するみ言をお伝えしようと思います。
今日、この地上に生きている人間たちは、神様があらかじめ告げてくださった神の国と神の義を見つけることができずにいます。ですから、神の国と神の義を探し出すことが、今日の私たち人類の希望であり、また今まで数千年の歴史過程において生きては去っていった人間たちにとっても希望だったことを、皆様は知らなければなりません。
それでは、このような希望の神の国、希望の神の義が、どうして私たちの最後の目標として残されるようになったのでしょうか。それは、人間が堕落したからです。人間始祖の堕落によって、神の国と神の義の中心となる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場におかれるようになりました。すなわち、神の国と神の義の中心である父と家庭、そして国家に関して詳細に知らない人間に転落してしまったので、神様は、そのような無知に陥った人類を悟らせ、その父と家庭と国家がどのようなものかということを教えるために、今まで歴史路程において苦労してこられたのです。
ですから、神の国と神の義を探し立てることが、いまだに私たちの希望として、また目標として残るようになったのです。この世界には、現在数多くの国が存在しています。しかし、その多くの国々の中で、神様から本当に愛を受ける国は一つもありません。したがって、このような堕落世界を否定して、新しい神様の国を再び創造しなければならないということが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的なのです。それで神様は、歴史を通して国を探し求める摂理をしてこられたのです。国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は成し遂げられないからです。真の宗教を中心とした真の国家が存在しなければなりません。したがって神様は、ある一時を迎えて特定の国を探し出されました。それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とした歴史でした。
皆様が望まれる神の国とはどのような国ですか。その国は、今日、皆様が暮らしているこのような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神の国がありません。国のない人には本籍地がありません。
国がなければ国籍をもつことができないのです。国がなければ入籍できる基盤もないということです。ですから、現世において私たちがすべきことは、国を探し出すことです。この地上に天の国を編成し、その国籍をもって国を愛し、民族を愛する真で善の父母の血統を受け継いだ勝利の息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を導いて暮らしたのちに死んでこそ、天上世界の天国に入っていくことができるのです。それが原理です。
国があって初めて、千秋万代の私たちの子孫の前に、そのまま残してあげられる伝統も残るのであり、私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、天の苦労を祝賀する記念塔がこの地上にできるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、国を探し立てることができなければ、すべて無駄になるのです。ですから、神の国を探し立てることが最も重要な問題であることを、皆様は知らなければなりません。「私たちの家庭は、真の父母様の愛を受ける国を守る家庭だ。したがって、私が真の父母様の前に孝子となり、国家の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を、いつももって暮らさなければなりません。真の父母の愛を受けて、神様の愛を受けなければならないという意味です。
しかし、神様の愛は、国がなければ受けることができないのです。サタンの王権に勝利したのちにこそ、天の国が成立するからです。私たちは、神の国を仰ぎ慕います。それは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越して永遠の愛が存続できるところです。また、自分自らが誇れるところであり、自己の価値を一〇〇パーセント認定されるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。ですから、人間は、天の国を慕い、憧憬するのです。
私たちが行かなければならない道は、心から行きたいと思う道であり、私たちが探し求め、築かなければならない国は、永遠に暮らしたいと思う国です。私たちが所有すべき財物は、天宙のものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。また、私たちが泣くときには、天地が共に泣くことができ、私たちが喜ぶときにも、天地が共に喜ぶことができる権威と知識をもたなければなりません。これが、今日の堕落した人間たちが現世において追い求めなければならない、最高の望みであり、願いなのです。
人は誰でも、自分の国で暮らさなければなりません。それは、人間に付与された絶対的な条件です。一人残らず、神の国と神の義のために、希望に満ちた義の生活をしなければなりません。思いで理想郷を描き、生活で義の法度を立てながら、神の国と神の義のために生きなさいというのです。
皆様には、そのような国がありますか。ないので、その国を探し求めて築かなければならないのではないですか。その国はどのような国だと言いましたか。理想の国、統一の国です。万民が行くことのできる国です。この国を成し遂げるにおいては例外がありません。ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすべて協助するのです。そのようにして個人を統一でき、さらには家庭、氏族、民族、国家、世界を統一できるのです。神様は、摂理のみ旨を必ずこの地上で成し遂げなければなりません。それでは、み旨が成し遂げられた結果とはどのようなことでしょうか。それは、この世界万民が救われ、神様が彼らをすべて主管されるようになることです。そのようになることを願うのが摂理のみ旨とならざるを得ません。
もし地上で国家の復帰を自分の生涯において果たすことができずに死ぬ場合、皆様は、霊界に行っても、天の国に属した人としての価値をもつことはできません。地上において、神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければなりません。それが本来、神様の創造基準だからです。
皆様。私は今、地上に羨むものがありません。世の中のものには関心がない人です。ただ、「神様が保護できるその国において死ななければならないのではないか。私がそのように生きてから逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。死ぬ前にその国を探し出し、一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが私の願いなのです。
そのような一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいるのです。分からない皆様は休んだとしても、私は歩んでいます。皆様ができなければ、外国人を動かしてでもしなければならず、この国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行かなければならない道です。
皆様。私たちの信仰の目標は、果たして何でしょうか。神の国の民になることです。その国の民になることができなければ、自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛を受ける道が現れないのです。国のない人は、いつも攻撃を受けるようになります。哀れな立場に立つようになります。あえなくやられることがいくらでもあるのです。ですから、神様が願われる国はどこにあるのか、すなわち神様が足場にできる国がどこにあるのか、これが問題です。
私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局、永遠の天の国を築くためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に称賛できる福地国家を築くためです。その国は、神様を中心として、直系の子女たちが天命に従い、すなわち神様の命令と王権をもって治めるそのような国であることに間違いありません。そこには、民主主義や共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、皆様御自身が、そのような国の民になることができなかったという事実が悲痛なことではないでしょうか。私たちは、そのような一つの国をもつことができなかったことを嘆息しなければならず、そのような国で暮らすことができないことを嘆かなければならず、そのような一つの不変の主権をもつことができなかったことを、悔い改めなければなりません。
そのような主権と国と国土を立てるために、人類は、歴史を通して主権国家を立ててきました。その過程で、数多くの人が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交替してきたという事実を、私たちは知っています。そのように犠牲になった数多くの人たちの中で、天の側にいる人々、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての哀しい霊人たちは、いつかはそのような国、そのような世界が成し遂げられることを願うに違いありません。人類が堕落したのち、歴史は、神様が主管されるのではなく、サタンが主管するようになったのです。
しかし、本来この世の中の主人は、神様がならなければなりませんでした。神様と愛の関係を結んだ直系の子女、その子女たちによって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成し遂げられていたならば、それこそ神様が主管される世界であり、神様が主管される国であり、神様が主管される家庭であり、神様が主管される個人になっていたでしょう。ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界であることを知らなければなりません。したがって、この世界をそのままにしておけば、神様が創建しようとされた創造理想の永遠な愛の世界を築くことができず、また、絶対者であられる神様が、本来意図された創造理想を実現させてこそ、神様本来の権威を取り戻すことができるので、その立場を標準として悪の世界を収拾し、本来理想とされた本然の世界に導いていかれるのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理です。
しかし、この地には、堕落主権の国は多くありますが、神様が望まれるその国は一つもありません。神様は、御自身のみ旨を成し遂げることのできるその国を立てるために、人間が知らない中で、歴史を通して時代を動かしてこられました。神様は、一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管しようという望みをもってアダムを造られ、完成に向かって育てていかれました。ところが、アダムの堕落によって一から始まった歴史は、四分五裂してしまったのです。これを収拾して連結していくのが救援摂理歴史です。アダムは、すべての人間の先祖なので、アダム個人を失うことは、全体を失うことと同じです。したがって、これを再び呼んで立てなければなりません。再び立てられるその方は、氏族と民族と国を放棄して忘れてしまうことができる、つまり、神様のみ旨のためだけに生きていく人でなければなりません。
皆様。すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成し遂げようとする共通した目的をもっています。皆様もよく御存じのキリスト教の歴史をその代表的な例として、一度見てみましょう。ノアは民族的な環境に置かれていても、そこに属するのを望まず、国に属していましたが、その国に縛られずに自分が希望していた国を探していきました。彼は希望の国を探し立てるために、あらゆる試練と逆境を経なければなりませんでした。ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨を追求していった人です。ノアに託された神様の願いは、神の国と神の義を求め、個人的な環境を克服していくことでした