自叙伝 人類の涙をぬぐう平和の母 第1話序文

アフリカの赤道付近に位置するサントメ.プリンシぺを訪問し、「神国家の祝福」という長年

の宿題を終えた私は、しばしの休息を取るため、セーシェルという小さな島国を訪れました。

エメラルドグリーンに光る海から、まるで挨搂をするかのようにザブン、ザブンと打ち寄せ

ては引いていく真っ白な波を眺めながら、私は海辺を歩きました。白い砂浜の温もりと柔らか

い感触が、足の裏から伝わってきます。澄み渡った空と心地よく吹きつける風。暖かな日差し

を背に受けながら、私は心から平和を感じました。そして、人間の手垢が付いていない太初の

姿を残す風景を見ながら、このような祝福を無条件に下さる神様に思いをはせました。

神様は御自分の子女として創造した人間に、何の見返りを求めることもなく自然万物をお与

えになり、共に平和な生活を送ることを望まれました。もし、ただ一つ願いがあったとすれば

、それは神様が私たちの父母になられることでした。しかし人間始祖の堕落により、神様は最

も愛した御自分の子女も、御自分の万物も、みな失ってしまったのです。

韓国ではよく、「子を失ったら胸に埋める」と言います。ある日突然、自分の命よりも大切

な、愛する子供を失ってしまったら、親としてそれ以上の苦痛はないでしょう。神様もまた、

子女である人類を失い、まるで気が触れて髪を振り乱したかのような姿で、歴史をかき分けて

こられました。喜びと栄光の神様ではなく、悲しみと絶望、恨(願いがかなわなかったことに対す

る無念な思い)の神様となられたのです。

しかし、神様は人類の真の父母であられるがゆえに、失った子女をそのままあきらめること

はされません。愛なる神様であられるがゆえに、御自分の子女を捜し出し、再び懐に抱かなけ

ればならないのです。そうして、太初に夢見た平和理想を実現されなければならないのです。

神様の願いは、人類の真の父母になり、「神様のもとの人類一家族」理想を実現することで

した。「父なる神」だけでなく、「母なる神」、すなわち「天の父母様」となり、個人、家庭

、氏族、民族、国家、世界が神様を父母として迎え'神個人、神家庭、神氏族、神民族、神国家

、神世界になるように導くことでした。

しかし、人間始祖の堕落によってこのような天の父母様の創造理想実現は延長され、「天の

父母」の立場ではなく、神様の男性格である「天の父」の立場を中心とした、男性中心の歴史

が展開されたのです。西洋文明の根幹を形づくったヘレニズムとヘブラィズムも、みな総じて

男性を中心とした歴史を綴ってきました。したがって、神様の女性格である「天の母」の立場

は隠され、神様は「天の父母様」になることができなかったのです。西洋社会で起こったフエ

ミニスト運動が、男性による支配に対抗する単なる革命運動になってしまったのも、このよう

な西洋における神様の存在論的な立場と関係があります。

このような理由から、私はこれまで、天の父母様の本然の立場を取り戻してさしあげるため

に、そして、耳があっても聞こえず、目があっても見えていない人々のために、東から西、

南から北へと地球の至る所を回り、天の摂理の真実を伝えることにすべてを投入してきました

。#嵐が吹き荒れ、一寸先も見えない砂漠の真ん中で、一本の小さな針を探すような、切実で切

迫した心情で、天の摂理の真実を伝え続けたのです。真実を理解できずに反対し、非難する人

々を子女として抱き寄せながら、世界を抱くために一心不乱に歩みました。

真の愛を抱いている私の胸のどこにも、非難と迫害、反対と蔑視によって受けた傷はありま

せん。二0.1九年の一年だけでも地球を何周も回り、私を必要としていればそれが奥地であれど

こであれ、駆けつけました。口の中がただれ、足がむくみ、立っていることすらできない困難

がありましたが、休むことはできませんでした。この道を歩むことを決心し、「いくら天のみ

旨が大変でも、私の代でこの不幸の歴史に決着をつける」と神様に約束したからです。

そのようにして、世の中の隅々まで熱心に訪ねていると、人々が私のことを「平和の母」と

呼ぶようになりました。国家の首脳、宗教のリーダーたちが、国や宗教の壁を超えて私を「平

和の母」と呼び、ついてきてくれるようになったのです。私には、たとえ肌の色は違えども

、「平和」の名のもとで母子の縁を結んだ息子や娘たちが大勢います。黒人の息子も、白人の

娘もいますし、ムスリムのリーダーをしている息子も、キリスト教のメガチャーチのリーダ

―をしている娘もいるのです。また、国家の首脳として働いている息子たちも数多くいます。

みな、「平和」の名のもとに母子の絆を結んだ間柄なのです。

彼らはそろって、私を「平和の母」として証しし、自らの屆や、宗教団体に恒久的な平和を

もたらすための祝福を授けてくれるよう、私に願います。私はそんな彼らに、いつも「天の父

母様」のことを話します。そして、「天の父」の名のもとに隠された「天の母」について、「

独り娘」という、私のもう一つの名を通して話すのです。父母なくして、兄弟間の平和はあり

得ません。父母こそ、兄弟の中心だからです。人類の父母であられる神様なくして、この世界

に真の平和は訪れません。私はこの時のために、今まで生きてきました。

天の摂理の最後の時、神様は女性である「母」を中心として摂理を展開していらっしゃいま

す。そして、その母を中心とした摂理は今、太平洋文明として結実しているのです。人類文明

史を見ると、ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川などを中心として発達した河川文明は、

ギリシャやイタリアを中心とした地中海文明へと移り、やがてイギリスやアメリカを中心とし

た大西洋文明へと移ってきました。その大西洋文明からさらに移動して、最後に、太平洋文明

として実を結びつつあるのです。

その中心には、独り娘が誕生した大韓民国があります。ですから大韓民国は、天の祝福を受

けた国であり、韓民族は天に選ばれた民族です。これこそ天の秘密であり、天の摂理なのです

太平洋文明は、キリスト教に根を下ろしながらも略奪と征服を繰り返す文明に転落した大西

洋文明圏のようになってはなりません。利己的な文明ではなく、ために生きる真の愛に基づい

た利他的な文明圏を築き、安着させなければならないのです。それが神様の最後の願いです。

私は残された生涯を、神様のこの願いをかなえてさしあげるためにすベて捧げる覚悟です。

本書には、このような私の生涯の一端が記されています。「独り娘」の名で、神様を「父母

」として侍るために生きてきた人生を振り返り、私の率直な思いを初めて、この本に込めまし

た。どうしても入り切らなかった内容は、次の機会にお伝えできることを願っています。

本書の執筆を終えつつある今、ひときわ、慕わしくなる方がいます。夫婦の縁を結び、共に

生涯を神様のみ旨をかなえるために生きて、八年前に天の国に召された私の愛する夫、文鮮明

総裁です。.もしこの本が世に出るのを御覧になっていれば、誰よりも喜ばれたことでしょう。

その夫の眼差しが、きようはひときわ、私の胸を熱くするのです。み旨のために共に歩んだ私

たちの生涯が、本書を通して、世の中に正しく伝わることを願ってやみません。

.最後に、本書が出版されるまで多くの精誠を注いでくださった金寧社の高世奎社長と出版関

係者の皆様に、心から感謝の意を表します。そして、私の手となり足となり、本書のために多

くの汗を流した天正宮博物館や世界本部の責任者と関係者にも、感謝の気持ちを伝えたいと思

います。

二〇一一〇年二月、韓国.京畿道加平群の孝情苑にて

Luke Higuchi