平和経 第22話

自由と平和の前提条件は統一

自由や平和は、統一を前提条件としています。夫婦間の生活について一度考えてみてください。二人が一つになっていないのに、真の意味で夫婦の自由を享受できるでしょうか。夫婦が一つになれなければ、円満な家庭は期待できないのです。家庭の平和は、絵に描いた餅になってしまうのです。

個人や家庭はもちろん、世界的に「愛を受けるのではなく、愛を与えよう」と考えられる人を育てておかなければ、統一の世界や平和の世界は訪れることはありません。変わることのない神様のみ前に、いつでも心変わりするような人になろうというのは神様に対する冒瀆です。変わることのない愛の前に、変節を前提とした愛を行うことは愛に対する冒瀆です。

私たちは、神様と苦楽を共にできる基点、すなわち変わることのない頂点において、自分の心に平和の基盤を用意し、さらには自由と幸福の基盤を用意できる基準を備えなければなりません。そして、その基準を中心として体を完全に主管し、この世界を統一できる実力を備えていく運動が、この地上で展開されなければならないのです。イエス様がもたらした新しい世界主義運動が、正にこのような運動なのです。これこそ、今日このように混濁した世の荒波をかき分けて生きていく人類の前に、神様が最後の終末的警告として下さったみ言だということを銘記しなければなりません。これは、私たち全員にとって宿命的な課題です。運命的ではなく、宿命的なのです。宿命は変わらないものです。運命は自分の努力によって改めることも、変更することもできますが、宿命は変更できません。絶対に逃れられない天命です。

皆様。私たちが人生を生きながら、誰でも一度は平和の起源、あるいは幸福の起源がどこなのか、という疑問をもったことがあるはずです。果たして平和と幸福の起源はどこでしょうか。それはアメリカでもなく、韓国でもなく、国連でもありません。問題はどこにあるのでしょうか。心と体が闘うこの人間の胸の中で、いかに平和の宇宙観をもち、幸福な世界観をもつかということが、限りなく重大な問題なのです。

私たちの小さな胸の中では、六千年続いてきた戦争の砲火がいまだに燃え上がっています。第一次世界大戦も激戦であり、第二次世界大戦ももちろん激戦でした。しかし、そのような戦争は、すべて過程的な戦争だったのです。長くて五年を越えることのない戦争でした。

ところが、皆様自身において展開する心と体の闘争は、終わりも知らずに破滅に向かって走っていく最悪の戦争です。自らの一生に向かって大砲を撃っています。心と体の決戦場は、神様とサタンとの善悪の戦場となり、熾烈な激戦が展開しているのです。

しかし、このように霧の中に閉ざされ、垣根の中に封じ込められた人間像を、果たしていかに解放するかということが問題です。霧を吹き飛ばしてしまう風が吹くようにしなければなりません。高い天も恐れずに立ち塞がっている壁を爆破してしまわなければなりません。これが私たちの宿命的闘争路程です。

睡眠を主管しなければならず、食欲を主管しなければならず、非原理的な性的欲望を克服しなければなりません。それで、文総裁は、早くからこの道を出発しながら「宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ」という標語を掲げて、一生の間、闘ってきたのです。

聖書では、今日の人類を「孤児」と言いました。国家も「主人がいない国」と言いました。皆様の心は、ほんの一時でも真の平和を享受したことがあるでしょうか。皆様の国には主人がいるでしょうか。

昨今の政治の現実を見てください。この国、この民族を真に愛し、生命を捧げて統一を成就しようとする真の愛国者をどこに見いだすことができるでしょうか。心の病にむしばまれていくこの国の若者たちを救ってあげる思想や理念を、誰が提示できるというのでしょうか。実に切なく、悲痛な思いを抑えるすべがありません。このようなことは、すべて私たち個々人において、一心一体一念の基準を立てることができていないことに由来するものです。心と体の統一なしに、いかに家庭の和睦や国家と世界の平和を願うことができるでしょうか。

私たちの本心が平和と幸福と統一を願うのは、永遠不変の真理です。しかし、問題は私たちの肉身です。心を包んでいる器なので、好き勝手に脱ぎ捨ててしまうこともできず、時々刻々と色合いも、方向性も変わってしまうこの体を、どのように扱うかということが鍵です。

堕落人間の体はサタンの王宮です。それで、使徒パウロも、「わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ七・二三、二四)と嘆きました。

私たち自身を深く見つめてみれば、善と悪の二つの目的を指向する要素が内在しているのを発見することができます。善を指向する心があるかと思えば、正反対に悪を指向する体があります。これを解決できなければ、歴史的に怪物のような怨讐である体は、いつまでもそのまま残り、永遠に私たちを苦しませるでしょう。使徒パウロの嘆きも、正にこの点を指摘しているのです。

心身一体を通した人格完成

皆様。世界平和を成就する道は、戦争ではありません。お金と権力と知識もその解答ではありません。国連の力でもできません。利己的な個々人の欲望と自国の利益にばかり血眼になっている国連の舞台では、何も期待できません。

私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。

世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、闘っている自分の心と体を統一させるところにあるのです。人間の心と体の分裂が拡大すればするほど、それに従って葛藤と苦痛も大きくなります。私たちの心は、神様の監視所であり、体はサタンとの一線です。したがって、私たちは、心と体の不一致を狭め、衝突を避け、ついには一つに統一させなければならないのです。私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するためには、私たちに真の父母が必要です。選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を除去してくれる真の父母に会わなければなりません。真の父母に会って真の愛の真理を受け継ぎ、ために生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。

皆様。世界を一度注意深く見てみてください。小さくは夫婦間の葛藤から、大きくは国家間の衝突と戦争に至るまで、推測できないほど多くの問題点を抱えています。そこには、原因と理由も限りなく多く存在します。しかし、その根本を掘り下げてみれば、男性と女性の問題に帰結されます。いくら大きな問題でも、調べてみれば結局、男性と女性の問題に集約されることは否定できません。人類の出発は、本来男性と女性の関係から出発したのではないですか。家庭での不和が拡大され、各種の社会問題と国家、世界の問題にまで広がるのです。したがって、すべての家庭で、すべての社会と国家で、そして世界的次元において、男性と女性に関わる問題さえ完全に解決して、一つの標準型をつくっておくならば、世界は、一つになった平和世界、すなわち創造本然の理想世界になるでしょう。

神様は、本来私たちの始祖であるアダムとエバを中心として、この地に真の平和の世界を定着させようとされたのです。彼らがもし堕落せずに神様のみ旨どおりに成長し、人格完成していたならば、神様の祝福とともに、彼らは真の家庭を築き、罪悪と苦痛のない理想天国を創建したでしょう。

その世界が正に永遠の平和世界になったのであり、人類は、子々孫々神様の直系の子女として、神様と直接交流することはもちろん、先に霊界に行った先祖とも自由自在に往来しながら交流し、幸福な人生を享受したのです。罪を犯そうとしても犯すことのできない絶対善主権の世界になったのです。そのような世界で、どうして心と体の葛藤を想像することができ、家庭の不和を心配できるでしょうか。数千年間、天と人類を弄んで蹂躙してきた悪魔サタンが出現するようなことはあり得ないのです。このように、最初のボタンをかけ違えた人類歴史ですが、天は私たちをお捨てになりませんでした。失ってしまった子女を取り戻す復帰摂理に、六千年問心血を注いでこられたのです。ただの一度も、御自身の人間創造を後悔したり、サタンに翻弄され挫折したりすることなく、ただ一途に、真の愛と許しの心情で復帰摂理を展開してこられたのです。

きょう皆様がこのように、貴いみ言を通して、神様に対してより深く学び、知るようになったということは、偶然ではありません。この場まで皆様を導いてきた天と先祖に対して、感謝する心をもたなければなりません。今、私たちの最優先課題は、心身の一体化を通じて私たち自身の人格完成を成し遂げ、サタンの支配下で四分五裂した家庭を収拾して、真の家庭を探し立てることです。上は一代目の位置にいる祖父母に対して天のように侍り、二代目の父母の前に絶対服従しながら、三代目の立場に立った子女たちは、絶対夫婦となって、子女を罪なく純粋に養育し、一つの家庭において三代家庭圏を立てるようになれば、天はその家庭と永遠に共にあるようになります。皆様の家庭は、神人合徳の境地において、人類に永遠の平和と幸福をもたらす揺籃となるでしょう。

皆様。本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。しかし、今日この地上の多くの人々は、心とは何であるかを知らないまま生きています。心自体が、神様の愛を中心として安息するための、自分の人格形成の基盤だということを知らずに生きているのです。この心の中には、神様も迎え入れることのできる余裕があります。どのような人でも正しい心をもつようになれば、万民を一度に平和の王宮に移したいと思うのです。私たちの心と体が闘うことなく真の統一の起源を形成できる可能性をもっているのは、人間が神様に似た子女だからです。

神様の最後の警告を深刻に受け入れるべき

絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤はありません。神様は、男性性相と女性性相の中和的存在でありながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造になっているのと比較することができます。神様は、自体内に、絶対的でかつ完全な統一を形成して存在していらっしゃいます。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似た子女として創造された人間も、心と体の完全統一を形成できるというのは、論理的にも可能な説明です。ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。

堕落した人類を救おうとする神様の愛は、歴史的に多くの宗教の出現として現れました。悪の勢力がはびこる世の中で、心が体を一〇〇パーセント治める生活を営むということは、ほとんど不可能なことです。したがって神様は、歴史的に、時代や文化、そして地域的な環境や条件を考慮して、必要適切な宗教を許されたのです。そして人間は、宗教の教えに従って、心を中心とした人生の道を一つ一つ開拓してきました。現実世界に執着せず、永遠の世界に希望をおいて生きる道を学んできました。キリスト教を見ても、現実世界に焦点を合わせて生きなさいとい宗教えはありません。この世で裕福に暮らすために、利己主義的な生活を送ってもかまわないとは教えないのです。必ず心の世界における平和を強調するのです。

「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七•ニー)と説いているのが、その良い例です。ここでいう天国論は、この世的な豊かさと権力を意味するものではありません。仏教でいう「天上天下唯我独尊」も同じ脈絡で理解することができます。宗教によってその方法は異なるかもしれませんが、一様に人間に希望をかけて自らを省察しながら、心が体を主管して生きることができる道に導くことが、宗教の使命でした。このように神様は、六千年間という長い歳月の間、宗教を通した人類救済の摂理を展開してこられましたが、どの宗教指導者や聖人、賢人も、どのようにすれば私たちの心と体の葛藤を克服し、永遠の統一と平和を成就できるかを明らかにして教えることができなかったのです。どうしたら心を中心として体を完全に征服できるのか、ということについて教えることができませんでした。

人類は、平和の基盤を見いだすことのできるところ、すなわち、父母が永遠に一つになり、夫婦が永遠に一つになり、兄弟が永遠に一つになり、父母と子女が永遠に一つになり、一族が永遠に一つになる心と体の統一点を提示できなかったのです。しかし、今や時が来ました。天が待つことは終わりました。私たちが生きているこの時代こそは、人類が歴史的に迎えた終末の中の最後の終末期です。天はもうこれ以上、人類救済の摂理を延長することも、延期することもできなくなりました。天と地が待ち望んできた人類の真の父母が、今やこの地上に顕現して、すべての貢任を一人で負い、復帰摂理を成功裏に遂行しているからです。混沌と放蕩によってもつれたこの世界に、本然の真の愛の秩序を立てているのです。

皆様。「信じる者は、幸いである」という言葉があります。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、正にその真の父母なのです。今、人類に平和を約束できる思想体系は、文総裁の説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も失敗しました。残るのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命と、真の愛を基盤にした「天父主義」だけであり、神様の対象である自分が、神様より高い価値をもった存在であると誇れる自分自身を発見することです。ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永生の地上、天上天国が連結されるのです。

霊界のメッセージの忠言

私たち夫婦は、人類の真の父母の資格をもって、既に全霊界を統一しました。四大宗教の教祖であるイエス、釈迦、孔子、ムハンマドはもちろん、彼らの高弟級の百二十人ずつからメッセージを受けています。霊界で開催されたセミナーを通して、私たち夫婦の教えである「統一原理」と「統一思想」を学んだのちに送ってきた彼らのメッセージは、一様に希望的であり、真の父母に対する感謝の言葉に満ちています。さらには、マルクスとレーニンをはじめとして、霊界に行っている世界的な共産主義者たちも、真の父母の命令に従って「原理セミナー」を修了し、悔い改めと痛恨の涙で綴ったメッセージを送ってきています。

今、彼らの希望は、ただ一つです。それは地上の信徒や信奉者たちが、一日も早く、真の父母である文総裁の教えを受け入れ、永生のために準備しなさいというメッセージです。つかの間の地上生活で、貴い一生を浪費せず、誰もが肉体を脱げば入っていって永遠に一緒に暮らすことになる霊界での生活のために、知恵深く準備して来なさいという忠言で満ちています。

皆様。これは何を意味するのでしょうか。第一に、老若男女、地位の高低を問わず、全人類は今、神様が実際に生きて働いていらっしゃるという、厳然たる事実を信じなければならないという点です。観念的にのみ信じて暮らす神様であってはなりません。私たちの一挙手一投足を、燃える炎のような目で見守っていらっしゃる神様であられます。

御自身の懐を離れてサタンのもとへ行った人類が、悔い改めて再び御自身の懐に帰ってくる日を待っていらっしゃいます。放蕩息子になって離れていった子女が、懺悔の涙とともに父の懐に帰ってくる姿を思い描いていらっしゃいます。いまだに地上にとどまって人類復帰のために血と汗と涙の道を歩んでいる真の父母様を慰め、真の父母様に侍りながら生きてほしいというのが神様の願いです。終末期であるこの時代に下さった神様御自身の警告を深刻に受け止め、誤った人生の軌道を修正し、後悔のない生活を送ることを願っていらっしゃる神様であられます。

第二に、霊界の実在を事実として受け入れ、私たちの生活すべてを天倫に合わせて生きなければならないという警告です。前進的自我を発見し、前進的主体性を探し立てて、この地上に平和世界を定着しなさいというむちとしてのみ言です。神様が見守り、数千、数万の聖人や賢人、そして皆様の先祖が、皆様の日常生活を注視していることをはっきり悟るなら、誰があえて天倫から外れた生活をすることができるでしょうか。

今からは、遠からず皆様も霊的な体験をすることになるでしょう。皆様の先祖が動員されて、皆様の生活と考えまでも直接監視し、指導する時が来ました。私たち夫婦の教えを信じて従う多くの統一信徒たちは、既に生活の中でこのような境地を経験しています。

愛する祖国の同胞の皆様、そして本大会を見守る世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。人類の真の父母であるメシヤが再臨したこの時代、韓国と北朝鮮が銃や剣ではなく、愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖人と賢人と先祖が降臨し、直接私たちと交流しながら暮らすことになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に恵まれた人たちです。

今後、全人類は、人種と理念、そして国境を超越し、平和の世界を創建するに当たり、召命された責任を果たしてくださることを促しながら、きょうの私のお話を終えようと思います。神様の限りない祝福が皆様の家庭と国家に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

Luke Higuchi