天聖経: 第486話
第十三章 平和メッセージ6
6. 二〇〇五年元旦の祈り
愛するお父様!天一国四年を今送り、新しく天一国五年を迎えました。あなたの苦労に満ちた蕩減復帰の歴史が、最終着点に向かって、韓国の地、清平聖地のこの場まで訪ねてこられる道が、どれほど難しく、畏れ多いものであり、苦痛と涙ににじんだ歴史だったかということを知っております。今、その道をすべて終え、超宗教超国家連合を中心とした天宙平和王国時代を宣布いたしました。今から地上では、神様を父母として侍り、真の父母を父母として侍り、内的父母と外的父母を一体化させることができる、一つの新しい起源が用意されました。その位置を乗り越えていくために、歴史路程のたくさんの希望の心情を心深くに秘め、環境を開拓して再創造の理想的愛の園を慕い求めてこられたお父様の孤独な生涯を、この息子はよく知っております。
取るに足らないこの息子を韓国の地に送られ、数千年歴史の背後の関係を、相対的条件を誰も知らないなか、無形の主体であられ、主人でいらっしゃるお方が、無形、有形の相対的な形態を備えることができない無形の位置から、形体を備えることができるよう、再度出発するために、受難の歴史の背後において、困難な道を歩んでこられたことを思いますときに、お父様、畏れ多いものでございます。
この地上に多くの民族が暮らし、多くの国家と家庭がありましたが、多くの男性と多くの女性がいましたが、あなたの心の奥深い所にある息子、娘を追慕し、思慕する深い心情に相対し、気高く貴い心情に対し得る相対の一人がいなかったことが恨だったことを、この息子はよく知っているのでございます。
男性を取り戻し、女性を取り戻すべきお父様の心情の切なさを、息子も分からず、サタンもその限界線を越えてどうなるかも分からず、あなただけが御存じの混迷したその一境界線を越えるために、息子を求めて億千万世の無限な歴史的恨の道を、果てしない恨の道を、常に同じ心情を抱いてこられました。そのようなお父様の天的な様相を、誰も知らないこの天地の中で、七千年の歴史の背後において、中原天地の大陸を往来しながら、韓国の地で安息できる道を訪ねてくる時まで、受難の歴史を経てこられたことを、この息子はよく知っております。
きょうこの場に立ったこの息子の姿はみすぼらしく、今まで恨の歴史の陰に生きてきた、王権を失ってしまった敗者の悲しみの道を、誰よりもよく知り、王国の王権の子女に引き継いであげることができず、王権自体を失ってしまわれたお父様の心情に、どれほど恨が多かったかということを知っております。
お父様!数多くの人類と、数多くの国と、数多くの個人と家庭を見つめるたびに、そのすべては、あなたの愛の一つの願いの花として咲いた灯火にならなければならず、その国と世界は、太陽と月のように輝き、万有の生命自体を動かしていける同調同役的な主体にならなければなりませんでした。それを失ってしまわれたお父様は、暗い心の陰の中に独りお座りになり、囹圄(牢獄)の身として息子を求めて、千里遠程の道を孤独、単身で歩まれ、遠い終わりの日に取り戻すべき息子の姿を慕いながら、その慕う歴史の期間が、一日や二日ではなく、数万年を越えてこられ、宗教圏を中心として四千年という歴史を立ててこられました。
その峠をたどってくる道には、サタンが行く道の前に、あらゆる困難な道を開拓すべきなのであり、地上の人間たちが誰も願わない生死の境をさまよいながらその道を開拓し、自由の境界線を越えて御自分の姿を姿勢として、創造した本然の万物、万象の前にも恥ずかしい姿を越えていくことができなければなりません。そうして、万物の主人として立てるための歴史の事実を回想しながら、未来の一点の灯火となり、月の光となり得る息子を願われたその心の前に、今、天一国四年を送り、天一国五年を迎えるこの時間におきまして、畏れ多く身の置き所がない心では、お父様に対することができません。
今この地上には、超宗教超国家連合を中心として平和の王権を樹立された王権戴冠式を成就するために、蒙古斑同族圏を越え、蒙古斑血族圏として一体化しなければなりません。そのようにしなければ、アダム家庭において殺戮戦が起こったカインの、サタンの血縁たる因縁の敗亡的な陰の前にアダムの理想家庭、アダムの理想国家、アダムの理想天国は、暗い陰によって覆われてしまいます。
その世界に新しい朝の光明な、鮮明な太陽の光を迎え、天地の主人と共に愛する心をもたなければなりません。ペアでつくられたすべての万物を、再びこの上なく小さな鉱物世界から植物世界、動物世界、人間世界だけでなく、天地が共に一体圏の愛に和合できる同苦同楽同生解放的安息圏を慕われたお父様の心の前に、千世、万世に傷を負わせた人類の先祖たちを、この息子は、再びこの時間、この場に立って赦しを願い求めざるを得ません。
天宙に責任をもってこの息子を立てられたお父様の願いの前に、これまで、言い表し得ない受難の道で苦しんだことも、この地上の宗教が責任を果たせず、この地上の国々が責任を果たせなかったからでございます。その果たせなかった責任を背負って重荷に重荷を加えるその瞬間よりも、この息子は、あなたが背負うべき十字架の荷が重くなることを心配し、身もだえした昔の時代を忘れることができません。
お父様!この時間、あなたの深い心情を、この息子が知る以上の深く、高く、広い背後もあることを知っておりますが、その世界を知ろうとすることが不幸であることを知り、知ることが罪になることを知ったがゆえに、黙々と自分のいる所から、あなたのみ前に走っていって、「お父様」と首を抱き締めて呼んでみることができる位置で、耐えてまいりました。それゆえ、あなたの内情的深い陰が解消され得るその日まで、耐える道、忍耐の道、苦痛の道、迫害の生死の境で苦しみながら、あなたの協助の日々を忘れることができません。
お父様!天一国四年を迎える前に、天一国一年一月十三日に神様王権即位式を行った、その喜びの日を忘れることができません。その日に国を備えることができず、天のみ前に立ち得る面目のないこの息子は、祖国であるこの地を訪ね、分別のない子女たちを置いておき、四年間に成すべき召命的責任がどれほど重大かを語られ、信じることができなくても信じるべき立場で、両手を挙げ、お父様のみ前に、四年間で任された召命的責任を完結、完成しようという、責任をもとうという息子、娘の姿になることはできませんでした。
父母となった、罪の根源を植えた悪の父母の根源を超越できなかったこの息子は、その基準を埋め、この子女たちが国を建てるべき、父母を迎えて天理の大道を明らかにし、光明の天地の上に太陽と月が一つになり、天地が合徳して愛の巣で家庭が出発しなければなりませんでした。その場において、真の愛と、真の生命と、真の血統を受け継ぎ得る理想的なカップルの合徳の場を見られなかった受難の歴史が、いかに孤独で、悔しく、憤懣やる方ない恨に満ちた歴史であったかを、この息子が、胸が張り裂けるほど感じるその事実を体験するようになったとき、天の心情がどれほど胸の詰まる事情だったかということを、この息子は知るものでございます。
天一国四年を越えて、この地上に国と宗教の姿も見せることのできないお父様の心情の前に、そうすることのできる解決策を整備できず、少しずつ条件的基盤の上で成しながらこの場まで訪ねてまいりました。国の名だけをもち、機関車だけはありましたが、それを走らせることができず、出発しなければならない道を見つめながら、渡るべき橋と、通るべきトンネルと、渡るべき大洋世界を見つめながら、憂慮の心情を抱いてこの場に出てくるまで苦しんだ、息子の恥ずかしい姿を受け入れてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
避けられない天命をもって生まれたので、仕方のないことを、甲斐のあることとして、希望をもてないことを、希望の事柄としなければなりません。本来、死の場にいる息子が、復活させなければならないという、あなたの全能さを加重しなければならない不可能な場で苦しむその場に、あなたが訪ねてきていらっしゃったがゆえに、今まで歩むことができたのであり、あなたが行く道の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従だけをやり、大声を出せずに、耳打ちでサタンの前に恥ずかしい姿になるのではないかと心配させる、不孝な息子なのでございます。
この上なく不孝な、歴史的な人類の先祖たちを、再びこの場に立てるためには、光明天地の解怨成就をしなければなりません。四数を失い、五数を取り戻して越えていくときに、旧約時代を身代わりした新約時代に、息子、娘をこの地上にメシヤとして送る希望がございましたので、メシヤを迎え得る時代が、四千年を越えて五千年時代を迎えたのでございます。イエス様がこの地上に来て、天の国の整備と地上に整備を完全に果たせずに残していくことによって、二千年の中で、キリスト教の大勢の人が血を流していきました。個人的な犠牲はもちろん、家庭、氏族、国家が敗亡の涙とともに、あなたの正道の場に呼びたてて、退いていかざるを得なかった恨の姿を見て、耐えてこられながらも、もう一度、もう一度、もう一度行かなければならないとして、息子を再び心で呼び、涙を流して苦しまれるお父様の姿を、この息子はよく知るものでございます。
この地上に、忠孝の道理を備え得る孝子一人がいなかったのであり、忠臣の一人、聖人、聖子の家庭がなかったことを成就させなければならないために、できないこともこの息子が果たしていくべき責任だと思い、千辛万苦、苦痛の涙の海を毎日のように泳ぎ、行楽地のように考えなければ行くことができない道でした。あなたの願いの標的として照らしてくださった太陽の光を見つめ、それだけを見つめてあえぎながら泳いだ姿も忘れて訪ねてきたその道が、今、一つの峠を越えるこの瞬間、五年を迎えております。
今から、この地上に、この息子が直系の子女だと誇り得る、地上の祝福を受けた血肉たちの基盤の上に、霊界にいる先祖全体と神様までも地上に呼んで、侍らなければなりません。孝子の家庭、忠臣の家庭、聖人、聖子の家庭になることができなかったこの息子が、一生をかけて教育してまいりました。そうすることのできない立場で、老体をもって青年以上の心をもち、侍ることができなかったこの恨があるので、倒れる瞬間までも、そのようにできる一時を備えるために、地上世界の整備とともに、天上世界を新たに開門しなければならない召命的責任を準備すべき過程を前に残しております。
お父様!この息子がそのような場を経てきながら、あなたが私を慰労した心情が何百倍、何千倍大きかったことを知りながら、私のお父様の、その心を慰労することができませんでした。休むべき場で休むことができず、彷徨する心をもって不足な息子の足らないところを満たしてくださるために、開拓の先鋒の場で激しい風雪をお独りで受けられ、耐えてこられたお父様のみ前に、この時間、心と体が一つになり、ここに立っている妻まで一つになって、お父様のみ前にお祈り申し上げます。
あなたの心と体の闘争が、あり得なかった、この闘争をつくったこの張本人とは誰かというと、真の父母のみ名を汚した、その者であることをよく知っております。私たち二人の体が一身変化の実体となって、あなたの深い心情の中で爆発的に昇ってくる光明の新しい朝に、鮮明な夫婦として、。太陽と月が照らした暗闇を乗り越える光明の天地の新しい起源となりますので、今年から植えてくださり、重大、莫大な責任所行を発表し、天上世界の良いもの悪いもの、すべてを地に来て良いものとして結実させ、これをお父様のみ前に奉献しようと、新しく決心をするものでございます。
ここに集まった世界のすべての人々が、父母様の心情と一心一体一念一核を備え、解放的な自由平安の安息所の上に、天地父母を、一つの家庭から千万の家庭まで、互いにお迎えできる孝子の家庭として、国を越えては忠臣の家庭として、世界を越えては聖人の家庭として、天宙を越えては聖子の家庭の姿として、一貫した忠孝の道理を果たすようにしてください。天が抱き得る安侍日(アンシイル)を中心とした安息の圏に、自由、解放、奔放、すべてのものを自由に指導、消化できる世界として待つ、その慶事のために、今から四年間を通してあらゆる誠心を尽くし、跳び越えられるように祝福してください。
八年以降に訪れる天一国九年、その時には、地上に来た彼らと共に、天上世界と地上世界の境界なしに、地上から天上に自由自在に往来しながら、尋ねることがなく、疑問のない自由解放天地の、本然、本宮の世界の大主権を掌握され、統治できる万世の主人と、万世の父母と、万世の師となるようにしてください。そうして、億千万世太平聖代を享受してくださるようお願い申し上げます。
この息子は、あらゆる至誠を尽くし、その基盤を築くために、老体を引きずってでも、訪れてくる日々を恐れず、過ぎていく月、過ぎていく年を恐れず、力のある限り、越えていけるその時まで、あなたが協助してくださることを願うものであり、頼らざるを得ないこの息子の心を主管して、行くべき行路のすべてのものをあなたが共に、共に、共に指導し、お導きください。
ここに立っているお母様を、お父様、愛してください。これまでも、たくさんの苦労をしました。今、お父様のみ前に孝子の至誠を準備して、家庭において侍る準備をすべきお母様の召命的力が、どれほど重大かということをこの息子は知りながら、訓示できない責任も残っておりますので、今から四年間、残されたお母様として果たすべき五パーセントの責任を、どうか天が、この息子を助けるように、この息子の心が天のみ前に感謝し、お母様の心が天のみ前に感謝し、それが二つの香火のように、暗闇に輝く二つのろうそくの火のようになる、真の父母の道理を完成できるよう、保護、指導してくださることをお願い申し上げます。
年頭のこの日、今、定めてきた標語、内的天の世界と外的天の世界を往来しながら、二つの体が裂かれて傷ついたとしても、その道を喜びで希望を抱いて行くべきこの夫婦の二つの体を一体化させてくださって、あなたの勝利の覇権の位置まで、倒れずに到達できるように祝福してくださいまして、案内してくださることを、不足な私たちが謙遜な二つの心を身代わりして、真の父母のみ名とともに、切に、切に、切に、御報告申し上げながら宣布いたします。アーヂュ。(二〇〇五・一・一)