平和経 第9話
5.ために生きる生涯
日付:一九九一年四月二十七日
場所:ウルグアイ、モンテビデオ国立劇場
行事:カウサ創立十周年記念文鮮明先生歓迎大会
尊敬する貴賓、敬愛するウルグアイの「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」の会員、ならびに紳士淑女の皆様。美しいウルグアイの首都モンテビデオで、皆様と席を共にすることができましたことを、大変光栄に存じます。併せて、私の到着を熱烈に歓迎してくださったウルグアイの国民の皆様にも感謝を捧げ、特別に今日このように貴い場を準備してくださった皆様に、心から感謝を申し上げる次第です。
ウルグアイの「カウサ」創立十周年を記念するこの時点において、皆様の祖国ウルグアイのために、これまで十年間、最善を尽くして働いてこられた皆様の御功労を称賛いたします。特に、南米の中心部に位置し、ラテンアメリカ諸国の中でも重要な役割を担っている、このウルグアイを訪問することになったことは、何よりも意義深いことと思います。
偉大な世界創建のための技術平準化
この美しい皆様の国を、私が直接訪問することになったのは、今回が初めてですが、二十六年前、私が南米を初めて歴訪した時のことが思い出されます。その時から今まで、私はラテンアメリカを忘れたことがありません。過去数年の間、この地域の未来について案じ、特にラテンアメリカの人々の霊的救援に対して深い関心をもってきました。
今やアメリカ大陸発見五百周年を迎えようとするこの時に、私たちは、この大陸の根源がどこに由来し、現在はどのような状況に処しており、また将来はどこへ向かうのかということを、深刻に考えてみなければならない、歴史的で重大な時点に置かれていることに気づかされます。
私は、アメリカ大陸が十五世紀末まで、ヨーロッパの人たちに未知の世界として残されていたのは、決して偶然ではなく、神様の摂理による結果だったと思います。神様は、この大陸を、御自身の摂理のために準備してこられました。初めて大西洋を渡り、この大陸に定着した数多くの人々は、献身的な人々であり、神様を信じ、自由に礼拝を捧げることのできる国を建てたあと、この大陸の原住民にもイエス様の福音を伝え、新しい世界を創建しようとしていた勇士たちでした。
この大陸の原住民と、ヨーロッパから来た定着民との間に、統一と和解が形成されることが、神様のみ旨でした。そうして、新生国アメリカ大陸は、神様の名のもとに、すべての人種を和合させるモデル国家とならなければなりませんでした。しかし、神様の願いとは裏腹に、そのみ旨は成就されませんでした。善良で献身的な人々以外にも、自分の利益ばかりを追求する利己的な人々も一緒に入ってきて定着したのです。正に彼らが原住民を搾取し、蹂躙したのです。甚だしくは、奴隷制度まで生まれ、人種差別の悲劇が発生することになりました。
このように無分別な人々の行為によって、神様の祝福の中で開花すべき新しい文化の基盤が、常に天の祝福の中にとどまっていたわけではありませんでした。国家の形成過程が、キリスト教的な愛の土台においてではなく、敵対感の中で行われた時も少なくありませんでした。このような不幸の出発が生じ、拡大して、今現在も利己心と搾取という単語がなくならずに残っているのです。
ラテンアメリカが全世界に和解と平和の見本を示したいと思うなら、過去の慣習から抜け出し、新しい出発をしなければなりません。スペインから自由を得た日から、ラテンアメリカは、周辺国家間の統一を目指した偉大な夢を抱いてきたのです。
シモン•ボリバルが主張したパトリア•グランデ(大祖国)思想や、他のすべてのラテンアメリカ諸国の建国のために功績を建てた人たちの理念、そしてウルグアイを立てたホセ•アルティガスの志も、ラテンアメリカの国家間の統一を念願するものでした。全世界のすべての国々が、文化的、経済的、政治的方法を通して、より偉大な統一を追求している歴史的な現時点において見てみるとき、ラテンアメリカが今まで培ってきた一つの世界を目指した夢は、より一層大きな価値をもって輝くのです。
このような観点から、私はこれまで「南北米統一連合(CAUSA)」、「中南米統合機構(AULA)」、「世界平和教授アカデミー(PWPA)」、そして「世界平和のための頂上会議」のような組織を通して、ラテンアメリカの夢を側面から支援し、育成してきたのです。これまで数年の間、私は先に申し上げた組織を通して、多くの元大統領や元首相たちを糾合し、彼らと共に、どのようにすれば国家間の協力を増進させ、統一を成し遂げることができるかという点を研究してきたのです。正にこのような目的のために、一九八六年、ここモンテビデオで、ラテンアメリカの十四ヵ国の元大統領たちが「アウラ(AULA)」という名で共に集い、会議を開いたのです。
私は、今日皆様の祖国である、ここラテンアメリカが、平和で豊かな未来を迎えるためには、必ず解決すべき深刻な問題点を抱えていると思います。文化的、経済的、そして政治的に発展を阻害する問題点は、必ず取り除かなければなりません。ラテンアメリカ諸国も、世界的な問題を前に、他の先進諸国のように、同一の責任を感じなければなりません。そのようにするためには、全世界的に、より偉大な世界創建のための技術平準化と思想の自由な交流が実現されなければなりません。
正にこのような目的のために、統一教会は、中国、アフリカ、ソ連、東ヨーロッパ、中東、そして皆様の故郷である、ここラテンアメリカなどで、より肯定的な世界的発展のために働いてきているのです。「カウサ」の活動、道徳観と倫理観の確固とした土台の上に立てられるべき民主主義体制に、より明確な方向性を提示する思想を、全世界的に普及しているのです。「カウサ」は、民族主義国家の中で、いまだに蔓延する不正と腐敗と搾取を根絶するために必要な道徳観を提示しているのです。
今日、私たち人類が直面しているすべての問題点、すなわち、無知、飢饉、疾病などは、単に外部に現れた現象的な問題点ということだけではなく、全世界の人々が共に責任をもって解決すべき、より根本的な次元の緊急の問題点なのです。このような重大な時点にあって、私たちは、歴史的な転換期に生きています。
過去の歴史を調べてみると、宗教的、文化的、政治的分野を中心として、より住みよい世界をつくるための運動が少なからずあったことを知ることができます。しかし、そのような運動や組織が人類の発展史に大きく貢献したのも事実ですが、それらのほとんどが、本来の理念や目的から逸脱し、独自の道を歩むようになったことも知ることができます。宗教団体や文化、政治団体、社会組織など、すべての組織活動が分裂、衝突、不和を繰り返し、さらには戦争も辞さなかったのです。
現在も、ゆがんだ政治的欲望や宗教的偏狭性が、敵対感と憎悪心を引き起こしているのを目撃することができます。このような現象は、信仰をもつ人がもつべき真の目的にはなり得ず、良心的な人々が追求する道にはなり得ません。それでは、私たちが追求する道はどこにあり、子孫たちに伝授してあげる正しい伝統とは果たして何でしょうか。
神様の創造理想は家庭から始まる
人類が勝ち取るべき和合と平和を成し遂げる道を理解するために、私たちはまず、神様の創造理想を知らなければなりません。絶対的で永遠の神様が、何ゆえに創造をしなければならなかったのでしょうか。神様にとって絶対的に必要なものとは何でしょうか。物質的な富や知識、それとも権力でしょうか。これらは、神様が願いさえすればいつでも得ることができるものです。
しかし、真の愛だけは、神様お一人では完成することができません。なぜなら、真の愛は、必ず相対を通してのみ完成されるもので、授受作用できる相対がいなければ、神様であっても、この真の愛を完成することはできないからです。正にこのような理由で、神様はこの世界を創造されたのです。
それでは、真の愛とは何でしょうか。イエス様が命を懸けてまで怨讐を愛された、その生涯を見ることによって分かるように、真の愛は、人のために自らの命を犠牲にしても、それを忘れることです。このような真の愛を通してこそ、イエス様のように死を克服して永生を得るようになり、天国の市民となる道を歩むようになるのです。
私たちが被造世界を観察してみると、鉱物世界、植物世界、動物世界は、すべて互いに愛を中心として和睦しながら授受作用をする主体と対象のペアになっていることが分かります。同じように、夫婦間や親子間でも、愛を中心とした平和がなければなりません。このような愛の関係が、すべての被造物の中に内在しているのです。人間は、全被造世界の中心であり、神様に最も近く、また全被造世界の最高位にいるのです。
したがって人間は、神様の真の愛の対象であり、人間がいなければ神様の真の愛の目的も成就されないのです。神様が真の愛を創造理想として立てられ、また最も気高く貴い絶対的な価値として立てられました。絶対的な神様でも、真の愛には絶対的に降服したいと思うのです。神様でさえもそうなので、人類と被造万物は絶対的に真の愛に屈服するようになっています。このような点から見るとき、私たちは神様の真の愛の対象として創造された人間の価値が、どれほど高貴であるかということを、改めて悟らされるのです。
神様は、真の愛である「ために生きる愛」を土台として、御自身の創造理想を立てられました。与えてはまた与え、さらに与えても、与えたというその事実さえも忘れてしまうのです。このように与える愛の中で、神様は真の愛を完成するのであり、無限に投入して創造するようになったのです。すべての人間は、和合して存在し、また究極的に相対のために投入する神様の真の愛を実践するとき、永生を享受できるように創造されたのです。
また、男性は女性のために存在し、女性は男性のために存在します。与えても、また与える真の愛の神様の創造理想と共に、男性と女性は互いに愛するように生まれ、愛を中心として夫婦となり、一つになるようになっています。夫婦が共に神様の縦的な愛の対象となり、神様のすべてを相続するようになります。これこそが人間が存在する目的なのです。
真の愛の根源であられる神様は、父母の立場でこの絶対的で不変な真の愛を人間に相続させようとするのです。
なぜならば、真の愛を通してのみ、完全な和合と統一が可能になるからであり、神様の真の愛も、御自身の対象的な子女たちに相続させることができるものだからです。
それだけではなく、神様から同居権を得るようになり、また、同参権までも享受するようになりますが、これらはみな、真の愛の三大属性を通して得た特権となるのです。父母の心は、子女が自分よりも立派になることを願うものであり、夫婦間においても、相手が優れていることを期待するのですが、それは正に、神様が、御自身よりも立派な子女となるように人間を創造された、神様の真の愛のためです。
このような点から見るとき、人間は、神様と共に生きるようになっており、神様と同じ価値観をもって生きるようになっていることを否定できず、さらには、人間同士においても、真の愛を中心として同居権、同参権、相続権を享有しながら生きるようになっているのです。したがって、理想世界では、真の愛を中心として、すべての人間は、真の理想と幸福を求めて生きながら、自分の対象と子女たちに、そのまま相続させてあげるようになっているのです。これこそが正に、神様がこの被造物を創造した根本理想なのです。