平和経 第2話

神様がアメリカを祝福した理由

神様にとって、アメリカを愛するか、世界を愛するかという問題について考えてみるとき、アメリカよりは世界を愛する神様にならなければなりません。ですから、世界を救うために犠牲の代価を払わなければならない時は、アメリカを立てなければなりません。

アメリカ国民の皆様。アメリカに思想的伝統があると思いますか。今の青年たちの中にそれを見いだすことはできません。アメリカを開拓した人たちは、皆様も御存じのように、清教徒たちです。彼らは、神様を心置きなく愛し、神様のために行こうとする道を国家が妨げたので、国をあとにして、この新大陸アメリカの地を訪ねてきた群れでした。

そのとき、少数のアメリカ国民たちは、現地にいたインディアンたちと戦うために、神様に命を委ね、すがったのです。神様をあがめ尊びながら、神様にすがって戦っていったその思想が、アメリカの建国思想になったことを私は知っています。ですから、彼らは教会を先に建て、学校を建てたあとに、自分の家を建てたことを知っています。そのような立場に立っていたので、神様は反対を受ける環境から引っ張り出し、この地で保護し、二百年にもならない期間で世界的な国に築き上げてくださったのです。そのような神様は何のために祝福をしてくださったのでしょうか。アメリカに住む皆様だけを裕福に暮らすようにするために祝福したと考えてはいけません。今後、世界を救うための代表的な国にするために、神様は祝福したと見なければならないのです。

それでは、アメリカ国民は、「今や私たちは団結して世界を救おう」という統一された思想をもっているでしょうか。もっていません。しかし、アメリカの怨讐である共産世界は、世界を制覇するという思想をもって、アメリカを問題なくのみ込むことができると自陰をもって現れています。

アメリカ国民の皆様が覚えておくべきことは、アメリカの国策において、アジアへの援助や外国への援助を削減することは、神様のみ旨ではないということです。外国に対する援助を削減することを始めた大統領は、ケネデイ大統領であることを私は知っています。また、その当時の国連事務総長はハマーシヨルド氏でした。彼らは、なぜあのような惨事に遭って逝ったのかという問題は、私たちの知らないある背後の動機があると思われます。

私は一九六五年にアイゼンハワー元大統領に会いました。そのとき、私は、「あなたは、韓国戦争を休戦にしたことは正しかったと思うかもしれませんが、あれは歴史的な誤謬です」と指摘しました。「あなたは共産党を信じるのですか。共産党は言葉と行動が違う群れです」と言いました。行動と言葉が違うのです。これを知らなければなりません。休戦協定をしてから二十年が過ぎた今、北朝鮮はあらゆる力を尽くして国民武装をさせているのを、私たちはこの目で見ているのです。この事実を否定しますか。

今度の二月二十一日、毛沢東とニクソン大統領の会談があります。毛沢東はニクソン大統領に対して、何をしても、損することはありません。アメリカ国民はこれだけは知っておかなければなりません。共産党は、アメリカといくらでも「親しい、親しい」と言いながらも、背を向けることがあり得るのです。どれだけ親交が進んだと見えても、いくらでもそれを反故にする独裁体制なのです。

しかし、アメリカ国民はそのようにはできません。アメリカ全体が「よいです」と言って国民がみな進んだとしましょう。ここで、もし後退するようになれば、アメリカ国民はみな後退すると思いますか。半分は分かれてしまうことを知らなければなりません。その時にアメリカがどうなるのかを、私は今考えています。このような観点から、アメリカの四十代大統領、二百十年までの歴史は、神様が保護してくださる歴史と見ています。

皆様。一九七六年はアメリカ建国二百周年の年であることを私は知っています。アブラハムからイエス様まで四十二代になります。四十代、二千年歴史を神様のみ旨を中心として担当してきました。代数としては四十二代ですが、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」、この三代にわたった神様を一代の神様と捉えるので四十代になるのです。

世界を救うためには国家を超越しなければならない

この「終わりの日」にアメリカを中心として、このような蕩減の役事をすると見ているのです。この期間に責任を果たすことができなければ、今後のアメリカは、神様が保護し続けるような国にはなれないと見ています。私はそのように考えています。二十世紀の後半期において、世界的な主導国家的責任をもったそのアメリカを誇りとするのではなく、アメリカの国がなくなったとしても、アメリカ国民が誇り得る思想、三十世紀、四十世紀に至っても、その思想でなければいけないという思想をもつならば、アメリカ国民は世界を治める国民になるのです。

このような観点から、今日、統一教会はいかなる使命を果たそうとしているのか、ということが問題になります。統一教会は、来られる主の前に新婦をお連れし、このような超国家的な運動を世界的に準備して、神様が求める希望の天国をこの地につくり上げようとするのです。

そのためには、「この統一教会は統一教会自体のために働く」という思想を取り除いてしまわなければなりません。神様の作戦が世界のために犠牲になる個人と家庭と氏族と国家を求めることである以上、そのような個人、家庭、氏族、民族を編成し、神様の願う国の土台をつくってさしあげようというのが、私たちの使命です。

そのような統一の原則をもって、将来来るメシヤを中心として統一された個人として、家庭として、氏族として、民族として編成しなければならないのですが、このようなことを誰が先頭に立って引っ張っていかなければならないのでしょうか。信仰のない人でしょうか、信仰のある人でしょうか。宗教をもった人でしょうか、もっていない人でしょうか。これはキリスト教信徒、宗教人たちが糾合してしなければなりません。そのような運動を今、世界でしなければなりません。

そのためには、自分の教派だけを中心として、私の教派だけを中心として一つになってはいけません。神様のみ旨と世界を救うという信条のもとに一つにならなければならないのです。そのような運動をすることによって、主導権を握ろうというのではなく、下のほうに入って奉仕する運動をするのです。自分のもつ手段や方法、自分の財力、あるいは権力、あるいは知識力を動員して中心になるのではなく、人々が自主的に推戴して中心に立てる運動を、新しく世界的に行わなければ、この世界は救われる道理がありません。

ここに立っているこの私が、ここに至るまでには、数多くの迫害の道を歩んできました。キリスト教のために生き、キリスト教の行くべき道を提示しようと言ったにもかかわらず、キリスト教の反対を受け、国の行くべき道を提示しようと言ったにもかかわらず、国の反対を受けました。そのような観点から、アメリカも今後、この動く群れに代わって批判される日が来ると考えています。

善とは、自分の側のものを犠牲にしながら、世界を救おうとすることです。これが伝統的歴史です。ですから、今日この地上で、このような伝統を受け継ぎ、自分の側近の者を世界のために平面的に犠牲にさせながらでも、人を救おうという運動を全世界的に提示しなければ、理想的な何らかの方向を提示できないことは言うまでもありません。今後、人のために世界的な運動をする思想をもった団体、自分自体を犠牲にしても世界を救おうという運動をする思想だけが世界を治めるのです。

民主世界を代表するアメリカを考えてみましょう。アメリカは世界のために援助するほうに一方的に進んでいっていれば、常に世界があがめる国家になっていたでしょう。アメリカ国民を超え、アメリカの国を超え、世界をより愛する運動をしていれば、アメリカは今日、このような立場に立たなかったのです。

しかし、「民主世界を代表した国家として、外国を援助して栄えた国がないというのが歴史的な実情なので、私たちの国も歴史的伝統に従うべきである」と言いながら、自分の国を中心として背を向けるようになるときは、アメリカは孤立してしまうのです。

言い換えると、現在のアメリカは、世界のことよりもアメリカ自体を重要視し、世界の人類よりもアメリカ国民を愛そうという立場になっているのです。しかし、神様の見解はそうではありません。神様は、アメリカを動員して、世界を生かそうとされるのです。アメリカを超えて世界を愛することができるようにするためなのですが、方向が食い違っているので、民主世界もこれ以上行くことができなくなりました。

世界が一つになってこそ神様の願う理想世界が成就する

世界のためには、自分の国や国民よりも世界を愛する運動、神様を愛する運動こそが、最後に残る主義になり、思想になるでしょう。ですから、その国を超える超民族的な運動を世界的に提示し、超民族的に天が愛する立場に、あるいは世界の人々が愛する立場に自由に行けるようにするためには、どのようにすべきかを模索する主義こそが問題になるのです。

もし主が来られるとすれば、一つの国を救うために来られるのではありません。世界を救おうとして来られるのです。そのような時が近づいてくれば「終わりの日」なので、国を超えて、より愛する世界を発見し、国を超えて、天の人をより尊重し、国を超えて、神様を愛する運動をしなければ、世界は滅びるという結論が出るのです。これが今後、世界人類が願う統一の道であり、思想の道です。

ここでは肌の色が問題になるのではありません。ここでは文化の背景が問題になるのではありません。神様を愛し、神様のみ旨のために生きる世界のために一つになることこそが、私たちの希望であり、私たちの目的となるのです。そうして世界が一つになることによって、神様と人間が願う理想世界が開かれると考えています。したがって、個人として行く道、家庭として行く道、氏族として行く道、民族として行く道、囯家として行く道、世界として行く道を教えてあげることが、統一教会の使命であることを知っています。

ここできょう、お話しした題目の「神様と人間のための理想世界」が成就することを信じ、今、この地で活動を始めていることを、皆様に知っていただければ幸いです。ありがとうございました。

Luke Higuchi