天聖経: 第470話
第九章 家庭教会と氏族的メシヤ 7
第十章 平和思想 1
7. 愛と信仰と希望の継承者となるようにしてください
愛するお父様、天倫に秘められたみ旨の世界が成されなかったのは、すべてお父様に責任があると思っていましたが、人間の堕落によって、私たちにも責任があるという事実を知りました。お父様の永遠の希望が残っている限り、今日、私たちにも永遠の希望が残っており、お父様の永遠の信仰のみ旨が残っている限り、私たちにも永遠の信仰のみ旨が残っており、お父様の永遠の愛の実践が成し遂げられない限り、今日、私たちにも永遠の愛の実体を成すべき責任が残っていることを知りました。
この一日に蕩減的な歴史を継承するために、私たちは四千年の希望を継承し六千年の希望として、四千年の信仰を継承し六千年の信仰として、四千年の愛を継承し六千年の愛として、現さなければなりません。六千年の愛を永遠の愛として立てるべき責任が私たちに残っておりますので、この日の私たちの至らなさと、不足さをお許しください。この日の私たちの不忠と、不孝をお許しください。自分を高く立てたことをお許しください。
今や万民の希望を結実させるべき時となり、万民の信仰を結実させるべき時となり、万民の愛を一つの実体として表すべき時となりましたが、その一つの実体がどこに結実しているでしょうか。取るに足らない私たちですが、新たに新婦として装うべき自分たちであることが分かるように諭してください。そのようになるときに、内的な面で完結を成したイエス・キリストの苦労の歴史が、外的な私たちを通して結実し、再臨理想を実践でき、外的な歴史を展開できることを知っております。
今日、天地の中心的な役割を担当すべき人とは誰かと言えば、終わりの日の再臨役事を前にしている聖徒たちであることを知っております。お父様はそのような人々に、永遠のお父様の希望を任せることを願われますが、彼らがその希望を任せられる者になったのか、永遠のお父様の信仰を任せようとされますが、その信仰を任せられる者になったのか、永遠の神様の愛を任せることを願われますが、その愛を任せられる者になったのかが案じられます。
そのすべてものを主の代わりに担い、お父様のみ前に永遠に変わらない姿で、お父様の愛に属した人となることにより、今や永遠の希望の氏族になった者として立たなければなりません。永遠の信仰の氏族になった者として立たなければならず、永遠の愛の氏族になった者として立たなければなりません。このような責任が私たちに分け与えられていることを悟れるようにお許しください。
選ばれたイスラエルの勝利的な中心実体としていらっしゃるイエス・キリストの目的を、今日、私たち個々人において成し遂げる、すなわち全体を身代わりした希望の実体を備え、信仰の実体を備え、愛の実体を備えなければなりません。今や再臨の役事以降には、キリストがこの地上に来られて行われたそのすべてのものを身代わりする、すなわちイエス・キリストの希望の実体として立たなければならず、信仰の後継者にならなければならず、愛の後継者にならなければなりませんので、これをはっきりと悟れるようにお許しください。
今や、堕落の峠を越えるべき復帰過程に置かれている私たちが、「お父様の希望と信仰と愛を担います」と言えなければならず、その希望、信仰、愛をお父様のみ前にお返しできなければならず、さらには万民の前に不変の愛の中心として立たなければなりません。そうして、お父様のみ前に愛を受けられる勝利的な存在になってこそ、終わりの日に最後の栄光を身代わりできる資格者となることを知っておりますので、どうかお父様が、「お前は私の希望の存在であり、私が信じることのできる者であり、私が愛することのできる者だ」と言える姿になれるように、お許しください。ひいては、天上天下、全万物の前に宣布して判定の恩賜を受け、和動の一つの条件を立てられる勝利の子女となれるようにお導きくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
そのため、お父様の喜びがこの地の喜びとして移され、お父様の愛がこの地の愛として移され、お父様の希望と信仰がこの地の希望と信仰として移されなければなりません。再臨理想に侍りながら、平面的な喜びをお父様のみ前に移すことができますようにお許しくださり、お父様のみ旨が地を中心とした私たちによって成就され得る栄光を、全被造世界に現せるように役事してください。
私たちの生活を通して、生涯を通して、モーセの栄光を謳歌できなければなりませんし、モーセの愛によって私たち全員が一つになるようにお許しください。そうして二十四億の人類をすべて合わせ、霊界にいる幾千万の聖徒までも合わせて、誇れることは、お父様のみ旨を成すことであると知っておりますので、その成した希望、成した信仰、成した愛を永遠に誇れる条件として、天地の中心の真ん中に立てられるようにお許しくださることを切に願いながら、主のみ名によってお祈りいたしました。アーヂュ。(一九五六・六・六)
第十章 平和思想
1. あなたを私たちの心の中に迎えさせてください
愛するお父様、私たちが尋ね、上りに上り、また上るとき、その帰着点は、ただお父様と対面する場であることを知るものでございます。お父様が語ることができ、私たちが語ることのできる最後の決定的な言葉とは何かと言うとき、それは「お前は私の息子、娘だ」「私はお父様の息子、娘です」という言葉でございましょう。それだけが、人類が望み、また願う言葉であり、あなたが捜し求めてこられた人類に出会うための、決定的な言葉であることを知っております。
息子と娘として相まみえるだけで終わるのではなく、その息子と娘はお父様の骨の中の骨であり、肉の中の肉として入れ替えることができるほどに、その内縁的な願いが私たちに現れ、私たちに現れた個人の欲求が家庭に現れ、家庭の欲求が社会と国家を越え世界万民を越えて、(それが)お父様の本当の内情的な体恤の感情となって、普遍で妥当な世界的基準まで、あふれ出なければなりません。その世界があなたの求められる望みの世界であり、人間たちが求めるたった一つの世界であることを知っております。
このような立場から見るとき、今日、この歴史時代におきまして、果たしてこのような道を求める群れがいるのか、私たちは調べてみなければなりません。イエス様と聖人たちがみな教えてくれたその道理の起源を暴き、私たち自身においてはどのくらいの価値をもって天の価値を探さなければならず、天と私たちがどのような対等な位置に立たなければならないのかということを分析し、批判してみなければなりません。そうして、これでなければならないという決定的な立場に立ち、万民と全世界と新しい思潮の前に現れて、これらを収拾できる一つの真の基準を立てなければならないことを、この時間、私たちは知らなければなりません。
真の姿というものは、過去にもそうであり、現実にも未来にもそうであり得ること、その誰も占領することができず、否定することができないものでございます。これは、すべてのものを超越できるものでございます。堕落した人間も父母の愛を恋しく思い、夫婦の関係に従って生きようとし、子女によって未来の願いを残そうといたします。このような家庭は、堕落した世界の心情を結束させ得る一つの母体となり、人類と人情の基盤となることを私たちは知っております。同様に、天倫と人倫、天情と人情が結束されるためには、聖人たちが探していった目標的な標準を、今日の人類と結束させ得る勝利的な一つの家庭制度を、この地上に立てるべきでございます。このような事実を見るときに、男性たる者と女性たる者は、過去におけるそのような男性となっては駄目であり、女性となっては駄目でございます。
お父様は、私たち自身を立証することができ、私たち自身は、お父様の息子であり、娘であることを、如実に証すことのできる信念をもたなければなりません。信念だけでなく、体恤的な立場でお父様と私は、前後関係、左右関係にあることを立証し、そのような立場で永遠に共にあったのであり、永遠に共に生きており、永遠に共に生きるであろうという起源を、自ら立て得る自己を発見しなければなりません。それが、私たちが行くべき真の道であることを知りました。
お父様、今、誰よりも貴いあなたを、私たちの心の中に迎えなければなりません。その誰も侵すことのできない心の場に、絶対者であられるお父様を迎えて、お父様と相談し、お父様と相応的な立場で、主体的なお父様と相対的な私たち自身として、無限の価値の立体性を発見して暮らせる人生があるとするなら、世の中がいくら悪いとしても、その悪の圏内で、無限の価値を倍加させる歴史創造の新しい基盤をつくっていく、他の何かを発見できることでございましょう。そのようなことを考えるとき、その人が遭遇する苦痛は苦痛ではなく、幸福に昇華させ得るのであり、彼は死亡の波が充満したこの地上において不幸な人ではなく、幸せに暮らす人であり、幸福な人であることを、私たちは知るものでございます。
統一教会の群れは、このような道を行くべきことを知ったがゆえに、今まで歩んできた道が受難の道であり、迫害の道であり、孤独な道でしたが、その迫害と孤独が交錯する交差路では、そのたびに、私たちが行くべき道は明確だったのでございます。人間がもつべき価値を植えておくには、自らの行路だけでなく、四方に伸びて交差するその道まで流れて越えていける善の関係を残すために、四方で身もだえしてきた統一教会の歴史的な事実を考えるとき、悲惨ではありましたが、その中で他の人々が知らない感謝の心情をもてる立場に立ててくださったことに、感謝を申し上げます。
そのような立場で根を下ろして練磨し、世界的な足場を築いて、あふれる希望とともにアジアを見つめながら世界を行き来する、新しい一つの世界を夢見ることのできる愛国者の心情をもつだけでなく、世界人類の中で誰ももてなかったあなたの愛を中心としたお父様の家庭と、国に対する愛国心をもって生きようという天情に従って、忠臣の道理を学ぼうとし、天情に従って孝誠の道理を学ぼうとし、より高い次元の価値を求めていくこの者たちの行く道の前に、祝福のみ手が末永く共にあってください。その生活において加重された価値は、今日、平面的な世界を中心として生きる人のいかなる価値よりも、比べられない高次元的な内容であると知って進む、この者たちの上に、あなたの哀れみと愛がより一層共にあってください。
いくら世の中が悪いとしても、この悪の世の中を引っ張っていくべき主体的な力は、より強くなくてはいけないこと、弱くてはいけないことを、私たちは誰よりもよく知り、孤独な時もお父様の力と能力を身代わりして、私たちが寂しがってはいけないことを知っておりますので、私たちがこの世の中の前に影響を及ぼせる群れとなるよう、許諾してくださることを切にお願い申し上げます。
今晩、み言を通してあなたがこの者たちの価値を高く評価してくださり、その誰も追求できない最高の次元で制定された原則的な価値をもつ新しい男性なら男性、女性なら女性として決定されるよう、許諾してください。誰も分立させられない世界を中心として連結し得る家庭となり、民族となり、国家となり、世界人類とならなければならないことを、誰よりも強く感じた群れが、きょう、この時代の統一の群れでこざいます。過去に怨讐であった日本の人々も、食口の名前をもつ時は兄弟になるのであり、数多くの色が異なる人種たちも、食口という名前を中心として、どの民族の中でも見いだせず、探すこともできない、兄弟の友愛をもって暮らしていける動きが広がっているのでございます。
そのような動きが、きょう、この地上で基盤を築き、実践的な段階に向かって突進しておりますので、お父様が哀れに思って、ここに無限の力と能力を加重させ、あすの勝利的な局面に向かって進むにおいて、小心者にならず、勝利者の姿を備えて、強く雄々しく直行し、前進する天の勇士たちとなるようにしてくださることを、切にお願い申し上げます。この日のすべてのことをあなたのみ前にお任せしますので、残された時間も自ら、あなたのみ旨の中で主管してくださることを、愛のお父様、再三お願い申し上げながら、真の父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーヂュ。(一九七一・二・二)