天聖経: 第448話
第四章 真の人間 3
3. 再創造の召命を慕うようにしてください
愛するお父様、流れていく歴史の渦中で、誰が何と言おうとお父様のみ旨に従っていくと言える真の責任者がいなかったことを、私たちは知っております。迫害の矢の中でも、あなたの愛していた、あなたの心情の深いみ旨を論議していたキリスト教の信者たちが、どれほど高貴だったかという事実を、私たちは知っております。
一つの生命がこの地に生まれ、必ず逝かなければならないのが、人間共通の路程であることを知っております。人として生まれ、お父様を探し求めていくとき、自ら選択していける善を備えることができず、名誉しかもっていけない、哀れな人々にならないようにしてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
私たちが、人が手にすることのできない宝物を手に入れるためには、人が経ることのない試練の過程を経なければならないことを知っております。涙と苦衷を経ずには、自らの基準を高められないことが、社会生活や被造世界を通じて事実であると、私たちは公に認めております。私たちが神様の心情を中心として歴史全体を代表し、天宙的な価値を代表して残され得る宝物のようなその位置を占め、お父様のみ前に孝行の道理を果たすことによって、歴史に輝き得る聖なる孝子の名をもつようにしてください。
私たちは、それがこの上なく貴く、価値のあることだと知っておりますが、そのためには、悲壮な心と血のにじむ闘争と努力を傾けなければならないという事実も忘れないようにしてください。「誠意を尽くした塔は崩れない」という諺があるように、誠意を尽くしたものは貴い価値のあるものとして受け入れられますが、誠意を尽くしていないものは貴い価値のあるものとして受け入れられないことを知っております。このようなことを考えるとき、あなたが統一の群れを愛してくださることは、有り難いことでございます。
一時、私たちは、三千万民族の矢を受け、彼らの口に上り、むち打たれなければなりませんでした。また彼らが私たちに、世の中を悪くする群れだと指さし、唾を吐きながら窮地に追いやったのでございます。しかし、私たちが被ったことが憤懣やる方ないのではございません。この民族がお父様の労苦に報いてさしあげることができず、天倫を身代わりする高貴なお父様のみ名を踏みにじりましたので、お父様が罪なく打たれたそのことが、私たちには耐え難い受難だったのでございます。
しかし、あなたはいつまでも忍耐され、今日の私たちに命令し、私たちに背く群れに、新しい烽火を照らすようにされ、暗闇の道でさまよっていた彼らの前にあなたの愛する使者たちを送られた愛に、感謝せざるを得ないのでございます。非難され、打たれた人の傷を、お父様のみ手に代わってさすってあげ、食べる物がない怨讐の子女たちに、お父様に代わって食べさせてあげる真の人をお父様が探していらっしゃることを、私たちは知っております。
統一教会の群れがそのようなみ旨に従い、冷酷な時代の裏通りを踏み締めていき、人知れず涙の道を自ら歩んでいった、いにしえの峠があったことを、きょう感謝申し上げます。また、私たちを呼ばれるお父様のその心に、感激が広がり、お父様との絆を取り戻せる心情をもち得る自分たちであることを知っておりますので、いかなるものとも取り替えられないお父様の貴い摂理に残されることを、心から感謝できる統一の子女たちとなるよう許諾してください。
私たちの胸の中には、何一つもございません。空虚な中でも特に空虚であり、空っぽの中でも特に空っぽであり、乾いている中でも特に乾いたものでございます。しかし、一つだけもっているものが、「お父様」と叫びたい心、お父様に会いたい心、お父様に侍りたい心でございます。その心だけは、天地とも取り換えられない貴いものだということを知っております。私たちが最後まで、そのすべての価値ある者になろうという心をもつことを許諾してくださるよう、切に、切にお願い申し上げます。
愛のお父様、哀れな民族を見つめるとき、ただ見つめる者にならないようにしてください。動脈から流れ出てくる血が私たちを動かし、互いに抱き合って痛哭せざるを得ず、感情を主管して彼らを注視せざるを得ない切なる姿勢をもった姿となるようにしてください。お父様は、そのような姿を待ち望まれていらっしゃることを知っておりますので、そのような姿を抱きかかえてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
急がなければならない歩みを止め、敗亡の道にいる私たちを抱きかかえてくださる主人と父母、そして責任者を待ち望んでいるのが人間でございます。今まで敗亡の道で落伍した立場を嘆いていたのが、堕落した人類の歴史だったのでございます。それが堕落した人類の行く道だったことを私たちが知るようになるとき、その裏道で友となり、傷ついた足を私たちが治してあげ、一つの実績を残せる子女になれなかったという事実が、どれほど俗的なものかということを、切実に感じられるお父様の子女たちとなるようにしてください。
今まで生きてきた過去と、現在生きている私自身を見るとき、この手は何のために動いており、私たちの心情は何のために苦しんでおり、体と顔は何に向かって進んでいるのかを考えるのでございます。民族が求めている真の姿を身代わりする前に、過去を批判し、現実を嘆き悲しむ真の天の息子、娘にならなければならないことを知り、「私たちがそのような息子、娘になります」とどれほど誓い、お父様のみ前に約束したでしょうか。しかし、私たちの胸には寒風が吹き荒れ、お父様が願われるものは消え去ってしまい、サタン世界に身を置く荒涼とした姿となりましたので、天の悲しみと地の悲しみがどれほど大きく、天地を抱いて闘ってこられたお父様の心がどれほど痛むでしょうか。それを忘れ去る、道理を知らない愚かな私たちにならないようにしてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
そのような道を行くたびに、恨多きお父様の歴史路程に慰労の同参者になることができなかった過去の日々を、心から悔い改めなければならないのでございます。統一の群れがお父様のみ前に、そのような子女の姿になれなかったことを思うとき、お父様と呼べる面目がありませんので、お赦くださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
恨多き歴史路程において、神様はどこにも訪ねる者がなく、私たちを訪ねてこられ、残された民族がなく、この民族を訪ねてこられたのでしょうか。傷ついた足を止めなければならない痛ましいお父様のみ前で、倒れて散らばっていく孤独な民族がいましたが、その民族がお父様の願われる基準に達することができず、涙を流して見つめなければならないその心の痛みが、どれほど大きいでしょうか。幼い者を愛さなければならないお父様の心、この民族の荒涼とした姿を御覧になっても、百回、千回耐えてこられたお父様の心を、私たちは推し量ることができるのでございます。
私たちは、そのお父様の血と汗を受け継いで生まれた息子、娘であり、そのお父様の願いを成し遂げてさしあげることを誓える群れでございます。それゆえ、私たちは、この民族が死の境地で苦しむのを見つめるとき、夜を徹して、疲れ果てることがあるとしても、民族の行く道を叫べるあなたの子女になることを覚悟しなければならないのでございます。
お父様、たとえ私たちがみすぼらしい姿だとしても、お父様が心に留めてくださるその姿が、どれほど貴いかということを知って、その道において落胆することなく、悲しくなることがないようにしてください。み旨に心を砕きながら韓国各地を御覧になり、苦悩されるお父様のその一念を、私たちも共に分かち合うようにしてくださることを切にお願い申し上げます。
お父様のその苦労を知り、お父様に侍ってさしあげられる私たちになれないとき、お父様、私たちを愛さないでください。ただ、お父様が私たちを立てて称賛されるとき、お父様の愛を受けていることを誇るようにしてください。「子女の日」を送り、十二月を迎え、二番目の聖日を迎えました。今年ももう二十日しか残っておりませんので、過去の日々をそのまま送り、新しい年を迎えなければならないこの時に、過去をもう一度回想しながら、もうしばらくお父様のみ前に苦悩し、気をもみ、新しい未来を創造する再創造の導きを、愛するお父様、慕うようにしてください。
勝利の一日のために、きょうも苦境におりますが、過去にも生みの苦しみと激しい苦労の運動がこの地にあったことを、自ら感じられる真の子女たちとなることを許諾してくださるよう、切にお願い申し上げます。お父様のみ前に勝利の一日を迎えておいて、「お父様、栄光をお受けください!」と言うとき、お父様は大声で痛哭なさることでしょう。その日を慕うのがお父様の心であることを知っておりますので、その日に向かって走っていこうという私たちの決意が変わらないようにしてくださることを、切にお願い申し上げます。
この民族は、世界の万民を救わなければならない責任と便命を担っていますので、以前は、他からもらい頼っていた民族でございましたが、これからは与えて指導しなければならないようになりましたので、その責任を担って世界万邦に広がらなければならない民族となるようにしてください。また、私たちには環境的な指導と生活的な指導をしなければならない責任があることを、忘れないようにしてくださることを、愛のお父様、切にお願い申し上げます。
お父様、地方でこの日を記念し、礼拝を捧げるあなたの子女たちを心に留めてくださり、世界に広がっている数多くの群れを心に留めてください。彼らはお父様を知っておりますが、師に会ったことがございません。彼らをむなしい立場に置かないようにしてくださり、彼らの心が忠誠を尽くさなければ耐えることができず、お父様を愛さなければ耐えることができない天との心情の絆が漂い、命が芽生える立場に立つことを許諾してくださるよう、愛のお父様、心から心からお願い申し上げます。
この日のあらゆるすべてをあなたが受け持って主管してください。残された闘いの道に向かうために、私たちが別れなければならない時間になったことを寂しく思い、再び出会うとき、天のみ前に捧げる貴い贈り物を残そうと努力できる私たちとなるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。残った恩賜の路程も、あなたのみ旨の中で、勝利の一日を採択できる路程となることを許諾してくださるよう願いながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーヂュ。(一九六六 一二・一一)