天聖経: 第389話
第十二篇 天一国
第三章 天一国国民の道と「家庭盟誓」
第二節 正午定着と共鳴の人生 8-11
第三節 神人愛一体と侍る人生 1-8
8 真の愛の共鳴圏に入れば、天地がはっきりと見えるのです。釈迦牟尼が「天上天下唯我独尊」と言ったのも、その共鳴圏の核心に入ってみたところ、天下がすべて私の手の内に入ってきていて、神様が私の中にいらっしゃって、天理が私に連結されているので、そのような言葉を語ることができたのです。真の愛の共鳴圏に入っていけば、信仰は必要ありません。神様と一緒に暮らすので、救世主が必要ないのです。解放です。すべて終わるのです。
9 愛が完成すれば、心情圏において霊人体と肉身の共鳴圏が初めて設定されます。人間世界において、霊人体と肉身が何を中心として共鳴するのでしょうか。共鳴は他のもので成し遂げられるのではありません。知識でも共鳴しないのです。理想でも、喜びでも共鳴しません。物質的な喜び、世の中の所有欲を通した喜びでは、霊人体と肉身が共鳴しないのです。愛を中心としたものによってのみ共鳴するのです。
10 愛の力が作用するときは、宇宙を創造された神様の能力の本質と通じる偉大な力の同伴者になれるのです。愛だけが可能であって、知識ではできません。お金でもできません。権力でもできません。
皆さんは、今まで、そのように生きてみましたか。ねじれた体と心の角度を合わせ、天の共鳴圏の愛に和合できる「私」の人格完成の道理を訪ねていくために、どれほど身もだえしてみましたか。これをさせないために、国をその共鳴圏に引き込み、世界がその共鳴圏に引っ張っていくのです。これを断ち切って角度を合わせなければならないのが心情的本然圏です。これをどのように獲得するかということが問題です。この場に行かなければ、解放がないというのです。
11 愛は、心身が共に一〇〇パーセント共鳴し、互いに合わさって進んでいこうとするのです。愛は一方にだけ行くのではありません。ですから、良心と肉心が完全に一つになって目的に向かい、その突進していく方向と共に愛は走るのです。ですから、心身の共鳴圏によって絶対的方向性を確実に備えた所には、愛があるというのです。
したがって、皆さんが喜ぶためには、肉心と良心が共鳴圏に立たなければなりません。共鳴圏に立たなければ、愛が生じないのです。
ですから、皆さんの良心と肉心が永遠に共鳴圏に立っているかを重視しなければなりません。
第三節 神人愛一体と侍る人生
1 先生が最も苦心したことは、神人一体をどのように形成するかという問題です。理論的にどのように説明するかというのです。これが解明されなければ、理論的体制が定着しないのです。人間愛の根本的な位置が設定されなければ、すべてのものがずれていくのです。
2 先生が根本問題を追求するとき、神人一体圏はいったいどこなのかを考え続けました。これは、重大な問題です。これを解決しなければ、出発点と終結点が合わないのです。そのような中で、稲妻のようにひらめく悟りがありました。「真の愛は直短距離を通る」というのです。その一言がすべてを解決しました。天地が真の愛で連結されるならば、直短距離を通るのです。言い換えれば、垂直は一つです。水平に対して九〇度以外にはありません。これは、最高の直短距離です。
3 結婚は、愛を完成するためにするのです。横的に左と右、東と西を男性と女性とすれば、その男性と女性の真の理想は直短距離を通るので、水平面に対して横的な愛の直短距離は、中央の一点しかないのです。これは、九〇度以外にはありません。これが横になれば、楕円形になります。これではいけません。すべてが同じではなくなります。平等な位置ですべてが同じ基準として立つのは、九〇度以外にはありません。神人一体にする愛の結集場所というものは、九〇度以外にないのです。
4 神様の愛と人間の愛が問題になります。神様の愛と人間の愛は、色が同じか違うかということが大きな問題です。神様の愛と人間の愛がどこで結ばれるのでしょうか。これが結ばれて神人愛一体の拠点を見いださなければ、神様も人間も共に定着できないのです。神様が喜ばれるのに、人間が愛を通じて喜ぶ場が異なる場合には、大変なことになるというのです。
5 新しい時代の二十一世紀は、共義の時代です。新しい時代の二十一世紀は、物質が幅を利かせるのではなく、精神と霊の時代だというのです。
新しい時代の二十一世紀は、神人一体になって生きる時代です。新しい時代の二十一世紀は、他のために生きることが自分のために生きることより、もっと永遠の価値があることを悟って生きる時代です。利己主義は色あせ、共生共栄共義の利他主義がついに凱歌をあげる時代、それが正に明けてくるのが二十一世紀です。
6 人類は、神様を探し出さなければなりません。無形の真の父母が分からない、その無知から抜け出さなければなりません。全知全能性の示現としてつくられた宇宙の、無窮で奥妙な秩序の中に暮らしながらも、創造主の偉業に感謝することを知らない背逆を、これ以上繰り返してはいけないのです。堕落した人間は、自分の生命の主人が自分だという傲慢から抜け出し、神様の真の愛の絶対「性」の前に自覚された霊性を育てなければなりません。
7 神様は、真の父母であられます。真の愛をより大きく永遠無窮に投入しようとする心情を、絶対的なものとして固く生きられる神様を発見しなければなりません。御自身の絶対、唯一、不変、永遠の真の愛、真の生命、真の血統を完全に相続させる対象として人類を造られた神様の情を知らなければなりません。
そうして、絶対の真の父母、真の師、真の主人であられる神様と真の父母を、私たち個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の絶対価値の軸として立てなければならないのです。個人的な生活から家庭、国家、世界的な生活の根本にならなければなりません。革命をすべきです。真の愛のために生きる道である天地父母の伝統的な道に、千年、万年、変わることなく従っていきたいと思わなければなりません。そのようにすれば、家庭問題、社会問題、人種問題、宗教間の葛藤問題など、解けない問題はあり得ないのです。
8 創造理想世界である神人一体の心情世界で暮らす時代が来なければなりません。他のために生きることが、「私」のために生きることよりもっと永遠の価値があることを悟って生きる時代、自己中心の利己主義時代が色あせ、共生共栄共義の利他主義世界を創建しなければなりません。私たちは、その目的のために神様と霊界を正しく知り、さらには全世界に天道を証しながら人類を正しく指導し、神様の真の愛と真の生命、そして真の血統に連結された天宙大家族を形成し、神様の祖国と故郷を地上と天上に創建しなければなりません。