天聖経: 第399話
第十二篇 天一国
第三章 天一国国民の道と「家庭盟誓」
第五節 天一国主人の生活と「家庭盟誓」75-91
75 神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。ですから、「私」だけが祝福を受け、豊かに暮らそうと考えてはいけません。結局は、天の王族となり、全体の人々を天の民にしなければなりません。
76 天運が訪ねてくる道とはどこかということを知らなければなりません。天運は永遠に動くのです。天運は永遠の道を行くのですが、その道は、永遠の原則に従って、変わることなく巡り巡るのです。巡り巡って関係を整えていきながら興亡盛衰の道をつづっていくのですが、ここに立っている人間が、どのようにこれに合わせていくかということが問題です。
77 天理の運勢は、適当に行ったり来たりするのではありません。秩序があり、軌道があり、法則があるので、それを通して動くというのです。天運に属しているすべての存在は、ために生きる存在なのです。
78 天運は滅びません。私たちの人生は、一生を通じて環境に従い、偏って横道に流れてしまったりもしますが、天運は神様の経綸に従って、進む道に変動がありません。永遠だというのです。春夏秋冬、四季の順序が変わらないのと同じように、人類を動かす天運の道義も、不変の軌道に乗って個人と家庭、氏族、民族、国家、世界と向き合いながら動いていくのです。それを知らずにいるというのです。
79 天運は、善の人が必要とするすべてのものを供給するようになっています。ですから、欲心をもって「私がこれをどうにかする」と考えてはいけません。善であろうとすれば、必ず「私」が高い位置に行くか、低い位置に行くか、二つの道しかありません。善の人は、低い位置に行けば、すべてのものが自然に供給されるようになっているのです。
80 天運に乗ろうとすれば、まず天運の行く道がどこに行くのかを知らなければなりません。そこは、万民が喜ぶ所、楽しんで飲んだり食べたりする所ではありません。すべてが嫌う場です。
その場は、どのようなことでも常に感謝し、責任を遂行しながら栄光を神様のみ前に返して、自分自ら感謝できる位置でなければなりません。そのような位置に立つ人が天運に乗れるのです。
81 「私」が祝福を受けたのは、「私」一人が良くなるためではありません。先に召されたのであれば、世界全体の兄弟の家庭を、「私の家庭」のようにしなければなりません。天運をつないで「私の家庭」のようにすると考えなければなりません。一人だけのために生きてはいけないというのです。家庭において「家和万事成(いえわしてばんじなる)」を成し遂げ、すべての家庭を和合させて統一できるようにしようと考えなければならないという意味です。
82 真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭にならなければなりません。そのようなときに、創造理想がすべて従っていくようになっているのです。天の祝福を周辺に連結させる家庭にならなければなりません。それをしておくことによって、心情文化世界が始まります。そして、絶対に血統を汚さない歴史を自分が何代、何千年残せるかというのです。これには、神様の祝福世界、天上世界で天の国の功臣になるかどうかという問題がかかっています。公式がそのようになっているのです。
83 天の祝福を周辺に運んであげなければ、霊界の皆さんの先祖が皆さん自身を蕩減させるのです。反抗するというのです。何度も道を塞ぎ、妨害するのです。「家庭盟誓にはこのようになっているのに、なぜ行動しないのか」と言います。ですから、すべて分け与えなさいというのです。それをしなければ、霊界に行って引っ掛かります。重要な一つの契約文書です。
「家庭盟誓」の第七節
84 「家庭盟誓」の第七節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。皆さん、統一信仰の道において最も重要なことは、どのようなことがあっても本然の血統を汚してはいけないということです。
85 「家庭盟誓」の第七節が重要です。私たちの家庭は、真の愛を中心とした本然の血統です。堕落と全く関係のない本然の血統を受け継いで、心情文化世界を完成するというのです。私たちの世界は、心情文化世界です。神様のたった一つの愛を中心とした統一家族です。高いも低いもなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。今後、そのような時が来るのです。
86 神様を中心とした本然の血統を受け継げば、本然の心情文化が始まります。本然の血統を失ってしまった所には、心情文化が生まれません。文化は、歴史性を通して連結されるのです。家庭を中心として、社会を中心として、国家と世界を中心として、これが連結されなければなりません。純潔な血統を残すことが問題です。そのようにしなければ、自分たちとの心情文化世界が中断されるのです。そのため、心情文化圏を中心とした生活をしなければなりません。
87 本然の血統は、堕落した血統ではありません。サタンの血統を根絶し、堕落したことを蕩減復帰した血統にならなければなりません。接ぎ木するのです。接ぎ木したならば、「私」の息子、娘、三代以降には、本然の血統の種を受けるというのです。接ぎ木した木から種を受けたものが植えられ、再び生えたときには真のオリーブの木にならなければなりません。そのためには、三代が過ぎなければなりません。母親のおなかの中に再び入って出てくることはできないので、三代が過ぎて、そこから収めた種を植えるとき、真のオリーブの木になるのです。三時代を通過しなければなりません。
88 本然の血統は、神様を中心とした血統です。本然の血統と連結された、「ために生きる生活」を通して、心情文化世界を成し遂げようというのです。数千代の清い血統を残さなければなりません。男女が一瞬の間に起こした堕落が、願わない世界を霊界と肉界に広げてしまったというのです。
89 愛を主管できなければなりません。自分の思いどおりにしてはいけないのです。ために生きる生活を通して心情文化世界をつくるというのです。心情文化世界は、神様の愛の文化世界です。根本的な文化世界を追求するのです。それは、真の愛が関係していないものがない文化世界です。
90 ために生きる人は滅びません。また、ために生きる人は、霊界から何度もコーチしてくれるのです。何度も、新しいものと関係を結べるようにしてくれるというのです。新しいものと関係を結ぶので、その人は自然に有名になり、世界的に知られるようになるのです。
91 一つになることができ、平和の起源となるその道は、どこにあるのでしょうか。神様御自身のみならず、真の人間は、ために生きる存在だという原則を立てざるを得なかったのです。ですから、真の愛は、ために生きるところから、真の理想も、ために生きるところから、真の平和と幸福も、ために生きる立場において成立するのであって、ために生きる立場を離れたところでは見いだせないのです。これが天地創造の根本原則だということを知りませんでした。