天聖経: 第366話
第十一篇 礼式と名節
第五章 主要名節と記念日
第二節 主要記念日 28-37
28 興南監獄で肥料を袋に入れる作業に動員されて働くとき、御飯が配給されれば、おなかがすいているので、御飯茶碗を受け取るやいなや、無意識のうちに御飯を口の中に放り込むのです。自分が御飯をもぐもぐかみながら、二つの目は他の人の御飯茶碗に釘づけになります。御飯を配り終える前に、すべて食べてしまうのです。それで、自分が食べたことも忘れてしまい、他の人が御飯をもらっているのを見て、自分の茶碗が空っぽであることに気づくのです。そうして、「お前がおれの御飯を食べただろう」と言いながら、時々横の人と争うのです。御飯を自分の口の中に放り込んで、喉が詰まって死ぬ人も多くいました。一人の囚人が、御飯をすべてのみ込む前に死ぬと、他の人たちがその死人の口からも御飯粒を取り出して食べようと争うのです。
29 先生は、精神力の重要性を知りました。それで、先生は、特別な決心をしました。食事を半分にしても生きることができると、心に確信をもちました。それで、その翌日から先生は、他の人々に先生の食事の半分を分け与え始めたのです。それを三週間続けました。食事を半分だけにしても、作業量を完遂できると確信しました。そして、三週間が過ぎてからは、先生の食事をすべて食べるようにしました。そのときから先生は、先生の食事はもともと半分で、もう半分は神様によって与えられた贈り物だと考えて食べたのです。
30 先生は、今まで監獄生活など、ありとあらゆる経験をすべてしました。今、過ぎてみれば、神様が有り難いのです。結局、先生一人を育てるために、神様がそのように苦労なさったということです。今まで経てきたその過程は、絶対に先生にとってマイナスになりませんでした。かえって、得たものが多かったのです。おなかがすくときの御飯一粒がどれほど貴いのか、今でも気が引き締まるのです。御飯一粒がそれほどまでに全神経を刺激できることを感じ、それに対する無限の価値を感じることができたのです。おなかがすいて御飯を慕いながらも、それを忘れようと努力しながら、神様をより慕おうと涙を流しました。また、かわいそうな人々を見れば、人知れず涙を流し、彼らのために祈りました。このような心には、神様が共にいらっしゃるのです。先生は、今もそのときが懐かしいのです。
31 興南監獄にいるとき、先生に良い服があれば、食口から良いパジやチョゴリが差し入れられれば、一番かわいそうな人のところに持っていって着せてあげました。そこでは、袋に肥料を入れて縄で縛る作業をするので、手のあちこちが裂け、血が出るほどでした。そのような手で、先生は、テントの布を外して服を作りました。ズボンを作り、囚人の中で、誰も面会に来なくて着る服がない人にあげました。それは、どれほど手間がかかるでしょうか。そのようにすれば、彼らは喜びます。自分の父母が買ってくれるより、もっと喜ぶのを目にすることができました。先生は、服がすべて破れて、風が吹けばお尻が見える服を来て歩いても、監獄にいる人の中でそのような人がいれば、私の服を持っていってその人にあげたのです。
32 先生は、共産党が監獄に入れてありとあらゆることをしても、神様を最後まで愛しました。神様を信じるのですが、絶対的に信じるのです。私が約束したならば、私が約束したことは絶対的であり、その方が私に命令すれば、それを絶対的なものと考えるというのです。難しいか易しいかは問題になりません。監獄でも、孝子は孝子の務めを果たさなければなりません。忠臣は忠臣の務めを、監獄に入っても果たすべきなのです。
33 六・二五動乱のとき、国連軍が一番先に北朝鮮に上睦した所が興南でした。それは、神様が急いで救わなければならない息子がそこにいたからです。共産党は、その前々日、監房にいる人たちを、「御飯をあげる」と言っておびき出し、連れていきました。この人たちは、処刑するためにそのようにしていることも知らず、御飯をくれると言うので、それを食べようと思って先を争って行こうとしました。先生は、既にそれが分かっていました。「他の人たちは死んだとしても、私は死なない。どのような惨事の悲運が通過していく場においても、銃殺されて倒れる場においても、私は決して死なず、生き残ってみせる!」と思いました。そのように人々をおびき出して山の中に連れていき、すべて処刑してしまいました。そして、その翌日が、先生の引っ張られていく番でした。ですから、神様は、どれほど急がれたでしょうか。そのような状況で、国連軍が興南に上陸しました。このようにして、先生は、監獄から抜け出すことができました。
34 国連軍が北朝鮮の興南に上陸することによって、先生が監獄から出たそのことが、民主世界が恵沢を受けられる条件になったのです。言い換えれば、国連軍が上陸して監獄の門を開き、先生を救出したので、そこから民主世界が救いを受け、支援を受けられる関係が残されたというのです。もし、先生が監獄でもう三日だけ過ごしていたならば、霊界に行ったでしょう。共産党は、囚人の一次、二次、三次粛清を決めていたのですが、先生は、三次粛清に引っ掛かっていたのです。刑期が七年以上であれば一次、五年以上であれば二次粛清の対象だったのですが、先生は、五年刑を受けて監獄にいました。一次粛清をした日が、正に先生の出獄三日前です。結局、三次粛清を受ける前に、先生は解放されたことになります。先生は、そのようにして、ぎりぎりのところで復帰摂理をしていることを皆さんは、知らなければなりません。
35 一九五四年五月一日に世界基督教統一神霊協会を創設することによって、反対が起こりました。闘いが始まったのです。戦争の真っただ中に登場したのです。そうして、キリスト教、韓国政府、すべてが先生一人に対して闘いを仕掛けてきました。先生一人しかいませんでした。すべてが反対したのです。世界史的な主人公を最後まで反対することによって、そのような問題が生じたのです。ここから全世界の勢力を集めて、先生一人を全世界のサタン世界がたたき潰そうとするのです。そのようにすることによって、将来、サタン世界が滅びざるを得なくなるのです。不可避的にそのようなことが起こります。
それで、一九五五年七月四日に事件が起きました。そのとき、「共産党だ何だ」とか言われながら、世の中の悪いものをすべて先生が背負ったのです。先生にすべてのものを頭からかぶせたのです。悪い名前であれば、すべてもってきてくっつけました。そのようにして、ありとあらゆる調査をしたにもかかわらず、何もないので、無罪釈放になったのです。
36 延世大学と梨花女子大学の事件が起こりましたが、そのすべての問題は、教育機関を中心としてキリスト教の最高基準を連結させるためのものでした。反対しましたが、天の側を形成できる条件を備えたので、一世ではなく二世を包摂できるようになりました。なぜ一世はやめたのでしょうか。一世は既に汚されたというのです。韓国でこのみ旨を立てようとするときに反対したので、北朝鮮に行き、再び訪ねてくるまでにサタンが提示する条件を立てた基盤ができたので、一世を中心とするのではなく、必ず二世を中心とした救援摂理を推進させていったのです。
37 梨花女子大学の総長が、「統一教会の内容について調べてきなさい」と言って、宗教社会事業学科の教授を送ったのですが、この方は、原理のみ言を聞き、一週間で統一教会に入ってしまいました。すると、多くの教授が訪ねてくるようになりました。そして、寄宿舎の学生がこの原理のみ言を聞き、皆訪ねてきました。梨花女子大学は当時、アメリカの宣教部から援助を受けている立場だったのですが、名もない統一教会に吸収されるかと思い、危険を感じたのです。そうして、統一教会に入った学生を相手に緊急措置を取ったのですが、それが退学事件です。二者択一をしなさいと言ったのです。「学校を選ぶのか、統一教会の文先生を選ぶのか」と言ったのです。そのような退学事件が起こることによって、先生は、監獄に行くことになりました。