天聖経: 第380話
第十二篇 天一国
第二章 天一国の構造と定着
第三節 天一国の憲法と教本 25-35
25 第二は、自分以上に子女に関心をもって対しなさいということです。それでは、一日の生活において、どのようにすべきでしょうか。ここに汚点を残さず、誤っていない位置に行こうとすれば、自分のこと以上に、兄弟や子女と向き合うのです。自分以上に関心をもって、自分以上に待遇するのです。家庭で兄弟が生活すれば、良い物は互いに先に取ろうとするでしょう。しかし、兄が来るまで待たなければなりません。良い物は兄がまず取り、その次に弟が取り、待っていた末の弟は最後に取らなければならないのです。そのように秩序を立てる教えをもって、赤ん坊をおんぶし、子守唄を歌いながら教えてあげなければなりません。「父母のように、このように愛さなければならない」と、父母が教えてあげるのです。
26 第三は、自分の所有のように大事に思うことです。自分の物のように大事に思いなさいというのです。理想的な愛は、子女から始まります。父母から始まるのではありません。愛という言葉は、夫婦から始まるのでもありません。夫婦とは、男性と女性が他の父母から生まれ、出会うことです。
それでは、理想的な愛はどこから出発したのでしょうか。それは子女です。アダムとエバを愛の対象として造ったので、神様のみ前に対象の愛をもって、対象において実を結んでこそ返ってくるのです。理想的な愛は、父母から始まるのではなく、子女から始まります。子女ゆえに理想的な愛が出発し始めるというのです。父母が子女を愛するのは父母の愛ですが、その愛の出発の動機は、父母のためではなく、子女のためだというのです。ですから、愛をもった人は、万民を子女のように愛さなければならないという結論が出てきます。万民をそのように愛する人は、神様のように愛するのです。父母の立場を身代わりできる立場に立つということです。
天の兄弟の教本
27 第一に、兄弟は横的世界を代表するので、互いのために生きなければなりません。真の愛は、ために生きるところから始まります。二人が出会うことによって、向こうからはこちらに、こちらからは向こうに、互いに与えようとするとき、円形運動が起きるのです。円形運動が起きれば、そこから理想圏が広がります。
兄弟をなぜ大事に思わなければならないのでしょうか。兄弟は、版図が世界的であり、子女は縦的です。兄弟の愛によって横的な基準が広がっていくのです。ですから、兄弟を愛するのは、世界を愛することです。万民平等思想は、万民兄弟愛を中心として連結されます。それは、世界性を中心として語るものです。そのため、兄弟の愛は一つの軸から拡大されていくのです。
28 第二に、父母と兄弟と「私」です。「兄」と言えば、父母の愛が加わり、兄弟愛が加わるというのです。本来、兄弟は、分かれることなく、あとから横へ広がっていく愛を実践しなければなりません。「私」のための開拓者の位置に立つというのです。男性が行く道は、女性が将来一つになれる所有版図を拡大させるためのものであり、女性が行く道は、将来愛を中心として一つになることによって、男性の新しい版図を拡大させるためのものです。
そうして、右弦であれば右弦、左弦であれば左弦の新しい版図を拡大させるための立場にいるので、その兄弟は、「私」の代わりに愛の版図を拡大させると見なければなりません。兄がもっているものが「私」に関係ないとしても、そのように何度も大きくなっていき、版図が拡大されることによって、それが「私」の版図のためのものになるのです。
兄弟をたくさん愛する人は、版図が広がるというのです。兄弟が多ければ版図が広がるという話は、そのことについて語っているのです。そうして、兄弟愛を世界に拡張できるのです。子女愛ではできません。兄弟愛を中心とすれば、世界に拡張できる版図を開拓できるということです。そのため、父母愛と兄弟愛と「私」のための愛を身代わりして開拓者の道を行く人は、父母の愛と、兄弟の愛と、未来の愛を合わせた人のように対さなければなりません。未来の「私」の愛の版図を開拓するための道が、兄弟愛が行く道です。
29 第三に、兄弟の愛でために生きる人は、世界圏を占有するということです。兄弟を愛するというのは、世界版図を拡大して、世界版図圏を探し出すためのものです。そして、横的基盤が大きくなり、中心存在になるというのです。最後には、縦的基準と一つになることによって、横的基準が大きくなり、中心存在と一体になるのです。そのようになれば、垂直と一つになって永存できる位置に入るようになります。神様の直接的な縦的世界と一つになり、一体圏に越えていくというのです。
天の夫婦の教本
30 第一に、父母の愛、子女の愛、兄弟の愛を受け継ぎ、夫婦の愛を得ることによって、三段階の愛を探し出し、真の夫婦になります。子女の愛、兄弟の愛を経ていない人は、夫婦の愛を得ることができません。父母の愛と、子女の愛と、兄弟の愛を受け継ぎ、夫婦の愛を完成することによって、三段階の愛を探し出した真の夫婦になるのです。
真の夫婦は、子女の道理と兄弟の道理を経て、愛することができる立場に至って、初めて始まるのです。しかし、子女の時代、兄弟の時代を経て一つになるためには、夫婦にならなければなりません。結婚は、男性の世界を占領し、女性の世界を占領し、男性と女性の世界を占領したのちに、神様を占領するためのものです。それが結婚の目的です。なぜ神様を占領しなければならないのでしょうか。創造主の代わりに、「私」も創造主の立場に立って子女を繁殖するためには、神様を占領しなければならないという結論が出てくるのです。これが創造の教本の内容です。
31 第二に、東西が合わさり、上下が合わさり、前後が合わさって、天地合徳(和合)が成就されるというのです。夫婦は東西が一つになることですが、東西が一つになるのは上下が一つになることであり、前後が一つになることであり、天地が一つになることです。天地合徳が成就されるというのです。神様にとって、願いを成就する土台を成し遂げるという意味です。
32 第三に、すべて合徳しなければなりません。神様は縦的で、アダムとエバは横的なので、この縦的な神様と横的なアダムとエバが合わさってこそ、新しい定着が成立するというのです。神様も内的な本性相を中心として、外的な本形状を中心とした横的なアダムとエバの実体が一つになって、初めて位置をつかむのです。定着が始まります。堕落することによって、それができませんでした。天の教本と一致できず、完成した愛の理想圏において定着できなかったので、今日、この宇宙には中心がないということです。縦的な神様と横的なアダムとエバが合徳を完成したあとにこそ、新しい真の愛を中心として、定着が始まるというのです。
33 第四に、合徳を通して定着することによって、神様を身代わりした父母の位置に進む資格をもつ人になります。定着して一人の定着人になる代わりに、主人の資格を備えて宇宙に登場するのです。
天の父母の教本
34 第一に、父母、子女、兄弟、夫婦の愛を結合することによって、再創造主の位置に進んで子女を繁殖し、神様の代わりに地上王権を伝授されるというのです。堕落したために四大愛が分かれてきたのですが、これを総合して結合したその場に立つことによって、神様の位置、再創造主の位置に進んで子女を繁殖し、神様を身代わりした地上王権を伝授されるのです。天の国の王権を中心とした全体を地上で伝授されることによって、地上天国が形成されるということです。
35 第二に、理想的家庭を地上に拡大することによって、宗主になります。神様の代わりに地上王権を伝授されることによって、理想的家庭を地上に拡大するのです。そのためには、一つの家庭だけではいけません。拡張しなければなりません。拡張することによって、宗主になるのです。氏族的メシヤになるということです。