天聖経: 第360話

第十一篇 礼式と名節

第五章 主要名節と記念日

第一節 主要名節 29-38

29 全人類は、真の父母を迎えられる立場において、真の父母の愛を中心として全体的なものを備えなければなりません。それでこそ、父母の愛と子女の愛をもてるようになるのです。そのためには、真の父母の愛を受ける兄弟同士、この地で一つになり、すべてのものを備えていかなければなりません。真の父母を中心として恨多き歴史のすべてのものを清算できなければなりません。そうして、真の父母を迎える喜びを五色人種が賛美し、その心が愛によって弾け出ていって、この世界にある数多くの苦痛を取り除かなければなりません。そのときになってこそ、神様が安息なさるのです。

 

真の子女の日

30 神様は、天地万物を造られたのち、アダムとエバを中心として「子女の日」を迎えなければなりませんでした。もしその時に「子女の日」を迎えていらっしゃったならば、そこから「父母の日」も立てることができ、「万物の日」も立てることができ、「神の日」も策定されたはずです。

それでは、この「子女の日」とはどのような日なのでしょうか。子女として勝利し、宇宙的な栄光の場に出ていけるようになる日です。しかし、人間の先祖が堕落したので、アダム以降、全人類の中でいまだに神様のみ旨の前に一致した立場で勝利し、神様が許される栄光の立場に立った人は一人もいません。それで、そのような立場に置かれている人間を復帰するための歴史、救援するための歴史、すなわち、再び以前と同じ立場に立てるための歴史が、今までの神様の復帰摂理歴史です。「子女の日」は、この日一日が他の日と特別に違うから記念するのではありません。「子女の日」とは、堕落によって神様の栄光の場に同参できなかった人間が、歴史始まって以来、初めてそのような場に参与できるようになったことを、子女として記念する日なのです。

 

31 「子女の日」を迎えるためには、過ちを犯した子女が、過ちを正すことのできる起源において、神様と一つになるようにしなければなりません。誤った子女の行動によって神様を失ってしまったことを正すことができる息子、娘が出てきて、「子女の日」を立てることによって、神様を探し出さなければならないというのです。神様を探し出せば、神様が栄光の場に進み出て喜ばれます。神様が喜ばれるので、息子、娘も喜び、万物も喜ぶのです。

 

32 「子女の日」がなぜ必要なのでしょうか。「子女の日」を必要とするのは、私たちがその日を失ってしまったからです。それでは、誰が失ったのでしょうか。アダムとエバが失ったのです。ですから、アダムとエバが探さなければならないのです。アダムとエバが失敗して穴を開けたので、アダムとエバが繕わなければなりません。それで、最初のアダムは台無しにするアダムになりましたが、二番目のアダムは立て直すアダムになりました。最初のアダムは滅びる父になりましたが、二番目のアダム、イエス様は救ってくれる父になったのです。

 

33 統一教会で「子女の日」を決定したというのは、アダムとエバが蒔いた罪悪の種を取り除いてしまい、人類を悪から解放する起源をつくったという意味です。これまで人間が「子女の日」を立てることができなかったので、万物も解放を受けられずに嘆息圏内にあり、神様も嘆息圏内にとどまっていらっしゃいました。「子女の日」を迎えられないことにより「万物の日」も探し出せず、万物が栄光の場に進むことができませんでした。それで万物の前に怨恨が残されたのです。また、神様が喜ばれる栄光の日を迎えられませんでした。そのようになったすべての原因は、「子女の日」を立てられなかったことにあるのです。

 

34 堕落した人間にとって、名節の中の一番大きい名節は、「父母の日」よりも「子女の日」です。その日は、父母の権限を再び探し出す日であり、六千年間、人類歴史を蹂躙してきたサタンを追い払い、勝利の旗を掲げて現れる日です。堕落した人間は、その日を迎えてこそ天の国に入ることができ、天の父母に侍ることができます。統一教会の教会員でも、教会員同士だけで行っては、天の父母に侍ることができないのです。橋を架けて侍らなければなりません。ですから、男性も女性も、霊界に行っている人々に橋を架けてあげなければならないのです。この日は、統一教会の教会員だけでなく、これから世界万民が永遠に守るべき日です。堕落した人間にとって最も福のある日が、「子女の日」です。

 

真の万物の日

35 「万物の日」は、万物を解怨成就させる日です。万物を解怨成就させられる人間の資格は、堕落する前のアダムとエバの立場でなければなりません。本来、万物は、真の父母の愛を中心として主管を受けるのが天理原則です。真の父母の愛がなければ、「子女の日」もあり得ないのです。子女が真の父母の愛を通してのみ出てくるように、「万物の日」も真の父母の愛を通してのみ出てくるのです。

それでは、「万物の日」を迎えられる資格をもつ人は、どのような位置にいるべきでしょうか。堕落していないアダムとエバ以上の位置に立っていなければなりません。そして、その位置は、父母の愛を通してのみ形成されるのです。アダムとエバの堕落によって因縁が結ばれた位置で生まれてみると、私たちは、願わなかったサタンの主管圏内で生きるようになっていたのです。

 

36 「万物の日」によって万物世界が解怨され、「子女の日」によって歴史的な解怨が韓国を中心に広がりました。また「父母の日」によって歴史的な解怨が韓国を中心として広がったので、地球上でサタンが神様の勢力を追い出すことのできない、強固な土台が築かれたのです。これにより、地上摂理の出発がしっかりと固まって、サタンを防ぐ障壁として大きくなっていかなければなりません。ここでは、天の側の人々が多ければ多いほど、大きくなっていくのです。天の側の力と基準が大きくなれば天の側が勝利し、天国が成し遂げられるのです。先生は、このような観点から見つめています。そのため、一九六三年に「万物の日」を策定したのです。

 

37 本来、万物は、人間のために造られたので、人間によって主管されなければなりませんでした。しかし、人間の先祖アダムとエバが堕落することにより、万物は今まで人間の主管を受けられず、サタンに主管されてきたのです。神様が万物と関係を結べなかったのです。人間の先祖が堕落することによって、万物までもサタンの主管圏内に入ったので、この地上で万物圏まで侵害しているサタンの権限を取り除かなければ、万物が本然の位置に帰ることはできません。人間が万物を嘆息圏内に追い込んだので、万物を解放させる責任も人間にあるのです。

 

38 「万物の日」が設定されるためには、どのようにすべきでしょうか。人間の先祖の堕落によって万物がサタン圏内に入ったので、その万物を復帰するためには、人類の真の先祖が顕現しなければなりません。その次に、神様が子女の関係を中心としてアダムに祝福された主管性が復帰されなければなりません。父母と子女を中心として横的に連結させ、全被造世界を主管できる基準を立てなければなりません。それで、統一教会では「父母の日」を中心として「子女の日」を立て、そこから再び「万物の日」を立てたのです。この「万物の日」は、ある一個人だけが記念する日として残されてはいけないのです。

Luke Higuchi