天聖経: 第361話

第十一篇 礼式と名節

第五章 主要名節と記念日

第一節 主要名節 39-47

39 私たちは、「父母の日」を迎え、「子女の日」を迎えました。しかし、父母と子女だけがいるのでは、完全な復帰になりません。神様が人間を祝福されるとき、「生めよ、ふえよ、すべての被造万物を主管せよ」と言われたので、父母と繁殖した子女がいれば、彼らの前に主管を受けられる万物がなければなりません。ですから、私たちは、この「万物の日」を迎えるとともに、家庭を中心として万物をまず天と連結させて真の家庭を築き、万物と完全に一つになったあとにこそ、自分自身を天と連結させることができるのです。

 

40 私たちが「万物の日」を迎えると同時に、いつでも考えなければならないことは、私たちが「神の日」を立てることは立てましたが、いまだに万物を神様が主管できる位置に連結できていないということです。したがって今日、被造世界の万物は、誰それの物として残されてはいけません。「真の父母」の名を経て神様の物になるときまで、復帰の段階を経ていかなければならないのです。

 

天宙統一国開天日

41 きょうは、大韓民国の開天節ですが、四千三百二十一年目となる年(一九八八年)です。それで、きょうを「統一国開天節」と定めるのです。兄弟に侍ってこのようになれば、願いをかなえたということです。皆さんは、願いをすべてかなえました。堕落した人々の願いは何でしょうか。神様がいないと思ったのに、真の神様を知りました。神様を知り、神様をプレゼントとして与え、真の父母をプレゼントとして与え、真の夫と真の妻をプレゼントとして与え、真の息子、娘をもたせてあげ、その次に、真の氏族まで編成しなさいと、すべて与えたのです。真の国までつくるようにすべて成し遂げたので、今や真の世界しか残っていません。それで、きょうを真の世界統一国家出帆日と定めるのです。これは、世界万国の開天節の起源になるでしょう。

 

42 ソウルオリンピックを中心として、名実共に天理の度数を合わせる外形的なすべての規格を備えました。四位基台です。今年は、檀紀四三二一年です。この二十一数というのは、途方もない事実です。韓国において、きょうが開天節ですが、開天節というのは天が開くときという意味です。建国日といえばいいのに、なぜ開天節と言うのですか。「開」の字と「天」の字です。「天が開かれる節気」だというのです。ですから、天が開かれる節気であるこのときに乗って、国家的に開かれた個人的な門を、世界的な門まで開いてこそ、韓国の運勢は世界に向かって、内外に転がっていくのです。それで、きょうは「世界統一国開天日」です。

世界統一国、統一世界、「世界統一国開天日」を宣布できるすべての摂理観的な内容を通した理論において、一致点が内外に、前後左右にぴったりと的中するのです。またこの日は、理論的にも体恤的にも、統一教会の歴史の観点において一致するため、この日を掲げて私たちの希望の日が開門するという言葉に代えても、異議がありません。ですから、世界統一天国です。世界統一国が地上天国です。地上天国開天日です。

 

43 旧約時代までは物質の犠牲時代であり、その次に、新約時代は子女の犠牲時代です。成約時代は、父母様の犠牲時代です。父母様がすべて犠牲になってきたのです。先生は、愛の十字架を背負ってきました。愛の哲学をすべて知りながら、それを夢の世界のものとして願ってきたのです。ところが、その世界に進む道を、サタンはあらゆることをして塞ぎました。橋を架けられないように、ありとあらゆることをして妨げたにもかかわらず、千辛万苦の末に、天の協助と先生のみ旨のための忠情の道によって、今日、世界的なすべての蕩減基準を中心として、「統一国開天日」を宣布できるようになったということ、これ以上に喜ばしい知らせはありません。

 

44 統一所有権を確定してこそ、心情的基準の前に一致した統一世界となり、神様の所有権に帰ったその位置でのみ、統一世界、天地の真の父母様を中心とした一つの世界に前進できるのです。このような基盤のもとで、所有権を必ず神様の所有権に返さなければなりません。父母が反対しても、すべてのものを天のみ前に捧げられる良い時が来たので、これを統一教会の誰もが、伝統的思想として受け入れなければなりません。そのような環境で一族が伝統的思想として受け入れるとき、一族の解放が完全に広がるのです。そのようにすることによって、皆さんは、地上のアダムとエバの位置に行きます。天上世界のすべての先祖は天使長の立場に立ち、皆さんが先祖のようになるのです。息子、娘を生んで暮らし、何千代の祖父母になり、同時に何千代の子孫になるのです。そうして、天国開門の役事が起こるというのです。

 

七・一節(神様祝福永遠宣布の日)

45 きょうは「七・一節」です。「七・一節」は「神様祝福永遠宣布の日」です。人間が生まれたあと、神様から約束の祝福を受けたその祝福は、今まで成就されないで延長されてきました。救援摂理を通して、ある一時に神様のその祝福が成就されることを願ってきたのが、人類歴史を通した神様の願いでした。それがある一時に成就されなければ、人類の幸福、神様の理想世界は実現できないのです。そのため、神様が祝福したことを再び生かし、永遠の祝福として立てておかなければ、永遠の人類の理想世界は訪ねてこないのです。ですから、誰かがこれをなさなければなりません。「誰か」というその方は、「誰でも」ではありません。神様が選んだ、堕落していない本然的な完成したアダム理想を成就する方が来てこそ、これが可能なのです。すなわち真の父母の顕現とともに、そのようなことが可能だという結論を下せるのです。

 

46 神様の永遠の祝福が成就していないのは、何のためでしょうか。人類の偽りの父母が生じることによって、祝福を成就できなかったからです。それを蕩減復帰するためには、人類の真の父母が現れ、このすべてのものを清算できる立場に立って、「永遠の神様の祝福が、万歳(マンセ)を叫べる立場に立ちました」と宣布しておかなければなりません。そのようにしなければ、そのもとにいるすべての子女と氏族、国家、世界は、再び堂々たる立場で神様のみ前に立つことはできません。そのため、永遠の祝福を再び宣布するのです。それが「七・一節」です。

 

47 一九九二年を前にして、先生は、一九四五年から一九五二年までの七年間になすべきだったことを、四十年の再蕩減路程で受難の道に立つことによってすべて清算し、一九九一年に「七・一節」を宣布しました。これを通してお母様を世界的な母として、お母様の息子、娘を世界的な息子、娘として立てる時代が来るのです。それが「七・一節」です。第一次イスラエル選民圏を失い、第二次イスラエル選民圏であるキリスト教を失いました。その失ったものをすべて蕩減復帰しなければなりません。再び家庭を編成して、天の側の家庭と天の側の氏族と天の側の民族と天の側の国家まで取り戻してこなければならないというのです。サタン世界の国家基準まで、天の側が出てこなければなりません。

Luke Higuchi