天聖経: 第355話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第十一篇 礼式と名節

第四章 祝福家庭の生活儀礼

第三節 祝福家庭の日常礼節 12-20

12 皆さんは、父母が好きであり、必要としています。いつも父母に会いたいと思い、一緒にいたいと思います。それは、年齢で見ても差があり、秩序的段階を見ても上下の関係があるからです。ですから、そこには礼を備えて尊敬し、孝行しなければなりません。このようなすべての社会生活の人倫道徳的な内容を備え、上下関係において、一つは主体であり、一つは対象の位置に立たなければなりません。ここで孝子になろうとすれば、従順や服従という内容を介在させて、自分が会いたいと思わなければなりません。これが父子関係です。

 

13 人間が貴いのは、人倫道徳があるからです。人倫は、人と人の関係を意味します。一人の人を指して「人倫」という言葉は使いません。「人倫」という言葉は、二人以上になってこそ成立するのです。男性と女性が結婚した家庭から、社会の倫理という言葉が成立します。倫理は人間関係の道理であり、法則です。

 

14 私たちは、超民族的、超国家的な新しい伝統を立てていかなければなりません。その伝統を私たちの思いのままにするのではなく、神様が願うとおりに、伝統の相対的基盤を築いていかなければなりません。皆さんの習慣性や過去の風習、現在盛んになっている流行に歩調を合わせるのではありません。完全に違うというのです。

 

聖塩と聖燭による聖別生活

15 聖塩は麹と同じです。物を買ったときに聖別し、外で過ごして家に戻ったときも、門の所で聖別するのが原則です。聖別した物をサタン世界に差し出してはいけません。避けられないときは、左手であげなさいというのです。聖塩は十字(北南東西の順)にまくのです。

 

16 私たち食口は、すべての物を聖別しなければなりません。聖塩をまいて聖別するのは特に問題がありませんが、御飯を食べ、麺を食べ、水を飲むというときに、いつ聖塩をもってそのようにできますか。それでは、どのようにするのでしょうか。イエス様が復活したあと、「フッ」と吹きながら「聖霊を受けなさい」と言ったのと同じように、そのようにすればよいのです。アダムを造って、鼻に命の息を吹き入れて実体の新しい生命を誕生させたのと同じように、これからは皆さんも生命の実体を身代わりし、水を飲むとか、御飯を食べるときは、三回息を吹いて食べなければならないというのです。

韓国の風習は不思議です。水を飲むときも、必ず息を吹きかけてから飲みなさいというのです。また座るときは、息を吹きかけて座ります。それは、天がこの民族の前に実践できる自然な良心を動かして、私たちに一つの風習として残してくれたのです。これは、すべて偶然にできたものではありません。そのため、心でいつでもそのような聖別をしなければなりません。蘇生、長成、完成、六千年の非常に長い時代を三時代として経てきながら汚したものを聖別するために、私たちは、三回息を吹きかけて食べなければならないというのです。

 

17 喜べる万物にならなければ、喜べる人が生まれません。堕落した圏内で悲しみの万物になったので、喜ぶことのできる万物にしてあげようというのです。このようにするためのものが聖塩です。聖塩によって聖別するのです。何によって万物がそのように汚されたのでしょうか。父母によって汚されたのです。聖塩は、真の父母が現れるときから、真の父母様の聖婚式場から始まりました。堕落した父母の愛から、すべての物が汚され始めました。それで、聖塩は真の父母様の愛を中心として、聖婚式場から出てきたのです。聖塩は、新しい愛の関係が縦横を中心として出発した土台の上で始まったので、堕落した悲しみのすべての嘆息圏を取り除き、新しい希望の世界に越えていける絶対的な条件物です。ですから、サタンも聖塩をまけば逃げていくというのです。

 

18 今まで理想世界が引っ掛かっていたのですが、それを私たちが代わりに贖罪し、責任をもとうという意味で、「愛天日」を宣布しました。興進君が霊界に行くことによって霊界の地獄の門が開き、地上で地上地獄の門が開きました。そうして、天の圏に通じることができるようになりました。霊界地獄世界や地上地獄世界、監獄の世界まで通じることができるのです。イエス様が亡くなったのち、三日間地獄に行って門を開いたのと同じように、先生が三日間で地上地獄の門を開いたというのです。イエス様が十字架ですべて失ってしまったのを、このことによってすべて取り戻すというのです。

愛天のろうそくの火は、イースト・ガーデンでつけてきました。一九八四年五月十六日に宣布したのですが、そこでこのろうそくをつけてきたのです。愛天のろうそくは、家庭をもった人だけがともすことができます。独りのときはできません。結婚してこそ、できるのです。これは、愛の父母様を中心として天と一つになることにより、愛の主管権が広がるのです。その主管権のための一つの象徴的なろうそくなので、結婚した家庭がともすのです。

 

19 愛天のろうそくは、国と世界に重要な問題があり、自分の家庭に重要な問題があり、自分の一族に重要な問題があるときに使用するものです。家庭の祖父、祖母や、父母や自分の家庭すべてが一つになり、このろうそくを中心として愛の主管圏が形成されるように祈るのです。そうすれば、そこにはサタンが侵犯できません。このように分別されたろうそくです。この光が届くところには、神様と父母様が共にいると思い、愛の主管圏が形成されると思わなければなりません。聖別されるというのです。

父母様を中心としてこれを始めたのですが、皆さんがこれをもつことによって、皆さんの家庭まで連結させるのです。これからろうそくをもてば、恥ずかしいことがあってはいけません。そうでなければ、このろうそくをもつ資格がないのです。ろうそくを見れば、芯を中心として自分が犠牲になるという意味があります。天を中心として人類が一つになり、一つの光を発するためには、犠牲にならなければならないということの象徴にもなります。

火がつくのは、ろうそくでもなければ、芯でもありません。ろうそくと芯が合わさって火がつくのです。皆さん夫婦も、主体と対象が犠牲になりながら光を発しなければならないということの象徽にもなるのです。そこにはサタンが存在できません。そうして、父母様が「愛天日」を定めた基盤を中心として、世界的にすべての祝福家庭を連結するのです。この愛天のろうそくには、天が主管するという意味があるのです。

 

祝福中心家庭の報告祈祷

20 二〇〇一年正月の一日から、祈祷が変わります。「祝福中心家庭、誰々の名によって祈ります」と言うのです。すべて蕩減し、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰をしたのです。アダムとエバが、堕落の因縁がなかった解放的時代に入っていく立場で、主体的な自分の家庭を築かなければ脱落します。アダムとエバが堕落したとき、即刻、処断しました。皆さんも、夫が誤れば即刻、妻が誤れば即刻、自分と関係を切れる時代に入るのです。

 

Luke Higuchi