天聖経: 第353話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第十一篇 礼式と名節

第四章 祝福家庭の生活儀礼

第二節 家庭の愛の法度と夫婦の礼節 10-22

10 先生は、どこかに行って家に帰ってくれば、必ず寝ている子女たちの顔をなでてあげます。父母の役割を果たすのは簡単なことではありません。そのようにして、「私たちの父が私を愛するように、私も息子、娘を愛さなければならない」ということを自動的に植えてあげるのです。また、「私たちの父が世界で一番だ!」ということを分からせなければなりません。

 

11 人は誰でも、素晴らしい息子、娘をもちたいと思います。それでは、素晴らしい人に育てるためには、どのように教育しなければならないのでしょうか。ある人は、「幼稚園から大学まで学校がたくさんあるのだから、そこで教育すればよい」と言うかもしれません。しかし、教育は、父母が一生の間やらなければなりません。精誠を尽くさなければなりません。父母が精誠を尽くして育てた子女に家門を任せるとき、すなわちその代身者として立てるときは、父母の心と一致させ、父母に従わせながら、代身者として立てるのが常例です。

 

12 先生が心配するのは、どのようにすれば統一教会の名前を後世に残せるかということではなく、どのようにすれば先生の伝統を受け継いだ人々を後世に残せるかということです。そのため、今まで伝統を重要視しなさいという教育をしてきているのです。

 

13 祝福家庭と祝福家庭の息子、娘たち、その息子、娘の息子、娘たち、すなわち三代がどのように先生と共に暮らせるかということが大きな問題だというのです。三代が功臣になれば、天下にない天上世界の功臣になるということを考えてみましたか。ですから、自分の息子、娘に対して、今からそのような思想を入れるために、教育して精誠を尽くさなければなりません。

 

夫婦間の礼節

14 夫婦は、一緒に行動しなければなりません。一つにならなければなりません。どこかに行って座るときも、別々に座るのではなく、一緒に座りなさいというのです。夜も昼も、いつでも一緒に通じることができるのが夫婦だというのです。夫婦でなければそのようにできないのです。夫婦でない男性と女性が、一つの部屋に入って寝ることができますか。そのようになってはいません。

今後、理想世界では、夫婦が仲良く歩けば、未婚の女性と男性はその人たちに挨拶をしなければなりません。これからそのような時が来ます。夫婦が一つになっている姿を誇らしく思い、それを賛美する社会風土にならなければなりません。さらには、祝福を受けた家庭の夫婦が歩けば、今後はそのような標識が立つでしょう。その人々は、どこに行っても社会からあがめられ、多くの人々がその夫婦に対して賛美し、尊敬できるようにならなければなりません。

 

15 男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。それでイエス様は天から、聖霊は地から、救いの恵沢を与えているのです。そのようにして、家庭的基盤を築いているのです。家庭的な基盤を築くとき、夫に妻が心を合わせてあげれば福を受けるのであり、妻に夫が心を合わせてあげれば福を受けるのであり、子女が一つになれば福を受けるのです。今は家庭救援時代です。

 

16 祝福家庭が赤ん坊を抱いて愛するとき、その息子、娘が何ゆえに生まれたのかということを肝に銘じなければなりません。神様ゆえに生まれたということを知らなければなりません。神様との関係を通して生まれたのです。夫が貴く、妻が貴くて、秘密裏に何の話をするとしても、その相対は自分たち同士で出会った相対ではありません。公的な天道を前にして会った人です。神様を介在させて出会った人です。そのような自分たちが悲惨になれば悲惨になるほど、神様はもっと悲惨になるのです。

 

17 男性が女性の部屋に入っていくときは、天地に一つしかない女王の場に入っていくのです。女性が男性と向き合う場は、王に侍るために入っていく場です。そのため、敬拝して入らなければなりません。三拝して入り、迎えなければならないのです。自分の夫に敬拝して入っていき、愛し合ってみたことがありますか。ですから、家庭教育もそのようにしなければなりません。父の部屋に入るときは、母が神聖な服で着飾ってすべてを備え、外出するときよりもさらに美しく装って入らなければならないのです。

 

18 夫婦が愛し合うためにドアを開けて入るときは、敬拝をしなければなりません。女王、大王に侍るためにいくのです。アダムは、地上天国の王であり、伝統のモデルです。そのような思いをもって暮らせば、天上世界においてアダムの王子の立場を身代わりできる位置に行くのです。王族になります。対等な価値をもつのです。

 

19 女性の部屋を訪ねていくときは自重しなければなりません。生命が宿る所、神様が訪ねてこられる所、永遠の子孫が輝くように芽が出る所なので、自重しなければならないのです。それを「私」から整備して、厳粛に初愛の花を咲かせなければなりません。その合歓の城を訪ねて入っていくのが、夫婦の愛の場所です。王権を羨むことがなく、天上世界の幸福の基地を羨むことがありません。すべてがここから始まるのです。このようなことを知り、これから妻がいる部屋を訪ねていくときは、敬拝をしなければなりません。三代の王宮を神聖に輝かせるために訪ねていく男性の堂々とした栄光ある姿を、何と比べることができるでしょうか。

 

20 暮らしが大変なのは、不幸なことではありません。どれほど天とひそかに近くなれるかが、幸福と不幸の別れ道です。個人が滅びるのは大丈夫ですが、家庭が減んではいけません。夫にとっては妻が、妻にとっては夫が、世界で最も必要な人です。ですから、互いに助言をしてあげながら杖となり、共に働く人にならなければなりません。

 

21 自分の妻を愛するならば、夫は妻の誕生日のとき、その村の婦人たちを招待し、妻をこの上なく愛する心で、妻のために踊りを踊り、歌でも歌ってあげることができなければなりません。そのようにすれば、村のすべての人々がその夫婦に対して、「福を受けなさい」と両手を合わせて祈ってくれるのです。福を祈ってくれるというのです。その人々が心を合わせて福を祈るのは、この上なく貴いことです。そこに善人が千人いれば、千人の願いがかなうように祈ってくれるのです。一人の善人が祈っても、その願いをかなえてくれるのに、千人の善人がそのように祈ってくれるなら、その千人の願いをかなえてくれないことがあるでしょうか。

 

22 愛をたくさんもった夫は、家の中で悪口を言っても、これは、すべて愛の刺激になり得るのです。愛がない夫の言葉は、その一言が身を切るような破壊の動機になります。愛のむちなら打っても良いのですが、愛のないところでは何であっても嫌なのです。

Luke Higuchi