天聖経: 第351話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第十一篇 礼式と名節
第四章 祝福家庭の生活儀礼
第一節 祝福家庭の生活法度 121-32
21 アダムとエバの一度の失敗を復帰するのに何万年かかったか、考えてみてください。数多くの人が犠牲の代価を払いながら、この場に訪ねてくるまで苦労したのに、ここでまたそのようなことをするのですか。知らないときであれば分かりませんが、知ったのちには、そのようなまねはできないのです。自分に損害があり、被害が莫大であることが分かり、自分に被害が出てどのような結果が訪れるということがあまりにもよく分かるので、これに勝つのは問題ありません。
何千倍以上の被害がもたらされることがはっきりと分かるので、それを「やりなさい」と言ってもできないのです。アダムとエバの一日の失敗によって、どれほど被害を受けたかが分かり、自分自身にどれほど致命的な損害が訪れるかが分かれば、そのような行動はできないのです。それが分からないので、「それにどうして勝てるのか」という言葉が出てくるのです。
22 女性には男性が、男性には女性が一番恐ろしいのです。ですから、近くに行ってはいけないというのです。前から女性が来れば、避けていきなさいというのです。最近は、未婚の女性や男性たちが木の下に座って話をしているのを目にしますが、そのようにしてはいけません。
話をするなら必ず三人以上で集まってしなさいというのです。三人なら大丈夫です。天使長とエバ、二人で会ったから堕落したのです。アダムを呼んでおいて話をしたら、堕落したでしょうか。そして、アダムとエバも二人で会って話をしたから堕落したのであって、神様を迎えておいて話をしていたなら、堕落したでしょうか。会おうとするなら、三人以上で一緒に会いなさいというのです。
これは、強引に従わせようとしているのではありません。そのように誤ることがいくらでもあるので、それを防ごうというのです。そのためには、アダムとエバが堕落できない立場を取るのが原理的です。間違うことを防ぎ、それを清算するためのものが、私たちのみ旨です。そのため、三人以上で会いなさいというのです。
23 伝道するときも、女性は一人でしてはいけません。年を取った祖父や祖母でも、杖を引きずって歩く祖母、祖父でもよいので、一緒に回りなさいというのです。あるいは、小学生でもよいので、一人を連れて回りなさいというのです。伝道してはいけないというのではありません。危険なのでそのように言うのです。堕落する可能性があるので、それを防ごうというのです。三人いれば大丈夫です。私たちが互いに愛するのは、これを防ごうということです。それが愛です。いくら責任者だとしても、そのようにしなければなりません。
24 男性と女性だけがいれば、堕落する可能性があります、なぜガソリンがあるところにマッチを持って入っていったり、ガソリン缶の横でたばこを吸ったりするのかというのです。一度誤れば、すべて壊れていくのです。永遠に逃れる道理がありません。原理を知れば、逃れる道理がないのです。「原理はこうなっている」ということが分かれば、それはきちんと組織的にできているので、一度引っ掛かれば、それを抜け出したり、否認したりする何の根拠もないのです。
純潔、純血、純愛の生活
25 父母は、子女に真の愛を実践することを教育しなければなりません。これは、すべて家庭に関する話です。夫婦が貞節を守らなければならず、一心が定着しなければならず、その次に子女に対して真の愛の実践教育をしなければなりません。父親が酒を飲んで入ってきて、母親を殴りながら「私の話を聞け」と言えば、聞くでしょうか。母親が父親をだまし、うそを言いながら、子女たちには「私の話を聞きなさい!」と言えば、聞くでしょうか。ですから、子女に対する真の愛の実践教育です。教育ではなく、実践教育です。実践し、教えてあげなさいというのです。これを標語として、きちんと書いて掛けておかなければなりません。皆さんが精誠を尽くして書かなければなりません。
26 純潔、純血、純愛、その次に純情です。情を離れては、血統が生じません。千年、万年、情を基盤として血統が連結されるのです。息子、娘を千年、万年、継承させることのできる道は本妻しかいません。離婚できないというのです。そのようになっていなければ、二倍以上、蕩減しなさいというのです。
27 神様が一代、真の父母が二代、皆さんは三代です。そして神様が一代、皆さんが二代、皆さんの子女の三代圏ですが、四位基台理想を中心として白い玉のように純潔な女性、男性となり、純潔な愛、純潔な生命、純潔な血統を千年、万年残すことが、祝福の根本の伝統だったという事実を知らなければなりません。
28 二十代に近い青少年として汚されていない、染まっていない神聖な純情を、大事にしっかりと包んで、どこにもっていくのですか。天が一番喜べる祭壇の前に置いて、神様が喜び、その次に純情をもった男性と女性が出会って、喜ばなければなりません。神様が一緒に束ねられる神聖な土台が、新郎新婦の出会う場所なのです。
29 自分の体は貴いものです。これを汚さず、孝行をしなさいというのです。天に奉仕するその責任をもって、神様から認定を受けたその体をもって、サタンの死亡圏から脱出しなければなりません。これは、人間としての最高の目的であり、またそれが基準です。創造原理からすれば、そのようにならざるを得ないのです。
30 聖子は、天地を愛する人です。聖子は、霊界と肉界を中心として、神様を中心とした天上と地上の王権を中心として、国を愛する人です。天上の王宮法を知り、地上の国法も知って、天地の二つの世界のすべての法を守りながら愛そうとする人です。
31 神様は、アダムとエバを、誠を尽くして造られました。そこにおいて受けたのが真の愛の種、真の生命の種、真の血統の種です。そこに帰らなければなりません。蒔いてくれたのだから、帰らなければならないのです。がらくたは誰も願いません。しかし、霊界に行けば、自分で過ぎし日のことが、すべて分かります。死ぬときに、すべてのものを清算していかなければならないのですが、外的な面は清算していっても、内的には残っているというのです。それが問題です。内的なものまで完全に分からなければ良いのですが、内的な心では傷を受けた跡が残っているというのです。良心の呵責を受けた跡が残っているのです。
32 一心、一体、一念、その次に一核です。そこに必要なのが純潔、純血、純愛であり、純愛の前に純性です。性の問題です。性にも蘇生段階、長成段階、完成段階があるのですが、これは堕落したために生じたのです。「性」と言えば、すべて終わります。一度で終わらなければならないのですが、旧約時代、新約時代、成約時代、そこに合わせなければなりません。純潔、純血、純性です。男性は、心と体が完全に一つにならなければなりません。一つになって、純潔でなければなりません。結婚する前にそれを犯すことはできません。純潔、純血、その次に純性です。性を守って結婚する時になり、核を成し遂げて二人が一つになってこそ、男性と女性が完成した、神様の対象的存在が出発するのです。