天聖経: 第349話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第十一篇 礼式と名節
第四章 祝福家庭の生活儀礼
第一節 祝福家庭の生活法度 1-10
1 互いの良い面を備えて、父母に侍る生活をしなければなりません。父母に侍りたいという懇切な思いをもって毎日のように待つのですが、父母がお越しになれないことをよく知っているので、愛する天の兄弟や天の息子、娘が自分の家に来ることを待ち望みながら、朝から夕方までお客さんを接待するために準備する人が、天の福を受ける人です。昔、韓国の礼節のある人たちは、通りすがりの旅人が泊まっていけるよう、サランバン(客間を兼ねた書斎)をきれいに飾って、お客さんを接待する部屋として使いました。このようなものは、韓国だけがもつ由緒ある歴史です。この法度は、天の法度をあらかじめサタン世界の歴史過程において、象徴的に見せてくれたものなのです。
心得ていくべき家庭の法度
2 今まで私たちは、いい加減に生きてきて、言葉もいい加減に使ってきました。しかし、これからは、私たちの家庭にも規律を立てなければなりません。父母が、腹が立つといって子女を好き勝手にたたき、「このどうしようもないやつめ!」という世俗的な言葉を使ってはいけません。今からは、すべてが一新されなければなりません。神様を中心として言葉から、態度から、生活から一新された立場に立たなければならないのです。
3 宗家が栄えるためには、先祖から下ってきた家法や礼法をきちんと受け入れ、実践しなければなりません。そのようにせずに、「そんなもの、もうなるようになれ、それが私と何の関係があるか!」という人は、宗家の子孫になれません。そのような人は、宗家の長孫(長子の長子:跡継ぎ)として生まれたとしても、長孫になれないのです。今までの先祖よりも優れていなければならず、いかなる先祖もできなかった無数の責任を果たせる子孫にならなければなりません。統一教会の教会員は、そのような子孫にならなければならないのです。
4 昔、忠臣の家庭では、良い物ができたらまず国王に捧げました。これが韓国の忠臣の生活法です。そのような観点で、韓国の礼法は、いかなる国にもない天国の中心内容です。儒教では、孔子の教えに従いますが、その孔子の教えを中心とした礼法を見れば、天法に近いものがたくさんあります。これから皆さんの子孫が、皆さんに対して祭祀を行うようにしなければなりません。今はまだ、生活規範や葬儀を執り行う手順などが「統一原理」を中心として定められていませんが、これからその礼法が出てくれば、そのときからは適当にしてはいけないのです。これから皆さんは、どのような内容であっても、神様が共にいてくださるという心を中心として、自分の環境を克服し、根を深く下ろして、どのような風霜でも育つ生命力をもたなければなりません。
5 孝の道を行く人は、自分の生活の中で良いことがあれば、まず父母を思います。先に自分の夫や妻を思うのは、堕落した世の中ですることです。自分の父母にまず貴い物を買ってさしあげなければ、自分の妻に与えることはできないのです。自分の妻に服を買って着させようと思えば、まず父母にしてさしあげなければなりません。妻も、自分の夫が父母にしてあげられないのに、「これが気に入ったので、あなたが私を愛しているなら、一つ買ってください」とは言えません。食べる物もそうです。
男性も同じように、自分が服を買って着ようと思えば、まず父母に買ってさしあげてから自分が着て、妻にも着させてあげなければなりません。御飯を食べるときも、父母に侍って食べなければならないのです。
6 習慣的で世俗的な家庭であってはいけません。「今はこうだが、いつかは良くなるだろう」と考えてはいけません。完全でなければなりません。現在が問題です。過去と現在が完全であってこそ、未来も完全であり得るのです。エデンの園でも、このような一日をもてなかったことが堕落の証拠です。過去、現在、未来が一致する位置が、理想的な位置です。現在を捧げることができなければなりません。地上の永遠の足場になり得るかというのが、神様の願いです。これが歴史的な総合点です。
7 今後、法の中でも、愛を侵犯することを罰する法以上に恐ろしい法はないと理解する時が来るでしょう。今まで皆さんが、ありとあらゆることをした過去があれば、ここで潔く悔い改めなければなりません。原理を聞くたびに本当に言葉を失い、悔しく口惜しい思いを感じなければなりません。「堕落の子孫として生まれたのも悔しいのに、私自身がまたそのようなことをしていたとは!」と、拭うことのできない悲痛さを感じながら、神様のみ前にこれを赦される道があれば、それ以上に感謝することはないという立場に立たなければなりません。皆さんがこの罪に引っ掛かれば、皆さんの先祖まで希望がないのです。
8 一心、一体、一念、一和です!その次に、真の愛、真の生命、真の血統、真の家庭です。一和までは、相対がありません。神様の二性性相が男性、女性に分立され、彼らが子女を生んだのちに、四位基台完成となります。これは鉄則です。先生が適当に持ってきてくっつけたのではありません。天の法度、霊界の組織がそのようになっていることを知らなければなりません。ここに一致しないときは、問題が発生します。
愛の法度は、何億千万年が過ぎても、絶対、唯一、不変、永遠でなければなりません。愛の相対的理想圏において、宇宙がそのように存続しているという事実を考えるとき、自分たちの愛は、絶対、唯一、不変、永遠だというのです。それでこそ、万宇宙の前に恥ずかしくないのです。万宇宙が主人として侍るとき、「堂々とした私自身の家庭である」と言える観念をもたなければなりません。
9 皆さんには食口がいるので、兄弟同士、愛を与え合い、互いが互いのために与えられる人にならなければなりません。そのような模範食口になるべきです。統一教会であれば、教会の食口全体が敬える男性、女性にならなければなりません。これからは、切るものは切り、解体するものは解体しなければなりません。皆さんの思いのままにしてはいけません。統一教会は、天国を成し遂げなければならない教会なので、個人ではなく家庭を探し求めなければなりません。家庭生活で手本になれない人は、世界的に指弾され、全天宙的に指弾されるでしょう。
10 祝福とは、責任を果たしてこそ貴いものなのです。この世的な悪口を言ってはいけません。世の中の人たちとは、何かが違わなければなりません。家庭は小さな教会です。神様の代行機関として、神様が訪ねていきたい家庭にならなければなりません。最低限、三家庭が一緒に暮らす以上に結束しなければなりません。特別に伝えてあげたいことは、第一に、多くの人々が往来できる家庭になりなさいということです。人が和合することが最も重要です。そして、第二は天の家庭同士、団結しなければならないということです。最低限、三位基台になった祝福家庭同士だけでも、完全に一つになるべきです。