天聖経: 第343話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第十一篇 礼式と名節
第二章 礼拝儀式
第三節 訓読会の生活 7-16
7 訓読会の「訓」の字は、言偏に「川」ですが、川は水です。水は流れていくのです。水は流れてこそ生きます。「訓」というのは、み言の水を象徴しているので、動いてこそ生きるのであって、そのままでは腐ります。水は高い所から低い所に流れていかなければなりません。ひたすら伝授してあげなければならないのです。澄んだ水が流れなければならず、汚れた水が流れてはいけません。純潔精神がそこにあるというのです。訓読会は水のようにみ言を流すのです。み言の水を閉じ込めておけば腐ります。「読」の字は、言偏に「売」なので、み言を分け与え、広めなければなりません。訓読には、そのような意味があるのです。
8 先生のみ言を伝えれば、その人は先祖になります。今、堕落した世界、僕の世界、地獄に落ちた人々にこのみ言を伝えてあげることにより、そのようになるのです。み言がよく分からなければ、み言集を買って、配りなさいというのです。配ってあげればあげるほど、それが財産になります。そのみ言を伝えれば、伝えてあげた人が永遠の先祖になります。どれほどみ言を与え、天の国の民にしたかということが、あの世に行って自分の位置を定める財産になります。このような途方もない事実を教えてあげるのです。訓読会のみ言は、先生が今まで語ったみ言ですが、先生のみ言ではありません。天地のみ言なのです。
9 先生は、適当に話しているように見えても、公式的なものを抜かすことなく話しています。じきに先生は、霊界に行かなければならないので、五十年間精誠を尽くして語った内容がどのような影響を及ぼすのか、鑑定しているのです。訓読会のチャンピオンが先生です。み言は誰から始まりましたか。神様から始まったのです。そのような事実を知っているので、先生は、それを適当に考えることはできません。深刻なのです。
訓読会の方法
10 一年三百六十五日を中心として、その日と関係のあるみ言をあらかじめ定めて訓読するのです。訓読会のプログラムを全世界的に一元化させなければなりません。それを毎日のように「きょう訓読するみ言です」と言いながら、訓読するのです。互いに、御飯を食べても何をしても、時間さえあれば討論しなければなりません。
11 これからは、訓読会を通して教育する道しかありません。それを何回も読まなければなりません。ですから、一時間のかかるものを、三十分で重要な部分を明示できるよう、番号をつけていきながら読みなさいというのです。いくらでもできます。このようにして、訓読会を通して心霊教育をしなければなりません。本が先生です。勉強しなさいというのです。それは本だけを読んでいるのではありません。
12 昼でもいつでも、時間さえあれば訓読会をしなければなりません。自分がまず読み、また集まって全体的に読んで、歩調を合わせなければなりません。自分の家庭での訓読と教会での訓読が、歩調が合うように訓練しなければならないのです。本来は夫婦でそのようにしなければなりません。訓読会に夫が参加したら、きょう訓読したものは何か、妻に教えてあげるのです。妻にその部分を読むように言って、それを合わせていかなければなりません。
13 訓読会の良いところは何でしょうか。本を配ってあげて訓読しながら、本をもった人が読み終われば、「次は誰々が読んでください」と指名するのです。このように訓練しなければなりません。そして、訓読する人が十人来たら、必ず三分の一の三人に、関心のある所について質問させるのです。時間が足りなければ、数人にだけ質問させて、その質問に対して解説してあげるのです。それが講義よりもっと重要です。本を三回だけ読めば、はっきり理解できるのです。
14 訓読をするとき、代表が出てきて読むよりも、全員で順番に読まなければなりません。どこまで読むかを決めて、すべて読めば、次に読む人を指名し、読ませるのです。そのように読みながら、自分の声に感動しなければなりません。恩恵を受けなければ、訓読会をするために責任者が十回以上本を読んできなさいというのです。先生自身もそうです。巡回講演をするときは、先生が原稿をすべて書いて、分かっていますが、祈る気持ちですべて悟らなければなりません。
15 これから訓読会をするときは、一人でせずに、必ず多くの人で分けて、声を出して本を読むのです。一人が何ぺージかを訓読し、次に「誰々!」と名前を呼んで、指名するのです。そうすれば、名前を呼ばれた人が、続けて読むような伝統を立てなければなりません。そして、重要な内容、質問したいと思っていた内容をもって、「きょうの訓読会で必要な内容はこれですが、これは、私たちが守っていくべき鉄則です」と言って基準を立てるのです。
16 忠孝の道理を果たし、聖人の道理、聖子の道理を果たして、地上天国と天上天国を完結するというみ旨に携わる生涯を送ったのは、貴いことです。その基準から脱落しないよう、各自、越えるべき家庭の基準をつくらなければなりません。エデンの園に帰れば、神様が直接主管する位置を許されるのです。この基準を立てなければ、千ほど、万ほども差がついてそのまま残ってしまうので、父母様の伝統を受け継ぐために訓読会を始めました。今まで、父母とはどのような方かということを一つも知らずにいたのです。