天聖経: 第209話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第七篇 地上生活と霊界
第三章 永生のための地上生活
第四節 祝福家庭と永生 20-30
20 皆さんは、天国に行くときに贈り物としてもっていく物がありますか。霊界に行けば、殉教した功臣たちが前にずらりと並んでいるのですが、彼らの前に皆さんが持っていったふろしきを開いて見せることができると思いますか。統一教会がどのような苦労をし、皆さんがどのような苦労をしましたか。それほどの苦労もせずに、どうして国のために生き、世界のために生きたと言えるでしょうか。「苦労をするにはしましたが、私は苦労したと思いません」と言ってこそ当然なのです。まだ行くべき道が残っています。霊界に行ってふろしきを解いて、「これは一生の間、私が用意した贈り物ですので、お受け取りください」と言えなければなりません。女性たちがお嫁に行く時は、荷物をしっかりと持っていくのに、天国に行く時は霊人体だけで行くことができるでしょうか。
21 この地上は、天国の民の無限の生産地です。これを誰も知りませんでした。息子、娘を天国の民として生んで完成した人間に育てていくことが、本来の夫婦としてこの地上で生きていく生涯路程です。ですから、赤ん坊が生まれれば、その赤ん坊も神様のところに行く時の贈り物になるのです。そのような贈り物がなければ、自分の面目を立てることができません。
皆さんが故郷に帰っていく時、父母の前に行って何を誇りますか。その時、息子、娘をよく育てて誇るように、霊界に行く時も同じです。神様のみ前に行く時も、神様の子女であり天国の民を地上で育てて連れていくこと以上の贈り物はありません。お金と権力と知識が重要ではありません。
22 多くの息子、娘をもった父母は、多くの愛の相対を迎えたので、天国に行っても四方八方、誰でも思いのままに会えます。息子、娘をたくさん生んだ女性の中で悪い女性はいません。なぜでしょうか。自らの息子、娘を愛する母の心をもって村に行けば、自分の息子、娘と比較して、少し気の毒な場合には、「少し助けてあげたいが、どうすることもできない」といつも考えるからです。ですから、生活圏内で自動的に愛の境地に高く上がっていくことができる立場に立つのです。ですから、多くの息子、娘を育てた人は、霊界の最も高いところにいます。
23 地上は、どのようなところですか。天国の国民を生産する、生産工場です。天国は広大無辺です。無限大です。一人が子女を百人ずつ生んでも、天国は広いので過剰生産ということがありません。あの世は、いくらでも受け入れることができる世界です。ですから、産児制限をしてはいけません。あの世に行けば、天国の民をどれだけつくって連れてくるかということが問題になります。天国の真の息子、娘をたくさん連れてくるとき、それが自らの権益になって、天上世界で表彰を受けることができ、等級の差を設定する資料になるのです。
24 今後、霊界に何をもっていかなければならないでしょうか。お金をもっていくのではありません。統一教会の名前をもっていくのでもありません。ですから、今後皆さんがしなければならないことは、神様が愛することのできる息子、娘をどれだけたくさんつくっていくかということです。人が赤ん坊を生むといっても、数人しか生むことができません。それは誰でもすることができます。
今の復帰過程において、皆さんがサタン世界で神様が愛することのできる息子、娘をたくさんつくるようになるとき、その功労は先祖と連結され、先祖を解放させることのできる道が生まれるのです。これが、復帰路程において自分ができる最大の贈り物です。
25 霊界に入っていく時、お金をもっていくのではありません。一人が百二十人以上収拾しなければなりません。天国の民をすべて失ってしまいました。それを接ぎ木し、失わなかったという条件に再び合わせなければなりません。霊界に行って十二の真珠門を経ていくためには、地上でサタンから、どれだけ天の民を復帰して帰ってくるかということが問題です。
そのためには、涙と血と汗を流さなければなりません。再創造の真の愛の心情を中心としてサタンの父母以上、サタンの夫、妻、息子、娘以上の心情を投入して、涙とともに、血と汗とともに交差するその過程をたどることなくして、天国の自分の民を所有することはできません。この数に比例してあの世の栄光の位置、神様の近くに行く条件が成立するのです。
26 霊界に行けば、誇るべきこととは何でしょうか。生命をどれほど生かしてあげたかということが誇りです。甲なら甲、乙なら乙、あるいは氏族を超越して、たくさんの民族を新しい生命と関連させて、どれほど生かしてあげたかということが財産です。財産はそれしかありません。霊界には、ないものがないので慕うものがありませんが、一番慕わしいものがあるとすれば、真の人です。ですから、真の人を養育するために功を捧げたその功臣は、当然、天上世界で栄光の息子、娘になることができます。
27 御飯を食べることよりもっと重要なことが、天国の民を刈り入れることです。それが人々にはうまくできていません。それが本職なのです。この地上に生きる私たちの本業です。生涯にすべきことの中で、それ以上に貴いものはありません。世の中で就職して出世したり、お金を集めたりしたものは、すべて流れていきます。あの世では、お金を集めても何の役にも立ちません。あの世では、物質が必要なく、知識が必要ありません。習わなくても、心が先に分かります。一週間以内に、何でもすべて通じるのです。
28 霊界、天国に行くときに必要なものは、信仰の息子、娘です。伝道した息子、娘が必要です。そのように伝道することによって霊人たちを復活させていくのです。ですから、皆さんが地上で活動することは、地上にだけ影響を及ぼすことではありません。堕落によって汚れた、すべてのものを整理するための活動だというのです。
29 天国は無限の世界ですが、そこでは愛の心情によって連結される橋がなければなりません。ですから、自分の伝道した人が世の中に多く広がっていれば、霊界に行ったとき、それに比例して広く往来できる道が生じるのです。すべてが自分と関係を結び、縁を結ぼうとします。それは、地上で思想武装して連結させたものと同じ体制が、自分を中心として連結されるということです。教育して多くの弟子をもったのと同じように、地上で解いてあの世に行けば、霊界で解くことができる相対的関係になっているので、膨大な活動基盤になるのです。
30 歳月をそのまま送ってはいけません。青春時代に息子、娘を生み、育ててこそ、後代に誇り得る基盤を残すのです。また、その子女たちが、立派な人になってこそ、歴史に誇ることができます。歴史に対して誇れる実績がなければ、自分の一家や町内ではグループに入れますが、国では入れないのです。国に入るためには、歴史の伝統に残る実績がなければなりません。
ですから、誰でも国に何かを残すことを願い、世界に何かを残すことを願い、天地に何かを残すことを願うのです。同様な道理です。ですから、自分の所有版図をどのように確定するかという問題が、終生の目的だという観念をはっきりともたなければなりません。ですから、み旨の道で、嫌ならやめようと考えることはできないのです。