天聖経: 第234話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第八篇 信仰生活と修練

第二章 心と体の修練

第三節 信仰の修練 1-11

第三節 信仰の修練

 

1 ヨハネによる福音第三章十六節に、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」とあります。アメリカを愛し、教派を愛して、ひとり子を賜ったのではありません。世界のために賜ったのです。バプテスト教会や長老派教会のために賜ったのではありません。それで、先生は、はっきりと教えるのです。統一教会は、世界のために存在し、神様のために存在するのであって、先生のために存在するのではありません。ですから、先生は滅びません。統一教会は滅びません。神様が保護するからです。

すべての完成は、真の愛から始まります。全世界が真の愛を中心として、このような公式を適用して訓練しなければなりません。そのようにしなければ生きていけないというほど、習慣化しなければなりません。世界のどこに行っても、そのように生きなければならないのです。年老いた人を見れば、自分の祖父と祖母のように、父と母の年齢なら自分の父と母のように、自分の相対の年齢なら自分の妻や夫のように、息子、娘の年齢なら自分の子女のように、自分の年齢なら兄弟のように愛さなければなりません。それが習慣化しなければなりません。楽しくなければならないのです。

 

真の愛で

2 川の水は、海に向かいます。地上は川の水と同じであり、霊界は海水と同じです。人間は誰でも霊界に行くようになりますが、淡水魚は、海水では死んでしまいます。突然入れば、窒息するのです。ですから、慣れなければなりません。統一教会は、その世界の内容を地上で訓練する所です。真の愛、ために生きる愛の活用訓練をさせる修練所が統一教会です。ために生きる愛の実体を形成するための修練所です。神様がために生きる愛で生きているので、ために生きる愛をもった場合、どこに行っても歓迎されます。どこに行っても反発がないのです。

 

3 真の愛の統治圏として征服することは、容易なことではありません。重なり合った防衛線を経て、受難を克服して立ち上がってこそ可能です。また、その受難を甘受できる自らの立場が決定された現在の基盤をもたなければ、達成することはできません。このような点から統一教会の現在の立場を見てみるとき、統一教会がこの世界の歴史過程で未来の主人として君臨できる立場とは、どのような立場でしょうか。個人のための立場ではありません。個人の立場より良い立場です。世界人類の個々人より少し良ければ、個人的な未来の主人になるかもしれませんが、個人的な主人では駄目です。また、家庭を中心として見てみるとき、少し良ければ家庭的主人になるのですが、私たちが望むのはそれではありません。家庭を越えて氏族、氏族を越えて国家、国家を越えて世界的主人として君臨しなければなりません。これは、簡単な問題ではありません。誰よりも悲惨な歴史過程を経て、現実的勝利の基盤を準備しなければ、未来の主人になることはできないのです。

 

4 愛のふろしきは、神様とこの宇宙を入れても余ります。神様まで入れても、そうです。もし神様が一秒の間に三十万キロメートルも進む電気をつくったとすれば、神様はそれよりも速く進むはずですが、その愛のふろしきで、もてる力を出し切って走っても事故が起きないほど、愛のふろしきは大きいというのです。いくら宇宙が大きくても、その愛を中心として回るようになっているのであって、直線では行きません。真の愛をもった人は宇宙をもち、宇宙をもった人は、宇宙を治めるのです。今日の地上生活は、このような愛を訓練する所です。そのような所で暮らしているのが人生なのです。

 

5 真の愛でために生きれば上がり、自分を愛すれば下っていきます。地獄と天国が自分を中心としてできています。体を中心として喜ぶときは、サタンの舞踏場になり、心を中心として絶対的に喜べば、神様の舞踏場になります。神様が喜べる絶対的な心になれなかったというのです。体を中心として絶対的に喜べば、地獄に落ちて滅び、なくなってしまうのです。

 

6 真の愛で怨讐のために生きてあげれば、怨讐の世界を治めることができるようになり、その怨讐の世界がむしろ皆さんを尊敬し、侍るようになるのです。皆さんの子女や父母よりも、周辺のすべての人のために生きてあげ、これ以上ない真の愛を施せば、サタンは自動的に逃げていくようになり、代わりに神様がその場に訪ねてこられて、千倍、万倍に返してくださるのです。

サタンをして逃亡せざるを得なくさせる秘法とは何でしょうか。真の愛でために生き、ために死に、ために愛そうとする真の人の前では、いくら悪辣なサタンでも、国境線を放棄して逃げていかざるを得なくなるのです。逃亡するとしても、国境線を崩してから行くようになっているのであって、そのまま行くことはできないのです。そのようになれば、どんなことが起こるでしょうか。悪魔、サタンが離れていくことによって、地獄の死亡圏に直行していた無数の生命が、一八〇度旋回して天の国に上昇できる永生の道理が広がるのです。このように永生の祝福が下されるのです。

 

み言に従って

7 先生が神様のみ言で生きたので、皆さんも神様のみ言で生きなければなりません。皆さんは、先生より何倍も熟達できるように、み言を読んで、また覚えて行わなければなりません。そうしながら、「私はこのような道を行かなければならない。父母様が願うことがこのような道なので、このように行かなければならない」と考えなければなりません。そのようにすれば、皆さんがある村に入っていったとき、その村の先祖たちまで来て自分に侍ってくれ、「歓喜の同参者になりたい」と思うというのです。

 

8 父母様が残しておいたみ言をたどる後世になってこそ、その万国の万民全体が永遠の天上に近い道に接近していくというのです。先祖を尊重し、先祖が残した遣物と、先祖が訓示として残したみ言を、世の中で自分が生きることよりも、表象的でない実象的な主体として、暗い世界の灯台のように見つめてこそ、暗い海の暗礁が幾重にも囲んだ世界を分別していくことができ、自ら解放の道を行くことができます。その灯台を見て、自分の方向を尋ね求めていく道しかありません。その灯台になれる話を先生がするのです。今まで天地を中心として、先生のみ言以上のみ言を語った人はいませんでした。ですから、この上なく高い心情の世界から芽生えて出てくる、天上のみ言として受け入れることができなければならないのです。

 

9 終わりの日には、心情と人格とみ言で審判するのです。どれくらいよく信じたか、ということで審判するのではありません。神様には心情の中心があります。天地を中心として、神様が立てるべき、ただ一つの心情の中心があります。そして、この神様の心情と一体になれる人格の中心があります。また、この人格と心情と一体になれる人として、神様の代わりに語れるみ言の中心があります。これが審判の三大要件です。その中でも、み言の審判が最初に始まります。堕落した人間の世の中では、み言の審判が先に展開されるというのです。

 

10 今日、堕落した世界の思潮は、真理の世界を求めていきます。そして、文化と共に発展していく歴史は、一つの文化世界に向かう理念を求めています。今まで、世界の思潮は、思想と主義を通して現れましたが、万民が一つになることができ、万民が和合できる一つのみ言の基準を立てられないまま、袋小路でもがいています。これが今の現実です。ですから、共産主義者たちも溶かし、民主主義者たちも溶かして、一つにできるみ言が出てこなければなりません。真理を追究するこの世界に一つのみ言が現れて、今までの真理を審判しなければならないのです。

 

11 皆さんが恩恵に満ちて、命懸けで立ち上がれば、神様が代わりにマイクを持って立ち上がるというのです。天使世界も同じです。先生もそうです。ですから、このみ言に夢中になって、御飯を食べるのも忘れ、寝るのも忘れ、生活するのも忘れるほどに高揚すれば、皆さんは、誰でも、先生がしていたことを身代わりすることができます。この作用が偉大なのです。

Luke Higuchi