天聖経: 第233話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第八篇 信仰生活と修練

第二章 心と体の修練

第二節 修練の目標 16-28

心と体の統一

16 人の心と体を統一する方法は二つしかありません。一番目には、この体を粉々にして占領する方法であり、二番目は体を打たないで統一する方法です。強制で体を主管する方法はよくありません。それでは、どのようにしなければならないのでしょうか。今まで心は、体と対等に闘ってみることが一度もできずに、いつも負けてきました。それは心の力が弱いためです。

この心に注射を打ち、力を二倍から三倍に増やせばどうなると思いますか。そうすれば体を引っ張っていくことぐらいは問題にならないはずです。つかんで引っ張っていくことができるのです。自動車のタイヤに空気を強く吹き込めば大きく膨らむように、心にも強く力を放り込めば、どのようになるでしょうか。力が強くなります。そのあとに、心と体が闘えばどちらが勝つでしょうか。このように容赦なく体を打って占領する方法と、心に力を加える二つの方法があるのです。

 

17 心の力の源泉は愛です。ですから、心が授け受けして生じる爆発的な力を神様に連結さえすれば、それは何倍、何百倍、何千倍も統一できるのであり、世界万民が待ち望んでいた願いを成就できるのであり、永遠に共に暮らすことができると同時に、天国も自分のものにすることができるのです。その秘訣が正に愛です。愛は、統一に向かって上がるエレベーターであり、統一を成就できる絶対的な秘訣なのです。

 

18 この地に暮らしている堕落した人間は、悲しい思いが募れば募るほど、互いに分裂していきます。自分を中心として悲しめば、悪人たちの習性である分裂が起こり、善のために悲しめば、分裂していたものが一つになるのです。すなわち分かれた心と体が一つになって、天倫と統一された合一点がつくられるようになるのです。

 

19 統一は、「私」の心と体からしなければなりません。これを教える所が統一教会です。したがって、統一教会に入ると、他人のように疎遠に過ごしていた人も、兄弟よりも身近に過ごすようになります。また、肉身の父母ではない父母様に侍り、互いに異なる兄弟と互いに異なる国と互いに異なる民族が、一層強く糾合される高次的な愛をもっています。ですから、このようなところを「萬民之願統一世界」と言わざるを得ないのです。統一教会に入れば、このような希望の要素をもつことができるのです。

 

20 心と体が一つになった男性と女性、心と体が一つになったその心と体の基準とは何でしょうか。自分の心と体の基準ではありません。神様の心と体の基準、本来の先祖の心と体の基準がなければなりません。本来の神様の心の基準、神様の体の基準がなければなりません。見えない神様の心と体に似て現れたので、見えない神様の心と体の基準を中心として、地上において平衡を取っていきながら出会わなければなりません。会うのに、何で出会わなければならないのかというと、愛で出会うのです。愛で統一されるようになっているのです。

 

21 どんな聖人も、「心と体の統一が万事統一の基本となる」ということは主張しませんでした。「家和万事成」と言ったように、家が和合すれば万事が成就されるのは事実ですが、和合すべきその父と母の心と体が和合しているのかというとき、そうではないというのです。十人が暮らしていれば、十人の心と体が和合してすべてが一つになるべきですが、サタン世界では十人の心と体が闘っているので、二十に分かれているというのです。そこに平和はあり得ません。

 

22 皆さんは、個人の心と体を一つにしなければなりません。その次には、夫婦の統一です。愛を中心として互いにために生きるときに、統一が可能なのです。心は今まで一生の間、皆さんの体のために生きました。しかし、この体は心のために生きませんでした。心が体のために生きるのと同様に、体が心のために生きる立場に立って、一つにならなければなりません。

何を中心として一つになるのでしょうか。真の愛、ために生きる愛をもって一つになるのです。そのような「私」になってお互いのために生きる真の愛を中心として、夫と妻が一つにならなければなりません。そうしてこそ、枝がどんどん伸びていきます。それでこそ、大きくなるのです。それが自分で分かります。それでこそ、心が喜びます。何を見てもうれしく、仕事をしても苦しいと思わず、寝なくても疲れないというのです。

 

23 統一教会の「統一」とは何でしょうか。神様に心と体があるならば、心と体が一つになり、統一された場をもたなければ、神様も解放を受けた喜ばしい場に、幸福の場に出ていくことができません。神様がそうだとすれば、世界もそうだということです。世界自体も主体と対象の関係、社会も主体と対象の関係、家庭も主体と対象の関係になっています。

救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。再創造摂理を通さなければ、あらゆることが成就されません。男性と女性が通じてこそ、互いに夫婦にもなることができます。主体と対象が一つにならなければ通じません。統一もそのように成立します。神様と人間が通じてこそ、一つになります。通じるというのは、体が通じ、心が通じるということです。

 

24 どこで統一を探すのでしょうか。統一は、犠牲になるところ、譲歩するところにあります。そのようにすれば、どこに行っても、三年もせずに一つになるのです。三年を越えて和合投入し、犠牲になって投入すれば、新しい主人が行ったり来たりしながら一つになります。世の中が、大宇宙の真の愛の空気でいっぱいになるというのです。ですから、解放圏です。

 

25 統一する前に、どのようにならなければならないのでしょうか。統一は、水平の上に立たなければなりません。平和がなければ統一はできないのです。ですから平和統一です。知らない人は「統一平和だ」と言うかもしれませんが、知っている人は「平和統一」です。ですから、この言葉は、道理に従って、理屈に合うように連結されています。それは本当に驚くべきことです。それ自体が伝統的な思想をもって、そこに関係している人たちが生きていることが奇跡です。神秘的なのです。

 

26 和合統一は栄え、闘争分裂は滅びます。分裂すれば滅びます。すべてが相対主義になっているのに、分裂するので滅びるのです。なくなるのです。和合統一です。あらゆるものは、お互いに個性真理体として和合して統一します。上中下、右中左、前中後、これはすべて栄えるのです。補い合うので栄えます。悪は闘争しながら分裂して滅びるのであり、善は一致しながら和合しようとするので、統一されて栄えるのです。

 

27 平和と和合は異なります。平和はただそのままこの水平上で実現されますが、和合は二つが一つの関係を結ばなければなりません。次に、統一は核がなければ定まりません。重心がなければ大変なことになるのです。なぜ生きるのかという問題や、なぜ仕事をするのかという問題は、目的観に連結されます。「私」が宇宙の中で、どこに関係を結んで生きるかということが問題なのです。

 

28 自然な環境において原則を中心として従っていき、ために生きることによって広がる和合と統一は天国のものであり、反対に、強制的にこちらのために生きなさいと注文し指示するのは、和平と平和の反対となる地獄の世界です。

皆さん自身の心と体を見るとき、心は天が定めた原則を知っているので、いつでも自分に「他のために生きなさい」と言うのです。

しかし、この体は、神様が定めたことと反対の立場にいるので、強制的に「自分のために生きなさい」と言うのです。このような存在はあり得ず、自動的になくならなければならないのです。

 

Luke Higuchi