天聖経: 第179話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第六篇 真の万物
第四章 自然と海についてのビジョン
第四節 海釣りの深い意味 17-23
17 最高の釣り餌のようなものが愛です。万民を釣れる一つの餌が、愛です。歴史を釣り、神様を釣ることができる餌は何でしょうか。神様を釣れる餌があるなら、一度準備してみたいでしょう。それは愛の餌です。歴史を釣ることができ、天地を釣れる餌があるとすれば、それは愛です。
18 今や私たちの時が来ました。神様が願われてきた時を迎えたというのです。歴史時代の数多くの人類、もしくは数多くの烈士たちが血の道を選んでいきながら築いてきた願いの一時代が、私たちの目前に到達しました。それが私たちの時代にかかっています。大きな魚の前に餌となり、おいしそうな匂いを漂わせながら尾を振ってぐるぐる回っている気分です。その餌を先生が握って座り、魚ががぶりと食いつく時に引っ張り上げるのです。そのような点で、釣りという趣味は、本当に葉晴らしいというのです。
夜の十二時を超え、午前三時、四時を過ぎて疲れてくれば、眠気に襲われ、遠くの村からは鶏の鳴く声が聞こえてきますが、魚が餌に食いついて鈴が鳴れば、精神がどこに行ってきたのか、はっきりと目が覚めるのです。本当に速いのです。雷もそこまで速くありません。そのような精神さえあれば、世界統一は間違いありません。目を閉じ、鼻でいびきをかいていても、いつの間にか正しい姿勢を取り、釣り竿を握っているのです。そのようなことが起きるのです。そのようなときの喜び、その味が修道です。これが本当の神様式修道だというのです。
人類の未来のためのビジョン
19 未来において、人類は海を占領しなければなりません。海にあるすべての金銀財宝をこれから開発するのです。そのようなことを考えていたとき、トンネルをたくさん掘らなければならないという結論が出たので、今、国際平和高速道路の計画も出てきたのです。
海底にトンネルを掘って道を造り、そこに門を造っておけば、その門から出ていって魚を獲ることもできるので、どれほどおもしろいでしょうか。海にある油も、船にパイプで直接供給すれば、どれほど紫晴らしいでしょうか。海底に石油が、どれほど多くあるか分かりません。ボタンを一つ押すと、パイプが現れて油が出てくれば、どれほど素晴らしいかというのです。
20 人間は、どこでも自由です。国境もなく自由に、海に行こうと思えば海に行き、山に行こうと思えば山に行き、水中でも暮らすのです。潜水艇を造って海の中で深度を調節すれば、いくらでも暮らせる時代になります。そのようにしなければ、人類の生きる場所がありません。タンクに水を入れ、沈ませれば沈むのです。ボタンで操作し、水を入れたり抜いたりすれば、沈んだり浮いたりするので、水中で暮らせるのです。
十メートル以下に行けば、天地にそれほど良い場所がありません。三十メートル下に降りていけば、非常に静かな世界が現れるのです。海底王国です。空中に上がれば風も強く、変化が多いので大騒ぎになります。気流が変わり、空気が変わり、雨が降って大変です。ですから、海に出て暮らすのが、理想的な生活だと考えるのです。
21 今後は、海の中に入って暮らすこともできます。それで、五人乗りの潜水艇について研究させています。風が吹かないときの穏やかな波がある所では、億万長者の主人になれるのです。どれほど神秘的で、気分が良いか分かりません。風が吹かないとき、ガラス玉のような海で、大海原に夢を託した夫婦が座り、皆のことや未来の夢を語り合いながら、愛の家庭をつくっていくと考えてみてください。それも問題ありません。もし台風が吹いても、三十メートル下に潜ればいいのです。水中で思いのままに暮らせる時が来ます。ですから、大韓民国の地が狭いといって心配しなくてもいいのです。
22 これから、陸地には食べる物がなくなります。食糧が不足します。ですから、海に行って暮らすようになるのです。そこで、陸地の肉の代わりに魚を取って食べ、野菜の代わりに海藻類を食べればよいのです。指導者であれば、皆さんが未来において、そのように海の中で暮らせるように計画すべきではないでしょうか。水の中に酸素がどれほど多くありますか。ですから、水の中で酸素をつくり、自動で供給するのです。海水の中の酸素の割合はどれくらいですか。それを、どのようにしてすべて使いきりますか。海の世界を占領できる時代が、遠くない将来に訪れるでしょう。
23 先生は、未来の世界に対して準備します。海に出掛けるのが好きで、そうしているわけではありません。海にいるのは大変です。最初は一週間行ってくれば、膝の裏がずきずき痛みます。しかし、心の中では、「すべきことが多いのだから、年のせいにせずに行かなければならない!」と考えました。ですから、休むことができません。十日ほどたつと、早朝に出て、夜の十二時に帰ってきてもびくともしなくなりました。しかし、一緒に行った人たちは、「疲れた」と言って釣り竿をつかみながら眠るのです。それでも、司令官となり、命令を下す立場では、まず魚を釣らなければならないという思いをもたざるを得ないのです。するとあるときは、魚が来て食いつくのが感じられるのです。精神は、そのように驚くべきものなのです。