天聖経: 第202話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第七篇 地上生活と霊界
第三章 永生のための地上生活
第二節 霊界に行くための準備期間 19-29
19 心と体が一つにならなければ、天国に入っていけません。原理を知ったので、何をしても、心が願うとおりに体を強制的に動かして屈服させなければなりません。「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」、これがどれほど難しいか分かりません。この体の主管が難しいのです。サタン世界がそうです。先生はそのように闘いました。そこでは、自分のすべてのもの、国と自分の一族を奪っていき、自分の父と母、夫と妻までもすべて捨てなければならず、自分の体まで監獄暮らしをしました。地獄に落ちなければならないというのです。神様が「開拓をしなさい」と言えば、地獄まで行って開拓して上ってきてこそ、神様が必要とする人になります。
20 皆さんが熱心に伝道をして苦労しているのですが、なぜ悪口を言われて迫害されるのでしょうか。それは、心情を失ったので、心情を取り戻すためです。愛を取り戻すためです。そのような人たちを愛することができる人になるためです。皆さんがこのような訓練過程を経なければ、いくら天の人になろうとしてもなれません。
言い換えれば、サタン世界の愛以上の愛を、自分が見つけなければなりません。そうでなければ、天国に行けません。愛の人になって天国に行こうとしているのです。愛の人になって天国に行こうとする人が、天国に行くのです。その時、神様が審判主になり、イエス様が審判主になり、先生が審判主になるでしょう。ですから、実践しなければなりません。これが私たちの当面の課題です。神様の法として指示された課題であり命令だというのです。
21 皆さんは、み言に対する審判を受けます。み言を誤って聞けば審判するのです。その次には、皆さんが実体を完成しなければなりません。実体を完成しなければならないのですが、実体を完成する行動ができない時は、実体審判があります。審判には、み言審判があり、実体審判があり、心情審判があります。三大審判過程を経なければなりません。まず原理のみ言が皆さんを審判するのです。
すべての罪は地上で清算しなければならない
22 統一教会で言えば、救援摂理は復帰摂理のことですが、その復帰の道を避けていくことができるでしょうか。避けていくことはできません。ですから、堕落の運命が入った包みを背負っているのが人間です。それがどれほど大きいでしょうか。その包みは、世界的であり宇宙的です。
ですから、皆さんは生活するとき、常に「私は、いずれにしろ一度は死ぬ」と考えなければなりません。生まれる時、皆さんは「私は生まれる」と考えなくても生まれました。死ぬときも、皆さんが考えようと考えまいと、「死なない」と言おうと言うまいと、「死ぬ」と言っても死ねず、また「死なない」と言っても死ぬようになるのです。それは思いどおりにできません。
しかし、いずれにせよ定まった一時を中心として、必ずその時が来るのです。これは変更することができません。蕩減すべきことは死ぬ前にしなければなりません。これが問題です。地上で堕落したので、地上で清算しなければなりません。地上でこのことを蕩減していかなければならないのです。霊界に行っては不可能です。
23 人間の完全な救援を目標にする神様であれば、短刀で人間の腐った部分を切り取ってしまわなければなりません。そうしてこそ、立派な神様です。皆さんは、どのような神様だと思いますか。「体よ、罪深い世の中でここまで残るためにどんなに苦労したか。功労が多かった」と言いながら、背中をたたいてくれる神様だと思いますか、それとも無慈悲にこの体を処置する神様だと思いますか。どのような神様だと思いますか。この体を一気に片づけたいと思うのが神様の心情です。
体は、堕落世界と連絡できるアンテナです。この体は、人間世界で罪の源になっています。皆さんはこのような言葉を聞けば、とても気分が悪いでしょう。しかし、気分が悪い人は悔い改めなければなりません。贖罪の役事(働き)が地上で起こるようになれば、統一は自動的に成し遂げられます。ですから、統一がそのように難しいことばかりではありません。体を打って悔い改めればよいのです。
24 霊界に行けば一〇〇パーセント表れるのです。悪いものが先に表れます。悪いものを先に清算してこそ、霊界に入っていくのです。そうでなければ霊界に入っていくことができません。目をつぶったとしても、悪いものが表れて処断を願うようになります。ですから、それがなくなる時まで教育を受けなければならないというのです。修練を受けなければならず、猛訓練を受けなければなりません。
25 自分の体が完全に勝利したということは、サタンまでも完全にその根を抜いて征服したということです。天国には、サタンを征服してこそ行くことができます。
サタンに勝つことは、肉身を脱いではできません。肉身が地で事故を起こしたので、直すのも肉身をもって、地上で直さなければなりません。地上ですべきことをすべてできなければ、永遠に地獄に行きます。
ですから、地上で勝利して天の側の善の立場に立つようになれば、永遠に天国に行くのです。
26 人類の先祖が真の父母になれなかったことによって、ゆがんだ罪悪の結果、真の民族と真の国家と真の世界を形成することができず、それにより神様と人類の前にゆがんだ罪状が残っています。このような罪状に対して、誰が責任を負うのかという問題が残っているのです。霊界に行った人々は、地上で犯した罪を霊界では解決できません。地上で、その誰かがこの責任を担ってくれなければ、霊界に行った人々が解放されません。地上に生きている万民が天国に行くためには、その犯した罪を清算しなければならないのです。
それでは、地上人が歴史を代表してゆがめた罪を、誰が清算しなければならないのでしょうか。その誰かが、ある宗教が、ある団体がすべきこのような使命を、今日この地上の宗教と民は知らず、唯一それを知っているところは統一教会しかないので、知っている者が責任を負わなければならないというのです。
27 罪悪歴史は、皆さん自身から清算しなければなりません。皆さんが歴史にマイナスとなる立場に立てば地獄であり、プラスできる立場に立てば天国です。また、時代と皆さんを比較するとき、時代が皆さんにプラスするのであれば地獄であり、皆さんが時代にプラスできれば天国です。そのようになります。
今日まで天地の運勢に従ってきた人間は、天地の運勢を調整できる日を回復しなければなりません。神様は、その一日を見つめて六千年の長い歳月を役事してこられたのです。天地の運勢に従ってきた歴史の悲しみを退けて、この運勢を主管できる一つの勇者を探してこられたのが、神様の六千年の復帰摂理路程です。
28 「私」ゆえに地獄も生じたのであり、「私」ゆえに天国もあるのです。その二つが分かれました。本来は、堕落していなければ、これらがあってはいけません。それで、心は右側になり、体は左側になったのです。体に従っていく人々は地獄に行き、心に従っていく人々は天国に行くのです。二つの道があります。五官は、すべて二つの性質をもっています。
それでは、どのようにしなければなりませんか。一方を完全に切ってしまわなければなりません。皆さんの体にはサタンの血が入っていて、サタンの生命が入っていて、サタンの愛が入っています。それを、どのように取り除くのでしょうか。歴史を通じて蒔かれたこれらのものを、すべて取り除かなければなりません。そして、神様の愛、神様の生命、神様の血統を再び植えつけなければなりません。そこから希望に満ちた永生があり、永遠の幸福があります。他の方法はありません。これは先生の言葉ではなく、原理がそのようになっているのです。それで、真の父母が必要なのです。真の父母が根です。そこから、真の幹、枝、芽が出て、森になるのです。他の方法はありません。これは簡単なことではないのです。
29 天国は心から始まります。心のどこからでしょうか。世の中に勝った心から始まります。どんなに環境的に天国が成し遂げられたとしても、「私」の心が悪く、その天国を慕うことができず、そこに応じることができない立場にいれば、天国が来ても、その天国は何の価値もないのです。ですから、天国を迎えられる基盤になるのは、環境ではなく、「私」自身です。「私」自身の問題です。