天聖経: 第201話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第七篇 地上生活と霊界

第三章 永生のための地上生活

第二節 霊界に行くための準備期間 7-18

7 地上人は体をもっていますが、すべてのことが限定された生活です。しかし、霊人たちには肉体がありませんが、無限の世界で活動します。また地上人は体をもっていますが、地上が永遠の場所になることはできません。霊人たちに肉体はありませんが、永遠の場所で定着しています。このように地上人と霊人との対比点を羅列すれば、無限にあります。

また、地上人と霊人とを比べてみると、地上人たちは肉身を中心とした生活であり、霊人たちは霊界を中心とした生活をするので、どちらも半分の世界のことしか成し遂げることができません。それでは、体と霊人の結実は、各々どのようにしたら完全な実を結べるのでしょうか。地上生活で肉体と霊魂が分離する前に、地上での生をよく締めくくってこそ完全な実を結ぶようになります。ところが、霊魂がよく成熟できずに霊界に来るようになれば、問題が生じるのです。

 

8 この地上でしている生活が、どれほど重要でしょうか。一回しかありません。瞬間ですが、一回しかありません。地上生活を永生と比較すれば、これは一点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。肉身生活を越えて、霊界のために準備しなければなりません。常にそのような主流思想をもって中心に立ち、一切をコントロールし、一切を征服することができなければなりません。そのようにしなければ、個性完成ができません。

 

9 水中生活で誤れば、地上生活をすべて台無しにします。実体世界、すなわちこの地で父母の前に生きる世界で誤れば、永遠の父母に侍る愛の世界が縮まり、台無しにするのです。ですから、地上世界がどれほど貴いかを知らなければなりません。ここで愛さなければなりません。父母に侍り、兄弟に侍り、国に侍り、愛しながら生きなければなりません。地上世界で和合して活動できる人とはどのような人かというと、互いにために生き、難しいことを自分がしようと、父母に代わって進み出る人です。そのような人が中心存在になるのです。あの世でも、高い天国に行く人は、そのような長子権、長女権の責任を果たした人です。

 

10 偶然に物事が起きるのではありません。準備するにも、たやすい準備はありません。一生について見るとき、少年時代は青年時代のための準備時代だということを知っている人は、将来性があります。壮年時代は、老年時代のために準備しており、老年時代は霊界に行く準備をするのです。一生は、大宇宙的な人格を備えるために、一つの訓練過程を経ている修練期間であり準備期間です。

 

11 永遠の出発は、自分が死んで始まるのではありません。永遠の出発は、自分がみ旨を知った瞬間から続きます。ここに一日のうちの瞬間でも、時間の関係において飛躍があったりくぼみが生じたりすれば、永遠は中断されるのです。ですから、私たちが生涯の路程を中心として、信仰の道を行くのですが、今年行けなければ来年に行き、来年行けなければ再来年に行く、このようにしてはいけません。一生をこのように生きていけば、その人は、み旨と一つになった一日の生活をしてみることが一生できずに死ぬでしょう。もしそのように生きれば、その人は天国に行けません。いくら自分が暮らしているその国が良いといっても、一日の勝利基準をもてない人が、どうやって天国に行くことができ、一年の勝利基準をもてない人が、どうやって永遠の世界に入ることができますか。これが問題とならざるを得ません。

 

天国に入っていくための訓練期間

12 地上生活は、永遠の故郷に合わせるための訓練場です。これは永遠ではありません。学校生活のように通過する期間です。この期間に落第生になれば、大変なことになります。落第生にならず、家庭を通過し、国を通過し、世界を通過しなければなりません。世界を通過して天国に入っていくのです。地上天国を通過した人、地上天国のすべてのものに歓迎される人は、天上天国のすべてのものに歓迎されるようになります。

生涯をために生きる愛をもって投入し、投入して忘れる生活で終えた人は、高い神様のみ座の近くに行きます。神様がそのような方であり、そのような方の子女の立場になることなので、自動的に側近の位置にとどまるようになります。霊界は、神様が永遠に存在する本郷の世界です。そこから始まったので、そこに帰るのです。

 

13 神様が創造を終えて、あの天国で安息していらっしゃるというのは、平等な愛の公式を提示したからです。それで、神様は讒訴を受けることがありません。同じ公式が適用されます。誰が愛の教材でしょうか。父として、夫として、息子として、指導者として、皆さん自身が標本です。それで、「私」の父と母を中心として、その次には家族を中心として、国家を中心として、平等な愛の公式を教育するのです。天国に行って生きることができる訓練をするというのです。それを個人、家庭、社会、国家、世界的に連結しなければなりません。

 

14 天の国、霊界、本郷の地に帰っていく時に合格するための訓練をしなければなりません。合格するためには、個人から家庭、氏族、その一族の七代の子孫を中心として完全な一つのモデルにならなければなりません。そこでは争いがあってはいけません。自分の所有を持とうとして闘争してはいけません。

 

15 一つの家庭が幸福なように、国が幸福でなければなりません。そのためには、闘争の概念ではなく和合です。和合が天国の、霊界の最高の基準に合うようにしなければなりません。霊界は時空を超越しているので、あっという間に、思いのままに地の果てから地の果てへと回ってくることができます。どれほど速いか分かりません。電波や光は、一秒間で三十万キロメートル進みます。そのような世界に拍子を合わせるために地上でこのようにしなければ、天の国に行って脱落します。今後、霊界を知らない人は、天の国の国民になれません。

 

16 天国に行きたければ、天国に行くことができる内容をもたなければなりません。天国に入っていくとき、チケットが必要なのでもなく、そのまま無事に通過するのでもありません。すぐに分かるのです。霊界のコンピューターがあります。人間が造ったものもすごいものですが、霊界のコンピューターは、一瞬で一生のすべてが分かります。うそをつくことができません。このような息子、娘として生まれ、このような生活をしたということがすべて出てきます。

 

17 皆さんの良心が自分の生涯をすべて知っているように、すべての内容が霊界のコンピューターに入力されます。霊界に行って名前を入力すれば、その人の生涯が一瞬にしてすべて出てきます。霊界は、時間と空間を超越しているので、その場で、あっという間にすべての生涯の記録が分かります。ですから、良心は、永遠の世界のコンピューターのボタンです。知っていることがそのまま入力されます。良心の呵責を受けることがあれば、それがそのまま入力されるのです。良心の呵責を受けない人生であれば、きれいな生涯として記録されます。霊界に行って弁解できません。自分が生きてきた一生の姿が、そのままはっきりと見られます。そのような世界があることを知って、その世界に通じることができ、その世界を迎えることができる準備をする訓練所が地上世界です。

 

18 天国に行くには、「私は、アダムが失敗した旧約時代までの代表であり、新約時代の中心であるイエス様の時代の代表であり、完成時代を代表する成約時代の代表である」と言えなければなりません。

そのような三時代の父母圏が完成されたのちには、サタンはとどまることができません。そこには、それ以上、いかなる障害物もありません。三時代を完成した世界には、どのような問題もあり得ないのです。サタンは消え、地獄の門が開放されるようになります。天国に行く高速道路が敷かれるのです。一つの家庭が出発すれば、自動的に永遠の天国と連結されます。自由天地だというのです。

 

Luke Higuchi