天聖経: 第203話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第七篇 地上生活と霊界
第三章 永生のための地上生活
第二節 霊界に行くための準備期間 30-40
30 天国を維持できる支持点とはどこでしょうか。環境よりも「私」の心です。心の天国を慕うことができなかった人は、天国の環境ができても、その天国を動かすことができません。決心ができなければ、完全な行動ができません。完全な決心から完全な行動が起こります。
ですから、「私」の心が善をどれほど憧憬し、その歴史的善と共に一つになろう、いくら血の涙が出る環境があったとしても善と同行するためにそれを克服しよう、いくら寂しい歴史的終末の環境の中で闘争の路程があったとしても、それを避けるのではなく、撃破していこうとしなければなりません。
心が変わらない一路を開拓して、その心に一体となる体の生活環境を形成しようと決意して誓うところから天国が始まるのであって、心と体が別々に行動するところに天国があるのではありません。心と体が一体になったところから天国の方向に前進するのであって、心と体の行動が分かれるところに天国はできません。
31 習慣性を打破することは、とても大変です。それは、今まで皆さんがサタン世界で自分を中心とした習慣性をもって生きてきましたが、その習慣性が凝り固まっているということです。そのように凝り固まってしまった習慣性は、韓国人がキムチ、味噌、トウガラシ味噌を食べる習慣性よりももっとひどいのです。これは歴史性をもっています。悪魔が出発したその日から根を張った習慣性をもっているのですが、これをどのようにして抜いてしまうのでしょうか。穴を掘って、根まで埋めようと思っても、埋めることができないほどです。深刻な問題です。天国に行くには、神様を中心とする習慣性をもたなければなりません。
32 皆さんの中に水がいっぱいになっているとすれば、それは清い水ですか、泥水ですか。そこに砂がたまリ、石ころがたまっています。激しい雨が過ぎ去ったのちに見てみれば、どれほど汚れていますか。河川にありとあらゆる汚いものがすべて浮かんで流れていきます。それよりもっと汚れているでしょう。皆さん自身は違うか考えてみてください。
これをかき回して、すべて取り除く必要があります。ですから、濾過装置を経ていかなければなりません。大変でも左右をよく見ながら、濾過されていかなければなりません。自分があってよいでしょうか。自分があれば、すべて引っ掛かってしまいます。水の中に汚れた砂の塊があれば、流れることもできず、そこにすべて引っ掛かるようになっています。
真の父母に絶対順従しなければならない
33 真の父母は一組しかいません。霊界と地上に一組しかいません。絶対、唯一、不変、永遠なものは二つではなく、一つしかありません。全宇宙の唯一の中心です。そこから、すべてのものが連結されます。ですから、それが中心です。皆さんがその中心に対して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の概念をもたなければなりません。その中心が真の父母です。神様を中心として完成したアダム家庭が人類の最初の先祖家庭になるべきですが、そのアダム家庭を中心として霊界と肉界が一つになって出発するのが真の父母です。
34 真の父母に、なぜ侍らなければならないのでしょうか。霊界と神様を代表しているからです。その次に、第一父母、第二父母、第三父母が心情的紐帯を結び、愛の中で束ねておいたので、これを代表できる、心情的勝利圏に同参できる資格を得るためです。堕落することによって、これがすべて分かれました。「私」が愛すべき万物の父母の前に孝子になることができず、「私」を生んでくれた父母の前に孝子になることができず、この霊界と神様のみ前に孝子になることができませんでしたが、真の父母に侍ることによって、孝子の資格を代わりに受けることができます。ですから、皆さんは粘り強く従っていかなければなりません。
35 神様のすべての相続圏を受けられる特権を得る道は、愛の道だけです。真の愛をもった人が「私」の体をかすめて通り過ぎれば、喜ぶのであって、反抗しないのです。すべて歓迎します。天の国がそのようになっているので、地上でそのような訓練を受けなければなりません。先生がこのようなことを教えてあげるのは、天の世界に行くことができる人、天の世界で呼吸することができ、拍子を合わせることができる人をつくるためです。そうしてこそ、踊りの場で踊りを踊ることができるのです。そうしなければ、拍子が合わないというのです。先生も今後、霊界に行くべきではないですか。先生のあとにはサタンがついてくることができません。
36 霊界の言葉を聞けば、精神が目覚めなければなりません。神様に侍らなければならず、神様に侍るために道を築いておいた、真の父母様のあとに従っていかなければなりません。先生が築いてきた道は途方もないものです。死に物狂いの生きた供え物の立場で、これをすべて巻き取ったのです。一つ一つ巻いて越えていくことがどれほど大変だったか知らないでしょう。ですから、神様や霊界全体が先生に対して絶対従順しなさいというのです。地上で誰もが出会える関係ではありません。特別な恩恵によって出会ったのです。これは世界を生かすためです。
37 先生は、一生を苦労しながら、変わることがありませんでした。五十年前に語ったみ言も、今語っているみ言も、すべて一致しています。霊界についての話は、今語ったのではありません。五十年前から語っていることなのですが、そのままその公式に従ってきました。天の国に永遠に残らざるを得ないというのです。
そのみ言を中心として、皆さんが峠を越えなければなりません。それで、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなさいというのです。サタン世界のどこに絶対信仰がありますか。絶対信仰、絶対愛、絶対服従が、神様と先生が約束した内容です。先生にしっかりつかまりなさいというのです。国も何もすべて捨てて、先生だけにしっかりつかまりなさいというのです。絶対信仰をしなさいというのです。
38 神様も真の父母が必要であり、皆さんも真の父母が必要です。それで、霊界と肉界の祝福の一族、真の愛の血統を中心とする統一された家庭から世界版図をすべてつくり、サタンが立っている位置まできれいになくなってこそ、正午定着時代に入っていくのです。二十四時間、一生の間影があってはいけません。創造理想のために「私」はこのように生きて、このように死ぬというとき、いくら客死したとしても、倒れたその位置には神様の塔が立てられるのです。
霊界を知ってそこに合わせて生きなければならない
39 神様を知らなければならず、その次には霊界を知らなければなりません。そして、神様の血統によって、今までのサタンの血統のすべてのものを否定しなければなりません。完全にひっくり返しておかなければなりません。異なる世界だというのです。夜と昼が相反しているのと同じように、サタン世界の血統が夜であれば、神様の血統は昼だということをはっきりと確定して、理解した人生を生きなさいというのです。
神様を知らなくても駄目であり、霊界を知らなくても駄目です。神様の息子、娘として、血統が一つになった一つの木であり、一体であることを理解して生きなさいというのです。これは重要です。ですから、霊界の事実をはっきりと知らなければなりません。その中で、「私」は霊界のどこに行くと、はっきり決めておかなければなりません。上層霊界なら上層霊界、そこに対する専門的知識をもたなければなりません。そこに拍子を合わせることができるように、生活を合わせて生きなさいというのです。
40 今後私たちは、みな霊界に行くようになります。地上で生きるのはつかの間ですが、霊界は永遠の世界であり、不変の世界です。それで、その不変の世界に行けば、変わる姿をもっては誇ることができません。今日、統一教会がどうして父母の心情を中心として人間の内情を考えるようになったのでしょうか。兄弟愛や同胞愛のようなものは、外的な環境が変わることによって変わり得るからです。父母の心情だけは変わりません。変わらない父母の心情こそ、天の国、すなわち永遠の世界に行って拍子を合わせられる相対的心情として残されます。
また、そのような心情を通して愛した自然環境があれば、その自然環境もやはり変わらない心情の相対として残されます。皆さんの一生において忘れられないものは、名勝地自体ではなく、心情的に関係が結ばれた、忘れようとしても忘れられない一つの事情がこもっているところでしょう。私たちはそこを、一生を通じて慕うようになり、一生を通じて回想するようになります。変わらない真の愛の心情がそこと関係を結んでいるからです。