天聖経: 第189話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第七篇 地上生活と霊界
第二章 霊界とはどのような所か
第一節 霊界の実相 9-21
霊界の階層構造
9 霊界を見るとき、霊界の組織はどのようになっているのでしょうか。神様と相対である人間と同じ構造になっています。神様のみ前に、人類が一人の人間のような相対的形態で造られたのと同じです。ですから、この人々をすべて神様のような形象で造っておけば、神様のような一人の人間になります。
神様は今まで、宇宙を代表した人格者として人を造ってきました。ですから、そこに黄色人もいれば、白人もいれば、黒人もいますが、すべて合わせて一人です。皆さんは、神様のある一部分として構成されている細胞と同じです。それは、多くの細胞からできている私たちの体と同じなのです。私たちは、神様のみ前に一つの細胞です。神様は父であり、神様の肉体のようなものが人類です。それで、神様の実体をつくろうというのです。霊界の組織はそのようになっています。
10 霊界に行ってみれば、霊界全体が一人の人間に見えます。それで、主体である神様と一つになるのです。そうすると、全霊界と肉界がすべて溶け合います。神様が走れば地も走り、神様が笑えば地も笑う、そのようになっています。霊界に行ってみれば、一人の人間のような組織ができているのです。
11 全霊界の様造は、どのようになっているのでしょうか。現在の霊界は、真の父母ではなく、堕落した偽りの父母によって生じたものなので、これがあってはならず、堕落していない世界の霊界がなければなりません。救援摂理のみ旨が終わり、来られる再臨主がこの地上でみ旨を完成し、新しい霊界に変革されてこそ、本然の霊界に戻ります。復帰されなければなりません。
12 霊界に行っても、楽園と中間霊界、それ以外のすべての宗教圏の霊界があります。そのような霊界を通して地獄と連結されています。地獄と連結されたその霊界は、結婚生活を許しません。地獄のどこかに行って、自分たちが隠れて堕落を継続したりもしますが、それをすべて否定するのです。本未、楽園圏に所属できる人々は、一人で暮らさなければなりません。
13 霊界自体が、光明な日の光が照り、正午定着の影のない霊界にならなければならないのですが、まだら模様になっています。霊界は、最高の霊界、第一次霊界、第二次霊界、第三次霊界があり、動物たちもすべて異なります。最高の霊界では、動物たちが主人を褒めたたえます。すべて友逮なのです。
14 天国は一人では入れません。人間の先祖が思春期を過ぎて、神様を中心とした愛の理想を完成して生活し、真の愛の種を残して父母になって先に入るべきところが天国です。ところが、まだ神様の愛を中心とした父母として、この地に愛の種を残した父母がなく、そのような子孫を残した基盤を形成できなかったがゆえに、天国は空いているのです。
15 神様がいらっしゃるあの天国、神様がいらっしゃるあの霊界は、どのような組織になっているのでしょうか。その組織構造は簡単です。天国に行くことができ、極楽に行くことができる人々は、自分のために生きた人々ではありません。そのような人は行けないのです。全体のために生まれ、全体のために生きた人が行くところが天国です。
天上天国と天上地獄
16 アダムとエバが堕落することによって、この地球星はサタンが支配するようになり、霊界には地獄が生じました。それでサタンが支配できる版図は、地上地獄世界と天上地獄世界までです。そのため、それを解放しなければなりません。堕落がなかったなら地上地獄も生じず、一つの理想的天国にのみ行き着くはずだったのですが、堕落によって二つの世界に、サタンが支配できる世界形態が現れました。ですから、これを解消しなければなりません。
17 心と体が一つになれなければ、そこは悪魔の領土になります。地獄が別にあり、天国が別にあるのではありません。すべて「私」にあります。
皆さん自身が愛を中心として体を感化させておくことができ、愛を中心として自分の生命を超えて自分の血統を否定できる運動を起こしてこそ、邪悪で淫乱な世の中をきれいに清算することができます。そのような神様の道理を教えることによって、神様の家庭倫理、神様の氏族倫理、神様の民族倫理、神様の国家倫理、神様の世界倫理が地上に展開するとき、地上天国となり、地上天国で生きた人が、そのまま入っていくところが天上天国です。
18 真の愛の本宮は生殖器です。真の愛は絶対的です。真の愛は、唯一不変なので絶対的です。ですから、歴代の先祖たちを見ても、この問題が乱れるようになれば、結局、家庭も崩壊し、社会も崩壊し、政治も崩壊します。ソドムとゴモラもそれが崩れたので、家庭が崩壊し、社会も崩壊し、国家も崩壊したのです。その結果は崩壊するのです。地獄です。
ですから、天国と地獄が別々にあるのではありません。地獄のような環境で生きていくからといって地獄に行くのではありません。天国と地獄は、自分自身にかかっています。真の愛を乱す根拠地は、それ以外にはないのです。真の生命を汚し、真の血統を汚すところは、そこしかありません。他のいかなる行動でも、それを汚すことはできません。
19 地上天国は、どのようなところでしょうか。負債を負わないために努力し、お互いに負債を負わせようと努力をするところが地上に生じれば、そこが地上天国です。天上天国は、どのようなところでしょうか。天国に行く人は負債を負った人がいません。先生の知っている天国は、そのような天国ではありません。世の中で生きる間に、国の世話をして、人類の世話をして、神様のために生きようと努力した人が行くところが天国です。その国、人類、神様の世話になろうと思った人は、天国ではなく地獄に行っています。世話をしようと努力する人の位置は、常に勝利する位置です。これは過去にも勝利し、今日も勝利し、未来にも勝利するでしょう。そのように世話をして勝利した権限をもっていけるところが天国です。
20 皆さんが五十年の生涯を生きたとするとき、五十年の生涯で二十五年以上をこの宇宙のために、天倫、天理のために生きたなら、天国に行きます。そのように生きたとすれば、良い霊界にとどまる境界線を越えることができますが、五十年の生涯で自分中心に生きたことが多かったとすれば、残念ですが、善の本郷の世界に行くのではなく、悪の本郷である地獄に行きます。過去に自分を中心にして生きたことが多ければ、その生活を清算し、それを否定し、国のために、世界のために、天地のために、神様のために生きる余生を残すために努力しなければなりません。そのようにすれば、ここから地獄ではなく、天上の理想世界に行進するでしょう。
21 聖書のみ言で、「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」(ルカ一七・二一)とあります。天国は神様の愛と一致したところなのですが、その愛があなたの心になければならないということです。「あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」(ヨハネ一四・二〇)という言葉も、抽象的な言葉ではありません。愛を中心とすれば、すべて可能な話です。
堕落した人間は、自分の心と体に神様の愛が顕現できるその日を訪ね求めていくのです。そうすれば、爆発するような神様の愛が顕現します。既に数千年間仲たがいしてきた体が、完全に一つになることができます。この日は、サタン世界では恐怖と革命の一日であり、天の世界では歓喜と勝利の一日です。その位置に立ってみれば、神様の愛がどのようなものなのかが分かります。どれほど良いことか、細胞が奮い立つようです。すべての骨と肉が一カ所に集まって固まるのを感じます。化石のようになるのです。すべての五官が完全に一つになるのを感じます。