天聖経: 第174話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第六篇 真の万物
第四章 自然と海についてのビジョン
第二節 源焦万物博物館 14-21
第三節 今は海洋時代1-5
14 パンタナールには、魚がどれほど多いか分かりません。何かを投げれば、いつの間にかきれいになくなっているのです。稲妻のように素早く、きれいに片づけてしまうのです。汚いものでも、いつきれいにしてしまうのか気づかないのです。様々な種類、ありとあらゆるものがいるのですが、種類によって食べるものが異なります。そのようなものがすべて混ざり、休むことなく清掃作業をしているのです。食べること、それ自体が清掃作業だというのです。彼らは自分の目的のために生きているのではなく、環境を整理しながら、周辺をきれいにしながら、互いに助け合いながら生きているのです。それが自然協助体制です。
15 み旨を知ったその日から、霊界を愛し、人類を愛しました。人類を愛するにおいては、自分の家庭より、自分の国より、もっと愛さなければなりません。人類を愛し、その次には万物を愛さなければなりません。この陸地にあるすべてのものを愛さなければならず、その次に、水の中にいるものを愛さなければなりません。再創造過程です。神様の愛と人類を連結し、人類の愛と地球星を連結し、水の世界まで連結しなければなりません。パンタナールを中心として、先生がもてる精誠をすべて尽くすのは、そのためです。
16 人間は、神様が創造した種の絶滅を防がなければならない責任を負っています。今までどれほど絶滅させたでしょうか。パンタナールには、数多くの種類、魚だけでも三千六百種類がいます。養殖場を造ったので、世界で土の質が同じ所では、いつでも繁殖させて、永遠に絶滅しないようにするのです。そのようなことをします。先生は今、そのような膨大なことを始めようとしているのです。
17 今後、三千六百種類の魚の養殖のために、都市ビルよりも、さらに大きな養殖場を造らなければなりません。これを魚の種類別にコンピューターで温度調節し、海洋世界の魚や淡水魚、寒帯地方の魚や熱帯地方の魚を、すべて一つのビルの中で養殖するのです。全世界の三千六百種を養殖できると考えてみなさいというのです。都市ビルが問題ではないのです。
18 皆さんは、神様の愛をもち、自然の嘆息圏を解放して生きようというその真の父母の生活に従いますか、それとも都市に挟まれて環境を破壊し、公害問題を起こして子女の情緒的な発展を遮る父母になって暮らしますか。先生がこのように自然を愛して暮らせば、統一教会の信徒はおのずと従ってくるので、自然と和合できる理想的天国が可能だというのです。ですから、自然を保護するために、先生は博物館を造ってすべての種類を展示しようと思います。標本を作って展示するのです。ここで見れば、自然に接するのと同じような養殖場を造るのです。動物を愛することのできる表示として、村に博物館を造る運動を展開するのです。その種類を一番多く集めた所は、世界的な観光村になるでしょう。また、草と木の種類も、そのように集めて展示するのです。
19 魚をむやみに捕まえれば、すべていなくなります。ですから、養殖をしなければなりません。育てなければならないのです。それで、南米のパンタナールや、アマゾン川流域の動物で動物園を造ろうと思います。そして、昆虫を育てる都市ができなければなりません。鐘を鳴らせば、おなかのすいた鳥がすべて出てきて、食べられるようにするのです。鳥を養うことのできる昆虫を育てる都市ができなければなりません。昆虫がいなければ、すべて死んでしまいます。昆虫を育てる町ができ、鳥を育てる町、動物を育てる町ができなければなりません。
20 南米には、縦に流れる川があり、横に流れる川があります。パラグアイ川とアマゾン川、この二つの流域に家を建てて暮らしながら、統一教会の人々が主人にならなければなりません。ここに訪ねてくる人を教育しながら、自然と共に暮らすのは、どれほど素晴らしいでしょうか。現代文明、都市文明と連結できる村を造るために、このような膨大な地域に三千万種類の昆虫博物館を造るのです。そのようにすれば、昆虫学者たちは、パンタナールに来なければなりません。また、三千六百種類の魚を養殖できる養殖場を造ります。その次に、鳥類園を造り、植物園を造るのです。
21 一つの調和した社会は、その構成員の間の生活水準が同等でなければなりません。このような共同繁栄は、共同責任の土台の上で、愛によって自発的に進行しなければなりません。理想社会ではいかなる否定や差別、または堕落も存在してはいけません。このすべては、真の愛の実践が前提となるときにのみ可能なのです。民族と皮膚の色と伝統が異なる人々が、真の愛の共同体をつくる歴史的な運動です。
世界は深刻な環境危機に直面しています。環境汚染と自然破壊は、神様が創造された美しく神聖な世界を冒瀆するのと同じです。真の愛がない人は、自然界を単純に、利己的な利用物としてのみ考えるだけです。堕落がもたらした深刻な結果の一つは、アダムとエバが神様の真の愛を相続できなくなることによって、人間同士、または動植物や地を正しく愛することができなくなったことです。万物は、人間の真の愛を待ち望んでいるのです。
第三節 今は海洋時代
1 生命の先祖のようなものが水です。神様の代わりに水を愛さなければならないと考えるべきです。海を愛さなければなりません。景色の良い所は水がなければならず、樹林がなければなりません。それが水の調和です。水は形態をもっていません。絶対的な個性をもっていますが、形態をもっていません。何に入れても、そこに合わせるのです。水に対する哲学さえ会得すれば、聖書六十六巻を完成することができ、みな神様の息子、娘になることができます。そのような言葉が成り立つというのです。
2 洗礼儀式は、水に入って再び生まれなさいということです。水はすべての生命の源泉なので、そこできれいになって再び生まれなさいという意味もあります。水を毎日のように目にし、このように動くのを見れば、自然に「私」の心も動くので、「私」の体の血も浄化されるというのです。
水が流れていくとき、「水と共に、私の心も流れていく」と言って、汚れたものがすべてきれいに洗われるのを感じてみましたか。ですから、水を愛そうというのです。水を愛することは、生命をもったすべての人間や、すべての万物がそこにぶら下がっているので、万物を愛することになるのです。これは根本的な考えです。水を愛するとき、茶碗の水を愛しますか、湖の水を愛しますか、海の水を愛しますか。毎日のように海に出掛けなければなりませんか、出掛けてはいけませんか。風が吹いて波が起きるのですが、船に乗ればざぶざぶと揺れるので、血が腐ることがないのです。すべて浄化されるというのです。
海から学ぶ
3 川がいくら多く、大きいとしても、川はいずれ大海に入っていくのです。大海に入れば、すべて混ざるようになっています。五大洋を中心として見てみれば、太平洋には黒潮というものがあり、四千マイルを回っています。もちろん、月の引力によることもありますが、このように回る黒潮があるので、五大洋全体を動かせるのです。それが海の柱の役割をしているのです。汚いものでも何であっても、入ってくれば、それをすべて混ぜ合わせ、一つの姿になろうとするのが海です。いくら大きな川が何万年も続けて淡水を投入したとしても、それをすべて吸収して余りある余裕があるので、海に権威があるのです。海は、どれほど入っていっても変わらない姿勢を備えているので、偉大だというのです。
4 自然は、だますということがありません。高ければ高く、低ければ低いのです。高い所にいれば、異議なく供給してあげるのです。先生はそれを学んで、高い所にいれば異議なく供給してあげるのです。異国の地に行っても、私よりも貧しければ、先生の倉庫を開き、米が底をつくことになっても、すべて分け与えるのです。水平になるようにするのです。それはすべて、水から学んだことです。ですから、水を好むのです。そこに棲む魚は、裁きを受けていません。
先生は、神様のみ前に祭物を捧げます。最初に捕まえた魚は、大きくても小さくても、すべて放してあげるのです。先生だけは、最初に捕まえた物が大きくても小さくても、放してあげるのです。それは、どれほどすてきなことか分かりません。
5 海が穏やかなときは、神秘的です。魅惑的な神秘の女王のような美女となり、すべての人々を引き込む力があります。海は銀色にも見えますが、翡翠(ひすい)色にも見えます。千態万象です。そこにそよそよと風が吹けば、その波の美しさは、舞姫がいくら上手に踊っても、それに比べることはできないのです。また、そこにかもめが飛んでいると考えてみてください。留まっているものがいるかと思えば飛んでいるものがおり、そのときはかもめの鳴き声が、悲しくて鳴こうとも、うれしくて鳴こうとも、すべて美しく思われるのです。そして、大きな波が高くそびえ立って落ちるとき、どれほどすてきか分かりません。全色のような水の滴が飛び散り、その水滴は日の光を浴びて、きらきら輝くのです。そのようなものを見れば、変化無双だというのです。