天聖経: 第175話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第六篇 真の万物
第四章 自然と海についてのビジョン
第三節 今は海洋時代6-17
6 海には美女のような、舞姫のような性質があるかと思えば、一度怒れば荒野で飛びかかってくるライオンよりも、もっと恐ろしいのです。何十メートルもの波が押し寄せ、引いていくときは、かもめが鳴いても相手になりません。「お前がいくら上手に歌おうと、お前がいくら素晴らしい喜劇俳優だとしても、雄壮な私の気勢の前にはかなわない!」と言うのです。威風堂々としています。
7 自然の力は偉大です。ですから、海を愛する人は、驕慢になることができません。海にはそのような偉大さがあります。海には無尽蔵の魚がいます。黄金から金色、青色と、ない色がないほど多くの魚が棲んでいます。
陸地と海の中を比較してみれば、どちらがより美しいでしょうか。陸地にも花と蝶、そして美しい鳥がいますが、それらのものは単調です。花は動きません。海にいる豪華絢爛な色をもった美しいすべての生き物は、踊りながら活動するのです。陸地が美しいでしょうか、海が美しいでしょうか。海が美しいのです。神様はなぜ水を造ったのでしょうか。神様が鑑賞するための特別装置が水だと言うこともできます。そっと隠しておいて公開しなかったというのです。神様は、陸地より、海により多くの関心をもっているはずです。
8 愛の世界は、どこに行こうと、すべて通じます。太平洋の水が、「私は太平洋の水だ。アジアの水はすべて汚染されているので嫌だ」と考えるでしょうか。水がどこから流れてこようと、すべて自分のものにするのです。そこに悪いものがあれば、それを混ぜて早く解消させ、同じ道を行こうと努力するのです。ですから、太平洋の水は、いくら公害がひどくても、人類がいなくなることがあっても、変わらずに青々としていることは間違いありません。いくら試練を受けて紆余曲折の過程を経たとしても、海の水の青い色が占領されないのと同じように、愛の権威と愛の内容と愛の力は、いつでも青々としているのです。
9 台風が吹くときは、どれほど波が憎らしく、風が恐ろしいか分かりますか。しかし、風も、自分の使命を果たしていると考えるのです。もし風が吹かず、海に波がなければ、魚が棲むことができません。風が吹くのは、海に酸素を供給するためです。波は酸素を供給するのです。ですから、波が激しく怒り狂っていても、どれほど風が吹いてこようとも、それを味わいながら、「お前の味を失っていないな!」と思わなければなりません。海は塩辛い味がするのです。そのように思えば、波を憎いとは思わず、押し寄せる大波も憎いとは思わないというのです。海にはどれほど多くの哲学があるか分かりません。陸地だけで生活した人は、あの世に行って理想的な活動をするにおいて、相当多くの支障があるのです。
10 海に通ってみれば、本当に学ぶことがたくさんあります。一日に何度も変化します。世の中では、「人心は朝夕に変わる」と言いますが、海は、朝夕ではなく時間ごとです。時間ごとに変わるのです。じっと見てみれば、いくら天候が良い時でも、ある場所では風がないのですが、他の場所に行くと風が吹くのです。強い風ではありませんが、すべて異なるのです。人の顔が異なるのと同じです。水があって山があれば、山の高低によって気候が変わります。海は千態万象の妙味をもっているのです。
11 先生は、時間さえあれば海に出掛けました。海に行って、もまれるのです。しかし、それが精神を整えて大きな闘いをするための試練であり、準備だと考えるのです。睡眠も取れず本当に疲れますが、精神をまっすぐに正し、自らそのような標準を定め、この平衡が取れた状態から他の所に傾かないような生活をしているのです。
12 海の世界を知らない人は、それだけ幸福の領域が制限されるという結論が出ます。創造主がいれば、陸地を知り、海をよく知って、海の神秘性を思い、陸地の美しさを思いながら賛美するのを喜ぶのであって、一面だけをもって喜んだりしないだろうというのは極めて理論的な話です。
13 海を見るとしても、海をただ海としてだけ見るのではありません。父が「私」に下さった贈り物として見るのです。再創造をする過程において、すべての物を再び感じ取るというのです。ここで偉大な革命が起こります。偉大な勝利の旗がここから芽生えてくるのです。ですから、すべての万物は、誰のものになることを願うのですか。神様の愛を受ける人のものになりたいと思うのです。それが真理です。神様の愛を受ける人のものになりたいのです。微生物からすべての植物まで、神様の愛を受ける人の所有になりたいと思うのです。
14 先生は、刺激的なことが好きです。変動の多い所から切り開いていくのです。そのようにするためには、陸地よりも海がもっと良いのです。海は風も吹き、穏やかでもあり、波風が何度も起こって変化します。ですから、陸地の旅行よりも、海の旅行が良いというのです。
陸地は、歩き回っても朝の考えはそのままで、変動がありません。陸地はいくら歩き回っても、手をつけずにおとなしく行くことができますが、海はそうではありません。「私」がこのように行こうと思っても、あっちに行ったりこっちに行ったりするのです。そのように変わります。変化するときに、本当に刺激的な変化があるのです。穏やかなときは、陸地が顔負けするほどです。本当に不思議なほど穏やかなのです。
あるときは、その海面がガラスの板に思えるときがあります。あまりにも美しくて、触ったり食べたりしたいと思うときがあります。ですから、「海は限りなく変化するが、それでも私は行く」という一念で前進していくのです。そのような刺激がなければ、大きなことを成し遂げることはできません。
15 先生は、今まで開拓者でした。開拓して先生が先頭に立ちました。私たちの会社で船を造り、船長がいなければ、先生がすべて連れて海に出ていくのです。「風よ、吹け。波よ、打て。男の行く道を塞ぐのか。天と人類のために、後代に生命を引き継ぐ食糧問題を、ここで解決する」という思いをもっています。それは素晴らしい男でしょう?先生は、そのような男がよいのです。
そこから、今後、生きたサバイバル映画のようなものができ、歴史の渦がそこから解かれるでしょう。悲喜劇が交差し、素晴らしい男たちが憧れながら行くべき道だというのです。それで、世界を越えていける基地がそこにあるというのです。これによって、海に出ていく数多くの若者たちに希望を与えることができます。あすの海の世界に対する夢を描ける一つの源泉が、ここから爆発するのです。
16 先生は熱心に海に出掛けますが、その心を忘れてしまえば問題が生じます。精誠というものは、千年、万年続けなければなりません。海に出ていって精誠を尽くすとき、楽に座ってやれば蕩減条件が立ちません。きのうよりもきょうが良くなり、きょうよりもあすが良くならなければなりません。今後、先生が飢え死にする人々を救ってあげる時まで、その精誠を尽くすなら、先生が死んだとしても、そのみ旨はこの地上に成し遂げられると思うのです。
17 神様が絶対愛のために創造した万物を見れば、神様が楽しみながら造ったというのです。未来の福地天国を中心とした家庭において、十分に生活必須要件を備えられるよう、すべて造っておいたので、どれほど楽しさを感じるだろうかというのです。流れる水も、天地が機能するためのものです。海から水蒸気になり、雨を降らせて循環しながら万物を蘇生させるのです。すべてが協同圏内で、相反することなく全体が協力し、人間の理想を完成できるようになっているというのです。神様の生活舞台であるこの地上で、神様の息子、娘を育て、天国に移譲しようというのです。