天聖経: 第169話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第六篇 真の万物

第三章 万物の嘆きと真の万物主管

第三節 真の万物主管 26-27

第四節 万物に対する姿勢 1-10

 

26 愛する心をもって食べ物と向き合うとき、その食べられる食べ物は、「あなたの血と肉になり、力になって神様を愛することのできる元素として私が吸収される、この驚くべき事実に感謝します」と言いながら、早く口に入っていこうとするのです。牛の肉を食べても、「この牛肉は、子牛のときから母親が愛し、主人が愛で育ててここまで来た愛の結実なのだなあ!」ということが分からなければなりません。愛の実を食べて生きるという概念を中心として愛し、神様の本質的愛と一致する立場で食べて感謝する人は、病気にもならないというのが理論的な結論です。

 

27 皆さんが食べている食べ物は、すべて実りです。すべての万物の実りを食べているのです。美しさの種の本体、美しさの生命体が縮小した物を食べているのです。

私たち自身がその価値ある物を食べている以上、それを価値ある愛を中心として完成するために、大きくなるために食べていることを忘れてはいけません。そのような心をもって食べれば、病気にもならず、健康によく育つことができるという話が成立するのです。

第四節 万物に対する姿勢

 

1 私たちが眠りから覚めて目を開ければ、目の前に広がった万象が見えます。見えるその万象を通して、何か分からない間接的な印象を受け、その反応する感覚で生活における感覚を高めていくのです。私たちの周辺にある極めて微小なものでも、必ず私たちと関係が結ばれています。私たちが無視しても、その微小なものはその日その日、天倫の理念に従って存在の価値を表し、人間と関係を結んでいるというのです。なぜでしょうか。極めて小さい存在から、万物を主管できる万物の霊長である人間に至るまで、その存在目的を中心として見れば、神様の大宇宙の理念に通じることのできる愛の理念圏内に入っているからです。

ですから、小さなものは、大宇宙の目的を達成するために、大きな分野を担っているものに吸収されて動くのです。小さなものは大きなものに吸収されてその材料になり、一つの要素となって、大理念を中心として一つの目的に向かうのです。歴史はこのように進展するのであり、存在世界は天倫という原則の軌道に沿って、一つの目的のために動くという事実を否定することはできません。

 

万物の価値と自然破壊

2 先生は、「神様の造られた価値ある万物が、神様と共に永遠の関係を結んだ貴い万物が、今日どこかの王宮で『国宝だ、宝物だ』と言いながら大切に扱われている物と同じように扱われていない悲しみを、私が分かってあげなければ、私だけは分かってあげなければ」と考えながら歩んできました。「この地に暮らす世界人類がすべて分かってあげなくても、私は分かってあげなければ」という心を皆さんがもてば、この民族は、これから世界人類を治める新しい民族になるでしょう。これは観念でなく事実です。

万物を前にして、代々受け継がれてきた自分の家門の宝より、世の中で最も貴い宝石だというダイヤモンドより貴く思い、しがみついて放さないという人がどこにいるでしょうか。そのような人がどこにいますか。神様は御自身が造られたものを心情的に分かってくれ、それをつかんで涙を流す人を見て、「おお!」と言われるのです。

 

3 自然は、ために生きる愛をもった息子、娘が生まれるとき、その息子、娘に、ために生きることのできる万物として、贈り物として神様が下さった展示品です。一羽の鳥も、一株の草も、愛の息子、娘たちの生活を美化するために造られた装飾品なのです。道端に転がっている石ころも、息子、娘が国を治める主人になることを知っていて、その国の装飾品として造ったというのです。流れる水も同じです。無味乾燥で単調であってはいけないので、造化無双な和合の園をつくり、愛のための世界を見て、それを相続できる夢の王子、希望の王子を造るために創造したというのです。ですから、万物を通して学ぶのです。

 

4 博物館の中の作品がどんなに貴重だとしても、生きている作品にはかないません。神様の作品であるこの地球星の万物博物館を、誰が神様以上に愛したか、自分の国の博物館以上に愛したか、というのです。道端で踏まれる一本のたんぽぽが、博物館にある新羅時代の金の冠と比べることができるでしょうか。そのような神様の心情をもって、「本然の神様が慈しむことのできる王の位置で、愛を受けたその位置で、お前を愛することができない自分自身が申し訳ない。恥ずかしい」と言える心をもって慈しむ王がいるとすれば、草もその王に従っていき、永遠不変に共にいたいと思うのです。そのように生きなければならないのが人間です。

 

5 神様の愛が宿っている自然を見つめて、「世の中の王や有名人がもっている、立派だという物と比べられるだろうか。骨董品と比べられるだろうか。有名な婦人が着ている豪華な服と比べられるだろうか」という思いをもたなければなりません。それができなければ、私たちは、自然界の前に、我知らず罪を犯しているのです。

一つの生命体を見るとき、「人間が作った物と比べられようか。いくら立派な人でも、神様より立派であるはずはない」と言いながら、神様が心情を注いで造られた万物を手に取り、何よりも貴く感じる者がいるとすれば、これは間違いなく神様の息子、娘です。このような人には祈りが必要ありません。神様と共に生きる人です、神様は人間を、そのような位置にまで押し出すのです。

 

6 公害のゆえに、自然が破壊されています。第二次世界大戦後、公害により水が汚染されて魚が死に、公害により空気が汚染されて鳥も落ちる時代になりました。ですから、水を保護しなければならず、空気を保護しなければなりません。水が一番重要です。その次に、空気、太陽の光です。人々は、その貴さを知らずに生きているのです。

 

7 公害のゆえに人間が今、問題になっています。第二次世界大戦以降、今まで公害によって海の水が汚くなり、魚が死んでいます。山に棲む動物や鳥もそうです。自分の国だけが生き残ろうとして、他の国に近い公海上に廃棄物を捨てているので、海が死んでいくのです。汚染が年を追うごとにだんだんひどくなると、浅い海に棲んでいた小さな魚が次第に増え、それを深い所に棲んでいる魚が捕まえて食べます。その小さな餌となる魚を捕まえて食べると、みな死ぬというのです。ですから、魚自体の餌がだんだんと減少するのです。これが大きな問題です。ですから、先生は、汚染された海水を再び引き入れて浄化しなければならないと思うのです。汚れていない水のようにして、魚を生きていけるようにしなければなりません。

 

8 公害の中で、水の公害が最も深刻です。人類の滅亡を促進しています。人が死ぬ前に動物が死にます。海の魚が死に、鳥が死に、小さな昆虫が死んでいきます、第二次世界大戦以降、空気が汚染されて鳥が死に、水が汚染されて魚が死んでいっています。今も農薬のために、小さな動物も、大きな動物も死んでいっています。これから世界が争えば、どうなるでしょうか。酸素を発散するのではなく、炭酸ガスを多く発散するのです。人類が滅亡する塗炭の状況が起こります。いくら優れた人でも、水がなく、空気が希薄であれば死んでしまいます。土地があっても何ができるでしょうか。草が生えないのです。ですから、水を愛さなければなりません。水を愛し、地を愛さなければなりません。魚を保護しなければならず、動物を保護しなければならないのです。

 

9 人間は、神様が造ってくれた環境を破壊し、公害問題を起こして多くの動物を死なせました。神様の息子、娘に、最高のプレゼントとしてくれたものの命を奪ってしまったのです。ですから、神様の第二の創造主となり、神様が贈り物としてくれたものを、神様の代わりに愛しながら暮らして、天国に行こうというのです。

最近、韓国では、かささぎが人間に害を加えるので捕まえて処分するというのですが、そのような心配をせず、国でかささぎが一年間食べられる穀物を準備して、しっかり育ててみなさいというのです。先生は、鳩の餌、鳥の餌を準備して、いつでも与えます。ですから、村を通る鳥たちは、おなかがいっぱいになり、かささぎが「カッカッカッ」と鳴き、鳩が「ククク」と鳴き、すずめが「チュンチュンチュン」と鳴いて飛び立っていきます。挨拶をするのです。主人がいれば、ただ通り過ぎるのではなく、挨拶をしていくのです。毎日のように食べる物をあげるので、有り難く思うというのです。

 

10 人間が、公害のために死んでいっています。動物が死に、昆虫が死ぬことのないように保護しなければなりません。誰がそれに責任をもつのでしょうか。神様がそれに責任をもつことはできません。食物連鎖をつくり、バランスを取れるようにしなければならないので、国で法的な措置をして、長期的にそれらが残れるように指導しなければなりません。世界的にそのようにしなければなりません。

Luke Higuchi