天聖経: 第168話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第六篇 真の万物

第三章 万物の嘆きと真の万物主管

第三節 真の万物主管 13-25

13 公的管理法、万物に対する公的な管理法を、誰も知らずにいます。万物に対する真の価値を設定するときになってこそ、聖書で言う万物の解放時代を迎えるのです。そのようにすることなく万物に対するのは、管理ではなく強奪です。したがって、万物には真の主人が必要です。万物は今まで、公的な権限と価値を賦与されませんでした。万物は、そのような立場で治められることを願っています。すなわち、万物は真の愛の管理を受けなければならないということです。真は、自分を中心としたものではありません。

 

14 妻は夫のために、子女は父母のために、また父母は家庭のために、祖父と祖母も家庭のために、孫も家庭のために、このように愛によって互いのために生きるのが幸福なのです。すべての家族が、自分のものにしようとするよりも、自分たちのものにしようと努力し、祖父も節約して自分たちのものにしようとし、父と母も自分たちのものにするために節約し、息子、娘もそのようにし、家族全員が自分たちのものを拡大させるために努力する家は繁栄するでしょう。

ですから、お金を節約し、全体のために生きるところから愛の家が拡大されるのです。このような家庭を中心として、社会や世界に広がっていくときに理想実現が可能なのであって、自分のもの、自分を中心としてではできません。

 

15 統一教会の宣教師は、西欧文明社会の豪華な要素を必要としないほど訓練されています。私たちは新しい文化をもっているからです。それが開拓精神です。私たちの若者は、どこに行っても不慣れなことがありません。私たちの宣教師は、豪華な家具なしで、最も質素な生活道具だけをもって暮らします。皆さんが宣教師になって悲しみに沈んでいる人たちを伝道するときは、まず涙の心情をもたなければなりません。皆さんは、神様が悲しみの神様であることを彼らに認識させてあげなければならないのです。神様は、悲しみにくれている人々と共に泣くのを願っていらっしゃることを知らなければなりません。

 

16 皆さんが、捨てるべきではない物をたくさん捨て、消耗すべきではない物をたくさん消耗するのをたくさん見てきました。ですから、どのようにしてでも、世界のため、神様のみ旨のため、この国の復帰のために、一銭でも節約できる道を模索しなければなりません。ですから、経済的管理において、より一層節約できる道を開拓しなければなりません。

 

17 原理的に見るとき、浪費は罪です。私たちは、生まれるときから一定量の消耗品を使うようになっています。それ以上使えば罪なのです。私たちは、残していかなければならないというのです。そうでなければ、私たちの子孫がそれを負債として相続します。そのようなことを誰かが教育してくれますか。教育以前に、原理が先生です。自然が先生であり、海が先生です。

 

18 大切にし、節約し、苦労して何をしようというのですか。後代のために良いことをしようというのです。それで世界に誇れる基盤をつくるという思想をもとうというのです。そのような思想の伝統を十年残し、そのような思想の伝統を百年残し、そのような思想の伝統を千年残すとき、大韓民国が世界から推戴を受ける民族になるのは間違いありません。ですから、このような原則で指導しようというのが先生の思想です。反対を受けている現在においては、最も悪い思想だと見ることもできますが、のちのちにはこの思想だけが残り、この思想だけが勝利すると考えるので、このような道を歩み始めたのです。

 

万物主管と健康

19 断食をしてみた人は、時間がどれほどたくさんあるか分かるでしょう。御飯を三食食べると、どれほど多くの時間を消費するか分かるでしょう。また精神的にも、りんごを一つ食べようと冷蔵庫を開いてのぞき込み、コーラを一本飲もうと行ったり来たりする精神的消耗がどれほど多いでしょうか。食事のときだけ食べる習慣が必要です。そのようにすれば、病気にもならず、健康になるというのです。

 

20 おなかがすいて御飯を食べるにしても、御飯を茶碗に山盛りにして食べるのではなく、五分の二を除いた五分の三を食べて満足できる基準を持ちなさいというのです。そうしてこそ知恵深い人です。何でも節約できなければなりません。「最高に節約していくらで暮らせるか」、このような訓練をして、最低三ヶ月間は各自の記録を出し、自ら最大の限界点までやってみなければなりません。そのようにしてどうなるか、見てみようというのです。

 

21 神様を直接愛する前に、皆さんの足先から、皆さんが食べる食べ物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆さんの体を愛さなければなりません。万物を愛することによって万物の要素を吸収し、「私」の体を愛するようになるのです。皆さんの第一の父母は皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆さんは地から、皆さんの肉身が大きくなるように要素を供給されたのです。ですから、地を愛しなさいというのです。

 

22 誰であっても、多くの動物と魚を愛して放せば、子孫が繁栄するというのはもっともな言葉です。自分の故郷の地で暮らせば風土病にかかりません。身土不二(しんどふじ)です!その地域の土を踏み、空気を吸い、穀物を食べ、野菜を食べ、水を飲むのが身土不二です。

自分が暮らした故郷の地と同じ所を、世界的に一、二、三、四、五、六、七番から何百まで定めることができれば、そこを順番に遊覧しながら暮らすことができます。世界が一つの光復の祖国彊土(きょうど)にならざるを得ない時代になるというのです。

海にも、西洋と東洋が均衡を取れるよう、魚がよく育つことのできる海流が流れています。空気も勝手気ままに流れるのではありません。気温の差に従って流れるのですが、均衡が取れているのです。そのように、均衡を取ることを考え、絶滅する動植物の種を繁殖させる訓練を小学校のときからしなければなりません。そのようにすれば、一つの世界にならざるを得ないのです。

 

23 原理的に見るとき、完全な人間は、精神と肉体が神様の心情と絶対価値を中心に統一的な関係をもち、健康な状態で正しい役割を果たさなければなりません。いくら健全な精神をもっているとしても、健康な肉体をもてなければ完全な人にはなれず、それとは反対に、健康な肉体を所有していても、精神が正しくなければ正しい人間の役割を果たすことはできません。このような事実を認識し、皆さんは体と心が正しい統一を成就していけるよう、絶えず精進しなければなりません。

 

24 万物世界は、神様の産毛のようなものです。これが汗で流れ、時が来て落ちていく立場にあったとしても、神様の体と一致していた存在として「私」が愛し、触れるのと同じように、万物を愛しながら食べて生きてこそ、病気にならないというのです。神様が愛するものを造られたので、造られたその愛するものを神様のように愛し、神様の代わりに食べてあげて、神様の代わりの人格になるとき、すべての栄養素は健康を支えるようになっているのです。病気になって死ぬようにはなっていません。そのようにするためには、神様の愛と生命と血統と一つにならなければなりません。神様の代身存在にならなければならないのです。

 

25 人間は、どれほど素晴らしいでしょうか!愛のオーケストラを演奏し、愛の脈拍を中心として宇宙を生かしていく動物と植物を食べて暮らします。愛の結実を食べて生きるというのです。花も結局、愛の結実です。葉も愛の結実です。このような愛の結実を食べて生きるので、どれほど幸福な「私」自身かというのです。

愛の結実を食べて暮らす人間は、病気がありません。真の愛の実を食べて生きる人間は病気にならないのです。食堂で食事をするとき、パンが一つ残っていたとしても、「これが、世界的に数多くの手を経てここまで来るのに、どれほど多くの旅行手段があり、どれほどたくさんの苦痛を克服して来ただろうか。すべての人の努力の実、愛の実として作ったものを持ってきて私に献上されたものなのだから、これを愛の主人である私が、相対のように思いながら食べなければならない」と言わなければなりません。そのようにするのが嫌な人は、病気がついてくるようになっているのであり、喜ぶ人は病気が退くようになるのです。愛で満ちた世界の実を取って食べる仙人が人間だというのです。

Luke Higuchi