天聖経: 第146話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第五篇 真の家庭

第四章 真の子女の教育と家庭天国

第五節 子女たちが行くべき道 5-14

第六節 真の家庭と家庭天国 1-2

5 皆さんの一生の問題において、今後、専門分野を決めるには、天と談判して深い自分の本心に尋ねてみてから決定しなければなりません。自分の素性は自分が知っているのです。「私」に何の素質があるのかがよく分かるのです。心が「私」をどこに導きたいと思うのか、ということを知らなければなりません。方向を定められない船は、誰も導いていくことができません。誰かが引っ張っていっても、途中で手を離せば、自分が訪ねるべき方向をもたなければならないのです。

 

6 祈って精誠を捧げることは良いことです。祈るとなぜ良いのでしょうか。精神が集中すれば、観察が早くなります。学校の先生が講義をすれば、試験に出る問題がすぐに分かります。試験に出すか、出さないか、先生の気持ちが分かるというのです。なぜかというと、それはアンテナを高く掲げているのと同じだからです。アンテナを一段高くして聞けば、小さな音も聞こえるのです。

それと同じなので、精誠を尽くす人は、必ず未来の世界が連結されるというのです。それで、啓示や預言は、精誠を尽くす人から出てくるのです。そして、試験勉強のために精誠を尽くして勉強し、精誠を尽くして点数を取ることが今後の発展のためであり、人類のためであり、神様のためであり、全体のためだといえば、その試験には、あらゆる善の霊たちが、その分野の専門的な善の霊たちが来るのです。間違いなく来るというのです。

 

7 終わりの日には純潔を強調します。真の家庭、真の愛を強調しなければなりません。これがなければ、世界を収拾できないというのです。これは自然なことです。純潔の血統をもつことができずに、ありとあらゆる人がたくさんいます。そのような血統を連結させ、曲折をひっくり返してきたこの血統を、誰が正すのかというのです。これを正せなければ、天の国に帰ることはできません。

 

8 「神様の愛が人間を代表してとどまることのできる所とはどこでしょうか」と言うとき、神様は何とおっしゃるでしょうか。神様が願う至聖所、人間世界に必要な定着基地はどこなのでしょうか。「神様も絶対的な愛の定着地、人間も絶対的な神様に対する愛の定着地を願うとすれば、何の器官を通して定着しなければならないか」と、尋ねなさいというのです。生殖器を中心として一つになるという結論が出てくるというのです。これは革命的な宣言です。世界平和、統一平和、理想世界の完成は、そこから展開されるのです。

 

9 愛する人のために生きなければなりません。愛する人は世の中をもらっても取り替えようとはしません。絶対的であの、唯一的であり、永遠で、不変なのです。その定着地が「私」にあります。「私」に定着してその相対を求め、その対象と一つになる、それ以上の願いはないというのです。そこに神様もいて、宇宙もそこが根になります。愛の根が生じるのです。

ですから、男性と女性の動機がどこかというときには、神様を知らなくても、動機は愛だというのです。それは生理的に否定できません。あらゆる万有の存在が主体と対象、雄と雌の概念で、カップルで動くという事実を誰も否定できません。それは何のために生じたのでしょうか。愛がそのようにしたというのです。

 

10 神様がすべてのものを投入して、心を尽くして精誠を込めてつくったのが、皆さんの最も重要な生殖器です。それは、悪いものではありません。堕落して神様の世界を破壊するものとして使われたので、悪いのです。そこから人間の幸福が連結されます。そこから人間の歴史が連結されます。それは、本来、神聖なものです。

聖書に至聖所という言葉があります。人間としての至聖所はどこでしょうか。体は聖殿であり、皆さんのそれが至聖所です。それを犯す入は、天罰を受けます。一族が引っ掛かります。この基盤を立てるために、先生がどれほど苦労したか分かりません。愛の十字架を背負わなければならないのです。引きずられて行きながら、涙の峠を越え、血まみれのむち打ちに遭う十字架の峠を越えて、その恨の洞窟を埋めるための苦労をどれほどしたのか知れません。女性は男性に、男性は女性に、近づくなというのです。そのような深刻な過程を通過しなければ、純潔な血統に戻っていくことはできないのです。

 

11 アダムとエバがエデンの園で非原理的な行動によって植えた愛が、世界の終末期、収穫期になって世界のどこにでも蔓延しています。女性の生殖器、男性の生殖器は、自分たちのものではありません。女性は男性のために生まれ、男性は女性のために生まれたのです。女性の生殖器の主人は女性ではありません。その主人は男性です。男性の生殖器の主人も女性です。自分勝手にする人は滅びます。神様は知恵のお方なので、その生殖器の主人を互いに取り替えておいたというのです。

 

12 祝福を受けた血統を、千代、万代、汚さずに保存することが。天命を受けた、召命を受けた者たちの責任です。そのようにしなければ、天国に入っていくことができません。先生が正しく教えてあげるのです。正しく、間違いなく教えてあげます。皆さん自身から天国を完成させなければなりません。真の愛を中心として、心と体を一つにしなければならないのです。

 

13 家庭を中心とした愛の体験を、家庭だけに限定されるように縮小することなく、それ以上に拡大しなければなりません。そのために自分の家庭が氏族のために犠牲になりなさい、というのです。また、国家のために犠牲になりなさい、というのです。さらに大きな愛のために犠牲になりなさい、というのです。そのように段階的に犠牲になり、さらに大きな愛の条件さえ立てておけば、どこでも愛の理想圏と連結されるのです。実際にはできませんでしたが、そのような愛を環境に成し遂げれば、合格者として天上世界のあの国に入ります。垣根の中で愛し、環境の一つの村で愛しましたが、その村を愛した人が、世界国家を愛し、天地を愛した人々と同じ恵沢の立場に同参できるのです。

 

14 統一教会の思想とは何でしょうか。個人は家庭のために犠牲にならなければならず、ために生きなければならず、愛しながら生きなければならないというものです。家庭は氏族のために、より大きなもののために生きなさいというみ旨があるので、カイン的な全体の代表、世界の代表のような心をもって、ために生きなければなりません。その一つの心をもつことによって、そこで祖父母がそのようになり、父母がそのようになり、夫婦がそのようになり、息子、娘がそのようになるときは、天上世界のいかなる忠臣の位置にも躊躇なく行くことができるという話です。そのように生きるところが地上天国なのです。

第六節 真の家庭と家庭天国

 

1 堕落がどこから始まりましたか。家庭で堕落したというのはどういうことでしょうか。家庭的に堕落が可能だということは、愛が原因であることは間違いありません。善悪を知る木の実を取って食べて堕落するでしょうか。善悪を知る木の実を取って食べて原罪が生じますか。善悪を知る木の実を取って食べたことが罪だと言いますが、善悪を知る木の実が何だからといって、千代、万代の子孫が罪人になるのでしょうか。これは血統的関係です。血統的に罪の根を植えておけば、遺伝の法則によって永遠に続くのです。そのようになるのは愛の問題だけです。誤った愛が堕落の原因なのです。

 

堕落と家庭復帰のための路程

2 アダムとエバが堕落することにより、神様は彼らに、人類の真実の先祖として、人類の父母として、御自身の息子、娘として接することができなくなりました。アダムとエバは、神様にとって唯一の息子、娘であるにもかかわらず、神様が息子、娘として接することができない立場に立ってしまったのです。神様はまた、アダムとエバが成長したあとには、夫婦として祝福し、慰労の対象にしようとしました。しかし、彼らは、息子、娘としての慰労の対象になれなかったのはもちろん、新郎新婦としても慰労の対象になれませんでした。

神様も願われていた希望が大きかったため、彼らに無限の価値を賦与して見つめていたのですが、彼らが堕落することにより、神様は、子女として慰労の心情を感じることができず、新郎新婦として、すなわち夫婦として慰労の心情を感じることができなかったというのです。神様は、アダムとエバが未来の希望の先祖として、全人類の前に一人の君王として、神様のみ前に忠孝の道理を立てる立場になることを願っていたのです。

Luke Higuchi