天聖経: 第117話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第五篇 真の家庭
第一章 神様のみ旨から見た真の家庭
第三節 家庭は真の愛の訓練場 1-14
第三節 家庭は真の愛の訓練場
1 神様の愛は、父母の愛、夫婦の愛、そして子女の愛、この三つの愛が一つになったところに現れます。これらが絶対的に一つになったところには、神様が絶対的に永遠に共にいらっしゃいます。変わらない父母の愛、変わらない夫婦の愛、そして変わらない子女の愛、この三つの愛が存在するところには、いつも神様がいらっしゃるのです。統一教会の四位基台の理論は、このような基盤から現れたのです。
家庭は真の愛の定着地
2 理想的な愛は、家庭で形成されます。しかし、神様は、真の息子、娘をもつことができませんでした。真の夫婦をもつことができず、父母になれませんでした。このようなことを成就しようとするのが、神様のみ旨です。そのみ旨が成就されるところであってこそ、愛がとどまることができます。このような愛が形成されるところには、人々が世の中のあらゆることを捨てて、訪ねてくるのです。最も重要なのは愛なのです。
3 皆さんは「神は愛である」(ヨハネI四・八)という言葉を知っているでしょう。その愛がどこに現れなければならないのでしょうか。すべての人々は自分に現れることを願います。しかし、その愛が一人に現れるとすれば、個人で終わってしまいます。男性なら男性、女性なら女性にだけ現れるとすれば、一世紀だけ過ぎれば、すべて刈り取られて終わってしまうのです。言い換えれば、一人がその愛を相続することができずに死んでしまえば、一代で終わる愛にしかならないというのです。
それでは、いかにして永遠の血統的な愛の基準を立てるのでしょうか。一人の男性と女性に現れた神様の愛でつくられた家庭において、血縁関係を結んだ子女にその愛を植えることができるとすれば、永遠の愛が人間に現れるのです。すなわち無形の神様の愛が実体として顕現する基点が現れるというのです。神様の愛を完成できる基盤は、結局、家庭だというのです。
4 アダムはエバのために、エバはアダムのために、そしてアダムとエバは家庭のために存在します。愛を中心としてそのようになっているのです。このような一つのモデル、訓練場をつくり、それを再現し、感じて体験した事実を横的に拡大させるのが、国家の形成であり、世界の形成であり、天国の形成なのです。
5 縦的な三代と横的な三代を中心として暮らさなければなりません。一家族で三代が連結されて暮らさなければならないというのです。縦的にも、横的にも、三代が連結されなければなりません。息子、娘の相対を探すときは、祖父母がいて、父母がいて、そして息子、娘がいる円満な家庭から相対を探さなければなりません。男性が妻を得るとしても、そのような家庭から得なければなりません。そのようにすることによって、夫も円満だというのです。そして、低いものも知り、高いものも知って、前後左右をすべて測れる円熟した夫と妻になります。円満な球形の心情圏を互いに訓練するのです。そのような愛の訓練、心情の訓練をするのです。
6 皆さんが内外で互いに愛し合うことのできる家庭にならなければなりません。家庭での愛は、国の愛を縮小させたものであり、世界の愛を縮小させたものです。ですから、家庭で皆さんが心情的な訓練を受け、皆さんによって本質的に生活化され、神様のみ旨を成就しようという切実な心情に同化されて、その心を氏族に適用するだけでなく国家的にも適用しなければならないのです。
7 まず、「私」が父母を誰よりも一層愛さなければならず、兄弟を誰よりも一層愛さなければなりません。家庭をもったなら、互いに最高に愛し合わなければなりません。そうして花の中の花であり、香りの中でも一番の香りとして、宇宙を代表した価値の結実がそこで結ばれることを慕わしく思いながら、お互いが一つに結集する、その関係が強固にされなければなりません。そうしてこそ、そこで完全な種が発芽するのです。生命の起源もそのような愛から、存在価値の起源もそのような内在的な愛を基盤としたところから始まります。人格的な価値は、相対を中心として決定されるというのです。
8 実というものは、一年十二ヶ月の間、風霜を経たすべての要素が圧縮されて実を結びます。それでは、愛はどのように結実しなければならないのでしょうか。それが分からなかったので、今日、世の中がよこしまな世の中になってしまいました。家庭の破綻が生じたというのです。
父母が中途半端に必要なのではありません。愛を中心として見てみるとき、絶対的に必要です。子女も中途半端に必要なのではありません。絶対的に必要です。妻と夫も中途半端に必要なのではなく、絶対的に必要です。兄弟も絶対的に必要です。その人々が互いの愛を鍛錬するところが家庭であり、その愛を実現する場が天国なのです。
9 統一教会では、神様が人間の家庭の中で、人と一緒に喜んで暮らすことを願われると言います。私たちが愛を授け受けするのを学ぶ所も、調和の喜びを創出し、育成し、体恤する所も正に家庭なのですが、これが信仰の核心です。家庭的な愛の養育なしには、幼児期と青年期を通して、いかなる人も配偶者や子女を愛する能力を啓発できないのです。
10 愛を宇宙に適応させるためには、家庭が絶対的に必要です。家庭で父母を愛することができてこそ父母のような年齢の人々を愛することができ、家庭で祖父母を愛してみてこそ、そのような年齢の人々を愛することができます。それから、小姑を愛してみてこそ、小姑のような人々を愛することができ、夫の弟と夫の兄を愛することができてこそ、夫の弟と夫の兄のような人々を愛することができます。それでこそ、全世界の人類を愛することができるというのです。
11 真の愛の理想的な訓練を、どこでするのでしょうか。真の愛の理想的な基礎訓練の道場とはどこかといえば、家庭です。自分の父はどこから来ましたか。天の国から、大きな世界から来たと考えなければなりません。天の国から来たと考えなければならないというのです。それから「世界から来た」、「国から来た。国のある氏族を通して来た。そのようにして、私の父として現れた」という観念をもちなさいというのです。母に対しても同じです。母はどこから来ましたか。「私の母は天の国の代表だ。私の母は世界の代表だ。私の母は国の代表だ。私の母は氏族の代表だ。それで私たちの家に派遣されてきた」と考えなさいというのです。
12 家庭は、人間が天国に入るための愛の修練所であり、教材です。そこには、祖父母、父母、夫婦、そして兄弟姉妹たちがいます。その祖父母、父母、夫と妻、そして息子、娘の関係が拡大したものが世界の人類です。人類を祖父や祖母のように愛し、父や母のように愛し、夫や妻のように愛し、息子、娘のように思いやることのできる家庭だけが、天国を相続することができます。神様が造られた天と地のすべての権勢を相続できる特権がそこにあります。
世の中でも、昔、官吏の家庭で、祖父母や父母などいくら大勢の家族がいても、その家でより苦労し、よりために生き、より家庭を愛した人が相続者になりました。同じ理屈です。それが愛の特権です。
無限で永遠であられる神様だとしても、神様と愛の関係を結ぶようになるときは、即時に同位権と同参権をもつようになります。それだけでなく、宇宙の相続権を受け継ぐことができるのです。
13 夫婦間で互いが横的な愛を求めなければ、神様の縦的な愛も探し出す道がありません。人間始祖が堕落しなかったとすれば、天国は家庭から始まったでしょう。家庭を拡大したものが世界の人類だからです。ですから、家庭は天国に入るようにする愛の修練所です。神様の愛を所有した人だけが、天地の権勢を相続できる特権を得るようになります。
生命が先か、愛が先かというとき、愛が先です。家庭でも父母の愛によって子女が生まれます。ですから、子女は、父母の愛に同参(一緒に参加する)した立場で、生命を受け継げる特権をもつようになります。愛の関係を結べば、対等な立場、同じ位置に立つことができるのです。
14 家庭に祖父母、父母、自分の夫婦、そして息子、娘がいます。これを拡大すれば、国になり、世界になります。これを縦横に結んで一カ所に集めたものが家庭です。それゆえに、三代が住んでいる家は、世界を縮小させたものです。
世界を見れば、祖父や祖母、父や母、夫や妻、そして息子、娘のような人々が暮らしています。ですから、このような家庭は、世界万民と和合できる一つの共同訓練所です。世界と心情的な絆を結び、超国家的、超人種的に和合し、和動できる相対と主体の権限をもつための訓練場です。愛を中心として訓練するのです。