天聖経: 第140話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第五篇 真の家庭
第四章 真の子女の教育と家庭天国
第一節 教育の真の意味と最高の教育 17-18
第二節 家庭は天国の教本 1-10
17 「愛天」とは何でしょうか。私たちは漠然とした天を追慕するのではありません。「愛国」といえば、それは漠然とせずに具体的です。国には主権があり、国土があり、国民がいます。「愛天」というときのその天は、漠然とした天ではありません。そこでも国になっているとすれば、その国にも主権があり、民がいて、土地があるのは同じです。天の国、地の国、このような話になります。
そうすると、天の国や地の国というものは、神様御自身がつくるものでもありません。国王がつくるものでもありません。民を通して形成されるのです。これは、天があり、地があるとすれば、その中に人がいることによって天の国が形成され、地の国が形成されるということです。その形成されるすべての内容は、愛によって連結されます。天にも愛が必要であり、国にも愛が必要であり、人間にも愛が必要だというのです。
18 「愛天」とは何ですか。いくら天が大きくても、それは外的です。愛が内的です。神様を動かし、神様に「来てください」と言うことのできる力をもったものが愛です。神様を動かすことのできる力は、知識ではありません。権力でもありません。お金でもありません。愛です。天を動かすことのできる力をもっていれば、天がついてくるのです。「愛人」と言うときの「人」は個人ではありません。人類を意味します。人類が愛に従わなければなりません。「愛国」の「国」は、ほかの人について行くのではなく、国を誰よりも愛する人について行くのです。
第二節 家庭は天国の教本
1 家庭は一つの教本です。家庭は、一つの理想郷、理想国家を形成できる一つの教本であり、その国は、理想世界を形成できる教本です。その教本には、家庭教本、国家教本、世界教本、宇宙教本の四つがあります。この教本は、家庭で教育しなければなりません。家庭で基本教育をしなければならないのです。
2 家庭とは、天国と関係を結ぶための教材です。教育の教材です。それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心として適用すれば神様の息子、娘、聖子になります。人間はみな、そのような欲望をもっているというのです。
家庭は愛の学校
3 家庭では、父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では、先生を中心としなければなりません。父母は、自分にお乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発達を助け、情緒的な面を助けてくれます。学校は、社会生活、未来の生活舞台を中心として訓練させる所です。家庭が情緒的な訓練場だとすれば、学校は社会での実験的な訓練場です。家庭は心情的な訓練場所だというのです。
ですから、学校において情をもって兄弟のように生活しなければならず、国においても情をもって兄弟のように生活しなければなりません。父母のそのような教育は、学校のための教育になり、社会のための教育になり、国のための教育になります。父母は、情緒的なあらゆるものを子女たち、後継者たちの前に伝授してあげなければなりません。父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きなければならず、社会ではこのように生きなければならず、国のためにはこのように生きなければならないということを中心として、情緒的土台を築いてあげなければならないのです。
4 悪が行く道は、教育が必要ありません。教育を受けなくても、誰でも行くことができるのです。悪から始まった歴史なので、教育を受けなくても誰でも行くことができます。悪の道を行くように教育する必要性がありますか。自らそのようになったので、今日、人倫道徳を中心として、良心の標準をわきまえていきなさいと教育するのです。何を中心とした教育でしょうか。善を中心として、良心を中心として教育したにもかかわらず、その教育の標準に立脚した人がどれほどいますか。悪は習わなくても、誰でもみなすることができます。誰でもみな、満点になるのです。
5 子女を愛するにおいて夜も寝ないそのような父母たちは、天の近くに行くのです。ですから、家庭を絶対基盤として立てておき、「この家庭は、天国の家庭を生産するための工場だ。生産基地だ」と考えなさいというのです。したがって皆さんは、息子、娘を生んでそのような幸福な家庭をつくることができるように教育しなければならず、そのようにすることができるように保護してあげなければなりません。
6 天国を築く一つのモデル的な地上の基盤が家庭です。今まで神様の恨は、人間を真の息子、娘になるように教育できる教本を作ることができなかったことです。なぜなら、人間が堕落したからです。神様が人間にすることができなかった真実の息子、娘の教育を、いつするのでしょうか。これが歴史を通した願いです。
その次には、人間が愛の世界を築けるように教育する教材を作れなかったことが恨です。兄弟の中には、女性の兄弟もいて、男性の兄弟もいます。それは二人だけではありません。十人にも、二十人にもなり得ます。その兄弟たちに、どのように生きるべきかを教える教本を作れませんでした。アダムとエバが息子、娘として生まれ、兄弟として育って兄弟の教本を作り、その次には夫婦の教本を作らなければならないのですが、それを作ることができませんでした。今、そのようなものがありません。それから、夫婦になれば父親と母親になりますが、その父母はどうあるべきかという伝統的な教材を作れなかったのです。
7 理想世界の体制は家庭単位です。家庭が天国の基盤であり、天国創建の礎石です。どれほど民がたくさんいても、家庭を拡大した愛をもって国家に対する人は、天国のどこに行こうと通過します。ですから、家庭において教本どおりに教育を受けた、そのような心をもたなければなりません。家庭には、祖父母、父母、夫婦、息子、娘がいます。四代です。これを拡大すれば、世界のどこに行こうと、祖父や祖母の年齢の人がいて、父や母の年齢の人がいて、自分たち夫婦の年齢の人がいて、自分の息子、娘の年齢の人がいます。
ですから、家庭において教本のとおりに愛の内容を体験した人は、世界のどこに行こうと何の問題もありません。教本どおりに生きることができるフォームをもっているので、合格者になります。このように生きる人は、今後、どこの家に行ったとしても食事を与えてあげなければならず、治めてあげなければなりません。そのような時が来ます。この教育さえできていればよいのです。したがって、家庭が絶対基本教本です。家庭で教育されたとおりに生きれば、どこに行こうと国境がなく、遮るものがありません。
8 家庭は、あの世に行って完全な合格者となるための一つの教育場所です。家庭の主人は誰でしょうか。家族全員を最も愛する人が主人です。この世の中の主人は誰かというと、天の国を大きな家庭として見れば、この地上に住んでいるすべての人々を愛する人が主人です。白人たちは、白人だけが一番だと考えますが、違います。そのようにはなっていません。東洋と西洋がありますが、西洋だけがあって東洋がなければ、西洋はないのと同じです。これは、相対的にみな一つになるようになっているのです。
9 地上にある家庭は、天の国に連れていく民を再創造する工場です。ですから、私たちは、その工場の主人の役割を果たしたのちに霊界に行くのです。正しい道さえしっかりつかんでおけば、息子、娘を教育する必要がありません。自然にそのようになるというのです。自分の神様をすべてもっています。教育は必要ありません。堕落したのでこのようになったのです。堕落して根本が分からなくなったのです。
10 家庭は、個人完成の基準となり、教会完成の基準になります。個人がいくらみ旨の前によくやったとしても、家庭ができていなければ駄目です。ですから、家庭が問題です。家庭を見れば、ここには一面だけがあるのではなく、両面があります。男性がいて女性がいます。その次には、男性と女性を中心として子女がいます。このように四方性が備えられています。
この四方性を中心として見るとき、家庭は人間の意志で形成されたものではありません。家庭こそ、み旨を中心として個人を完成することができる所であり、教会の出発点です。もし誤れば、教会内で収拾するのではなく、家庭自体内で収拾できる起源をもたなければなりません。そのような起源をもてない人は、教会でも収拾する道がありません。天国は個人を中心としてできるのではなく、家庭を中心として四方性と立体性を備えた土台からできるのです。