天聖経: 第139話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第五篇 真の家庭

第四章 真の子女の教育と家庭天国

 第一節 教育の真の意味と最高の教育 5-16

5 誰もが学びの道、あるいは教育の道に従いますが、その目的は何でしょうか。より善の世界に前進するためです。より価値のある内容を備えるためです。ですから、より高い次元の前進を誓うのは、より価値のある中心と一致するためなのです。間接的でも、そのような目的追求の道を行くというのです。

 

6 教育の中で、最高の教育とは何でしょうか。天国の版図となる起源地が家庭です。家庭で最大限の教育をするのが息子の道理です。神様から、その道理を教えてもらわなければなりません。神様は、父であると同時に、師であり、王です。王室内で教育をするとき、王室の王子、王女に対して教育するときは、「あなたは、この国で暮らす何百万であろうと、何億であろうと、その半分を占める男性、女性を代表した自分であることを知りなさい!」と教育するのです。しかし、王孫として代表的息子、娘の立場で教育を受けることができなかったのです。

その次には、「兄弟としてあなたたち二人が一つになることは、世の中に平和をもたらすことであり、男性と女性の国民全体は兄第のような立場なので、あなたは長兄の立場で、国民を弟や妹のように愛さなければならない!」という教育を受けられませんでした。

ですから、小さな家庭ですが、大きくは国の版図を代表した家庭であり、世界を代表した版図であり、天地を代表した版図だというのです。その標本となるモデルの原則を教育しなければならないので、家庭からこのような世界の版図に合う内容を息子、娘に教育しなければなりません。兄弟同士で愛し合うのは、人類を愛することです。より大きなもののために生きるようになれば、より価値の小さなものは、大きな価値に吸収されるのが天理の道理なのです。

 

7 本を持って壇上で教えることだけが教育ではなく、一つの言葉、一つの行動がすべて教育です。女性たちの服装についてもそうです。服装を見れば、その人がどのような人かが分かります。体は心の反映なので、服装はその人の人格を反映するのです。そのような問題において、私たちの日常生活のすべてが教育の生活圏を形成することによって、その生活圏自体がすべての人に刺激的な影響を与えるのです。教育強化の実効性を私たちの生活を通して連結させていけば、そこから社会が発展していくというのです。世界の新しい希望がその場から広がるのです。

 

8 学校は、幼児の時代から成長する期間、成人になって社会に進出するときまで教育するのです。大学は、学士、修士、博士コース、社会に進出する時まで教育するのであり、その次に社会に出た人々を教育するのは言論機関です。しかし、これらが破綻させています。言論機関が世の中で、自分たちを中心としてお金をもうけるために、ありとあらゆることをするのです。先生は、世界に社会的な道義の影響を与えるために立ち上がったという自負心をもっています。

 

9 学校に行って勉強するにしても、自分のために勉強するのではなく、神様が造られたあらゆる自然の妙味を自分が深く知るために、神様の心情世界を把握するために勉強しようというのです。神様を知ることによって、より深く愛し、より高く愛するようになります。先生が自分に厳しい教育をしても、「それは自分をして天の愛と自然の愛を吸収させ、自分を中心人物にするためにそうするのだ」、と考えなさいというのです。愛の主人にするためだというのです。自分が社会に出て働くことも、その激しい風が吹いてこのようにしても、愛を広げるため、愛の真価を現すためだと考えなさいというのです。

 

10 実力は、短い時間で備わるものではありません。あらゆることを経験することによって、実際に苦しんでみることによって、実力を錬磨することができるのです。皆さんが学校に行って勉強する目的は、人々が実践したあらゆる経験をそのまま受け継ぐためです。学ぶことによって、それをそのまま受け継ぐためのものが学校教育です。ですから、その学んだあらゆる人々の良い実績を受け継いで、自分のものにするためには、それらをすべて実践してみなければなりません。結局、知って実践することによって、それが自分のものになるのです。

 

11 正しい指導者は、「死ぬときには、愛のために死になさい」と言います。教育の中で最高の教育とは何でしょうか。「死ぬなら愛のために死になさい」、これが最も偉大な教育です。それは、ハーバード大学に行って十の学位を取ることよりも、もっと偉大な教育です。統一教会は、「最高の愛のために死のう。神様と人類と世界のために死のう」と言うのです。

「このような作用も愛のために始まり、このような方向も愛のために始まり、このような目的も愛のために始まった。男性と女性も愛のために始まり、父と母も愛のために始まり、息子、娘も愛のために始まり、宇宙のあらゆるものも、愛の贈り物のために始まった」ということを教える以上の教育はありません。このように生きてから逝った人は、間違いなく神様のみ前に行くのに恥ずかしく思わないでしょう。

 

 

真の愛の実践原理と教育目標

12 先生が食口たちを生んで育てたのと同じように、皆さんも昼夜原理を勉強して、自分の息子、娘を育てなければなりません。自分の息子、娘をよく教えるために、サタン世界に出掛けて訓練をし、勉強もしなければなりません。それだけでなく、主人にしようとするので、父母の心情と師の心情と天の心情を知り、所有権を相続しなければなりません。教会に入ってきて、生まれ変わり、教育を受けて完成します。成長すればすべてのことが分かるようになり、「私も主人の立場に立ちたい」と言うようになります。すべてを相続するのです。

 

13 神様は、アダムとエバを通して愛そうとされました。しかし、そのアダムとエバの完成的基準において、理想的な愛の相対圏を備えることができず、悲惨になりました。それゆえに、神様は、真の父母の位置に立つことができなかったのです。人類の始祖は、真の息子、娘を生み育て、そして立ててあげなければなりません。生むのは父母であり、育てるのは師であり、立ててあげるのは主人です。これは、どこで語る言葉かというと、世界で語る言葉ではなく、一つの家庭で語る言葉です。父と母は、父母であると同時に、育ててあげる師であり、主人なのです。

 

 

14 堕落によって神様がアダムとエバを教育できなかったその恨を解いてさしあげるために、三大主体思想を相続して教育しなければなりません。三大主体思想こそ、真の愛の実践原理であり、生活哲学です。同時に、三大主体思想の教育とその実践を通して、長子権、父母権、王権を復帰することができるのです。

そして、アダムとエバが教育を受けることができずに、神様のみ旨である理想家庭を完成できなかったので、真の愛で再び子女教育、兄弟教育、夫婦教育、父母教育を実践し、全体統一の基本である家庭を形成しなければなりません。そのようになるとき、理想的な国家と世界が形成されます。アダムとエバを正しく教えていたならば、アダム文化圏の統一世界が自動的にできていたのです。

 

15 先生という存在は父母の延長です。国の主人である国王は師の延長であり、父母の延長です。国王は、父母の代身にもなり、師の代身にもなり、また国の主人にもなります。これが統一教会で言う三大主体思想です。三大主体思想は、取り除こうとしても取り除くことができないものです。家庭で教育を受け、学校で教育を受け、国で教育を受けなければなりません。

今、世界的に見るときに、国においてそのような教育をする制度がありません。国が進めることのできる教育的な体制、このようなものすべてが、みなそれぞれに分かれています。父母は父母の思うままに、師は師の思うままに、あるいは国は国の思うままに、自分勝手に分かれているのです。

 

16 最高の真理とは何でしょうか。第一に、天をよく知り、その中心であられる神様を明確に知ることです。第二に、世界の中心である人間を明確に知ることです。第三に、神様と人間が一つになって成し遂げようとする理想の国をよく知ることだというのです。このような重要な大目標と関係を結ばせるものは、唯一、愛だけがその要だと結論づけざるを得ません。ですから、教育目標を「愛天愛人愛国」に定め、真の教育とは、この目標を実践するところにあると教えてきたのです。

 

Luke Higuchi