天聖経: 第135話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第五篇 真の家庭

第三章 家庭の法度と秩序

第二節 理想的な夫婦と父子関係 1-9

1 新郎新婦が結婚して、初夜の部屋を設けて入っていくとき、どのようにして愛し合うのか、父母が呼んで教えてあげる必要はありません。昆虫も教えてあげなくても上手にしています。まして万物の霊長なのに、何を教えるのでしょうか。神秘的なベールに覆われているものを、主人になって開かなければなりません。

しかし、そのような道理の原本、教育の原本が出てこなかったので、統一教会で教えるのです。ですから、夫婦になるためには、子女の愛と兄弟の愛をみな備えて、万人を愛する男性の代表と女性の代表が出会わなければなりません。宇宙的な男性と女性、左弦と右弦の代表になって一つに束ねられるのです。縦的な神様の愛と対等な価値として束ねられるのです。

 

理想的な夫婦の愛

2 真の愛は直短距離を行きます。縦的な愛は九〇度の一点しかありません。九一度も八九度も直短ではありません。唯一、最短距離は九〇度しかありません。垂直は九〇度を通らなければならないのです。男女の真の愛も垂直に行かなければなりません。最短距離を通るためには、九〇度以外にはありません。兄弟の愛も九〇度です。これを切り取って、どこにもっていって合わせても、みな合致するのです。ここには損失がありません。

「天地」が「地天」になっても、「父母」が「母父」になっても、「兄弟」が「弟兄」になってもかまいません。反対になっても大丈夫であり、混ぜ合わせてもみな合うというのです。そこから理想郷が広がります。ですから、祖父母の愛は「私」のための愛であり、「私」が兄弟を愛するのは、その祖父母の愛を証するためです。また、「私」は、父母の愛を実証する人です。夫婦になって父母を迎え、息子、娘と一緒に暮らしたい、そこが家庭です。そのような家庭をもてない人は、天国の家庭をもつことはできないのです。

 

3 統一教会の家庭は、家庭天国を完成しなければなりません。家庭天国を完成すれば、間違いなく地上天国が形成されます。未来の天国に対する実感を現在の立場で刺激させようとするので、不可避的に相対が必要なのですが、それは、家庭で相対によってその刺激を受けることによって、未来の天国理念をきょうの生活感情で体得できるからです。それを体得するために夫婦が必要なのです。その刺激によって夫婦が永生することができます。

発展は刺激がなければできません。夫婦の愛は、理想天国を建設できる刺激を与えるのです。言い換えれば、未来の喜びを現在圏内に引っ張ってきて、刺激を与えて推進力を補給させ、その場まで行かせるのが夫婦の愛です。その愛の中には国の愛も入っていて、世界の愛も入っていて、神様の愛も入っています。したがって、その愛はどこでも無事通過なのです。

 

4 女性は一人の男性を愛しますが、世界の男性を代表した男性として愛さなければなりません。その男性は、父を代表し、兄を代表し、弟を代表したものです。夫を父のように考え、祖父のように考え、兄のように考え、弟のように考えなければなりません。このような関係を通して、父を愛し、祖父を愛し、兄を愛し、弟を愛することのできる女性であってこそ、相対を得ることができます。

全世界の男性をすべて愛することができる心をもち、その結実のような男性を自分が抱き、愛するのは、世界の男性を代表して愛するのだ、という観をもたなければなりません。それが人類愛です。「私」の父のように、「私」の兄や弟のように、万国を超越して、心をもつようになれば、国境を超越して愛することができるその人は神様の娘だと言うことができるのです。

 

5 真の夫とは、どのような夫でしょうか。「私が生まれたのはあなたのために生まれたので、あなたのために生き、死ぬのもあなたのために死ぬだろう」と言う人です。真の妻も同じです。「私が生まれたのもあなたのために、私が生きるのもあなたのために、また私が死ぬのもあなたのために!」と互いに通じ合いながら、自らを越えて相手のために生きる原則をもった家庭ならば、この家庭は理想的な家庭であり、愛の家庭であり、幸福の家庭であり、平和の家庭に間違いありません。

 

6 男性がいくら優れているといっても、男性が生まれるようになった動機は、男性自身にあるのではありません。女性のために生まれたというのです。その反対に、女性が女優のように美人だと自慢してみても、女性のために生まれたのではありません。ですから、真の愛、真の理想、真の幸福の妻と夫はどこにいるのでしょうか。妻のために生まれ、妻のために生き、妻のために死のうとし、妻もやはりそのようにするとき、理想的な夫婦が現れるのです。この原則に立って考えてみるとき、理想的な人、幸せな人、愛の人、善の人は、どこで探し出すことができるのでしょうか。自分のために生きる人からは探し出すことはできず、人のために生きようとする人から探し出すことができるのです。

 

7 アダムとエバが立てることのできなかった基準を立てなければならない祝福家庭なので、神様の愛を中心として連結されなければなりません。ところが、皆さんは神様の心情を中心として、互いにどれほど絶対視しましたか。互いに絶対視して絶対的な愛で愛さなければなりません。このような愛を中心として一つになって、和動の中心体にならなければなりません。夫婦同士は、前方の山を跳めながらも、あの山が生まれたのは誰のためかを尋ね、全宇宙を考えながらも、この宇宙が生まれたのは誰のためかを尋ねます。すると、「私」のためであると同時に、あなたのために生まれたものだと答えるのです。夫婦とは正にそのようなものです。

この宇宙が生まれた目的を成就させ、主体的な目的を重要視することが、夫婦が一つになる道です。夫婦は心を中心として、人格を中心として、愛を中心として会話するのです。夫婦は同じ道に行くのです。田舎育ちの娘でも、大臣と結婚すれば同じ道に行きます。その田舎育ちの女性が小学校も卒業していないとしても、すべての人が「大臣の奥様だ」と言いながら頭を下げなければなりません。このように夫婦は一緒に行くのです。夫婦であるのに、あなたの愛が別にあり、「私」の愛が別にありますか。あなたの愛であり、「私」の愛です。君の愛であり、「私」の愛なのです。

 

8 夫婦が互いに愛し合うときに、いつまで愛するのかと尋ねるとき、若かった時まで愛すると言えば気分が良いでしょうか。死ぬ時まで愛するように願うのです。その次には、永遠に愛することを願うというのです。永遠は未来を中心として全体を身代わりするのです。死ぬ時まで愛するということは、自らのすべてのものを与えて愛するということです。「永遠に」は、全体的であり、「死ぬ時」までは、すべてを愛するということです。それでこそ喜ぶのです。娘たちが嫁入りすれば、間違いなく夫に「あなたは私を愛しますか」と尋ねてみるでしょう。愛すると言えば「私のすべてを愛しますか、一部を愛しますか」と尋ねたとき、すべてを愛すると答えてこそ、気分を良くするというのです。男性もそうです。神様の調和がそうなっているというのです。

 

9 互いがみ旨を忘却して自分たちだけで愛し合いながら生きたとすれば、天の前に恥ずかしさを感じなければなりません。これが祝福家庭の夫婦生活です。み旨を前におき、自分たち同士で闘係を結び、自分たちだけの幸福を求めて家庭をやりくりしていく立場に立てば、発展できないのです。絶対に発展できないというのです。したがって、家庭に良いことがあれば、それは国と、世界と、天と関係を結ばなければなりません。その家庭の喜びは、国の誇りであり、世界の誇りであり、天の誇りでなければなりません。

Luke Higuchi