天聖経: 第86話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、
もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第四篇 真の人間
第一章 神様が創造された真の人間
第一節 真の人間は神様の実体 01-14
1 万物は実体的な姿形をもっていますが、神様は無形の存在です。神様はいかなる形ももっていません。大きいと言えば無限大であり、小さいと言えば無限に小さい方です。そのような神様が、ある標準的な形を形成して表示し、形体を表したとしても、実体をもった万物は、その神様から直接主管を受けることはできません。ですから、実体をもった被造世界には、実体をもった主人の人格と形を備えた存在がいなければならないのです。神様はこの地上の万物だけでなく、無限の霊界も主管されなければなりません。様々な形体をもった実体、そして、天使長や無形の実体までも主管するには、その中心的な形状が必要です。それで神様は、アダムとエバを創造されたのです。
人間を創造された理由
2 神様は、なぜ人間を創造したのでしょうか。神様が人間を創造したのは、愛のためです。神様は、何か芸術作品を作ろうとしたのではありません。愛のゆえに創造を始めたのです。そのため、「私」という一人の存在よりも愛が先立つのです。愛のモデルを標準として造ったのです。神様は本来、愛のモデルを置き、その理想的なモデルを中心として男性を造り、女性を造って、この被造世界を造ったというのです。
3 絶対的な神様が、なぜ人間を造ったのでしょうか。お金のために造ったのではありません。知識のために造ったのではありません。権力のために造ったのではありません。愛のためです。神様が愛を感じることのできるたった一つの道は、人間という相対を通じる道です。そのような観点から、神様は父であり、人間は息子、娘だという言葉が出てくるのです。これが一つの軸です。もしこの軸が連結されたならば、人間と神様は愛によって一体になるのです。このように一体となった関係は、いかなるものが作用して引き離そうとしても、引き離すことができません。阻止することができないのです。
4 神様が人間を創造された目的は何でしょうか。全知全能であられ、あらゆる所にいらっしゃる神様も、独りでいるのを願われなかったため、まず天宙を人間のための環境として創造され、その土台の上に御自身の絶対愛の対象として人間を創造されたのです。神様は、対象である人間が御自身よりもっと素晴らしく、大きな存在になることを願われたので、人間を御自身の子女として造られたのです。
世の中でも、父母は子女が自分よりもっと優れ、素晴らしくなることを願うのではないですか。それはすべて、神様が祝福としてくださった父母の伝統的愛なのです。子女として造った人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受けて、真の愛、真の生命、真の血統の実となる真の子女を繁殖し、真の家庭から永遠の真の理想天国を形成して暮らすのを見て、喜びを感じたいと思われたのです。それが神様の創造目的です。
5 神様が天地万物を創造し始めたというのは、対象の世界を展開するためです。結局のところ、別の自分の相対存在を造ろうということです。それで、神様御自身を投入したのです。見えない神様から見える神様に展開させようというのです。創造の役事(働き)をするということは力の投入を意味します。創造とは力を投入することです。投入したというのですが、どれほど投入したのでしょうか。真の生命を完全に投入し、真の愛を完全に投入し、真の理想を完全に投入したのです。
創造する前と創造したあとでは違います。創造する前は自分のことを考えましたが、創造を始めてからは、対象のために生きる時代に転換されるのです。「私」がいるのは自分のためではなく、相対のためです。愛と理想という言葉は、対象を前提として語る言葉なので、理想的な存在の起源は、自分のために生きるところからではなく、相対のために生きるところから出発するのです。
6 神様は、どうして人間を創造したのでしょうか。息子、娘の生命を見るために創造したのではありません。その息子、娘と共に愛するために創造したのです。いくら考えてみても、そのように言わざるを得ません。人間を創造した目的は愛のためです。神様の愛を中心として、その基盤から生命が創造されたのであって、生命をつくって愛を誘発させたのではありません。
言い換えれば、神様の心に愛が芽生え始めて生命が始まったのであり、その生命が愛から始まったがゆえに、結果も愛によらなければならないのです。始まりが愛だったので、終わりも愛でなければなりません。そのため、愛を抜いてしまえば人間は不幸なのです。ですから、愛は自分に対して語る言葉ではなく、相対的な関係において成立する言葉です。愛は、必ず主体と対象の関係において始まるのです。
7 神様の創造の最後の目的は、体をまとうことです。実体世界を主管するためには、無形の神様ではできないので、万民の父として、母として、体をまとって現れなければなりません。感覚器官をもって刺激を感じられる主体と対象として立つためには、体をまとわなければならないのです。
8 神様は、なぜアダムとエバを必要としたのでしょうか。二つの目的があります。一つは、愛の理想を成就することです。二つ目は、無形の神様が形状をもって現れるためです。そのため、無形の神様が有形の形状をまとって、有形世界と関係を結ぶことのできるその基礎、その核心がアダムとエバなのです。
ですから、アダムとエバが完成して霊界に行けば、アダムとエバは神様の体と同じであり、神様はアダムとエバの心と同じ位置にいて、見えないのです。霊的世界で完成した一人の人を、実体世界の体と心のような一つの結実として造ろうというのが、神様がアダムとエバを創造された目的です。
9 神様と人間が愛を中心として完全に一つになることによって、アダムの体と神様の体が一つになり、アダムの心と神様の心が一つになります。それで、アダムの形状とエバの形状をすべて感じるのです。ここから正分合論理が出てきます。正から分かれて、合わさるのです。
それでは、分かれた目的はどこにあるのでしょうか。一つは、神様御自身が体をもった愛の対象体を通して、愛を完成できる立場になります。縦的な上下関係ではなく、平面的な立場に立つのです。心は縦的であり、体は横的であるのと同じように、神様御自身にも心と体があるのですが、体の分野はアダムの体と一つになり、心の分野はアダムの心と一つになります。そのような実体、体と心が一つになった女性であれば女性、男性であれば男性を探さなければなりません。
見えない神様には性相と形状がありますが、心的な基準の神様なのです。それで、体の分野において一つになるためにアダムとエバを造ったというのです。
10 神様は、なぜアダムとエバを造ったのでしょうか。無形の神としては、この実体世界を主管することができません。見えない神様としては、この見える世界、創造物、宇宙を治めることができません。そのため、神様は愛を中心として体をまとわなければなりません。ですから、創造をしたのです。愛を中心として体をもてば、内外の刺激が起こります。刺激が起こるというのです。内的基準において心だけがあり、そこに相対がなければ、刺激が起こらないのです。
11 無形の神としていらっしゃる神様では、この宇宙を相手に刺激を感じることができないのです。どんなに刺激しても、心だけでは、無形だけでは、感動がありません。同じものなので、刺激が来ないというのです。互いに相反するもの同士が合わされば、例えば、熱湯と冷水が合わされば爆発します。そのような刺激が必要だというのです。そのように相対的な距離を置き、刺激的で衝動的なものを必要とするので、神様はプラスとして、マイナス的な相対を造ったのです。
12 創造原理の結論は、神様がなぜ創造したのかということです。二性性相自体の分立相をつくったのです。ですから、神様が完全な神様であれば、アダムとエバは半分の神様です。アダムも半分の神様、エバも半分の神様です。神様を分けたので半分の神様です。神様の半分の実体をもつ目的とは何でしょうか。家庭を築き、国と天国をつくることは、一人ではできません。半分のアダムとエバが、愛を通して一つにならなければなりません。
人間は神様の聖殿
13 もし人間の先祖アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダムとエバは神様と一つの体になり、神様と同じ立場に立って、神様の創造の偉業を受け継ぎ、神様が創造のあとに喜ばれたのと同じ位置に立ったでしょう。神様と人間の間で、そのような関係を結ぶようになるのです。
そして、堕落していない本然の人間は、神様の聖殿になります。アダムとエバが堕落していない先祖になったとすれば、その心の中には神様が共にいらっしゃるのです。結局、神様が心の中に入ってきているので、神様が中心になり、アダムとエバは神様の外的な体と同じだというのです。
イエス様も、「私は父の中におり、父は私の中にいる」と言いました。一つの体だというのです。それと同じです。イエス様は堕落していない方です。アダムとエバが成熟して聖婚式をしたならば、彼らは神様を中心として、直接的な愛の圏内で一つになるのです。ここにおける中心は神様です。そのようになったとすれば、人間は実体をもった神様の体になるのです。
14 アダムは、実体をもった神様の体です。コリント人への第一の手紙第三章十六節に、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」とありますが、神殿とは何ですか。神様がいらっしゃる所です。私たちの心に本然の愛が芽生えるその場所を、至聖所とするのです。
ですから、アダムの心に神様が宇宙的な愛の聖殿を造って愛の力を伸ばし、愛の花を咲かせようとするのです。これが、神様がアダムとエバを造り、家庭と世界に繁殖しなさいと祝福してくださった目的です。