天聖経: 第85話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、
もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第三篇 真の愛
第三章 真の愛の実践
第三節 真の父母の真の愛 28-36
28 監獄で先生は、先生に従う多くの人々に会いました。彼らは、先生に従いなさいという啓示を天から受けて、そのようにしたのです。しかし、先に先生に従った人々は、「神様が愛する人が、どうして監獄に入っていくのか」と疑いを抱くようになり、それ以上先生を信じることができず、散り散りばらばらになりました。イエス様も十字架に架けられた時、十二弟子を失いました。
それで、先生は、監獄で彼ら十二弟子を復帰しなければならなかったのです。監獄にも囚人に変装したたくさんの共産党のスパイがいました。それで、先生は、監獄で一言も話すことができませんでした。しかし、霊界が人々に証をして先生についてきたのです。先生のおなかがすいたとき、先生が知らない多くの人々が、先生におにぎりを持ってきましたが、彼らの先祖たちが夢に現れて「先生に持っていきなさい」と話したからです。
29 神様が先生をどれほど訓練されたか分かりません。先生には、神様が愛の神様ではありませんでした。考えるだけでも残酷です。世の中の商売人のような心をもったなら、もう既に逃げ出していたでしょう。み旨のことは考えもせず、神様がまた来るかもしれないと思って、はるか遠くに逃げていたでしょう。
神様は、先生が監獄に入っていって苦労する時、最も多く愛してくださったのです。そのような場に行ってみると、「ああ、神様は、私を愛していらっしゃるのだなあ!」と知ることができます。ですから、監獄に入ったとしても、それが嫌ではありませんでした。ですから、統一教会の教会員は苦労しなければなりません。監獄や拘置所に入っていってでも苦労しなさいというのです。神様に出会うことができる場所とはどこでしょうか。最も深刻でつらい場所で神様に出会うことができるのです。
国と世界のための不断の投入
30 この民族のためにどれほど涙を流したかといえば、先生は、どの愛国者よりも多くの涙を流しました。先生が日本留学に出発した一九四一年四月一日の早朝二時に、釜山の埠頭で韓国を見つめながら祈ったことが忘れられません。そして、「今、私は祖国を離れるが、祖国であるお前をより一層愛し、お前のためにより多くの涙を流そう」と約束したのです。
目本に行っても、おなかをすかせた友人に会うと、先生は、自分が空腹になっても彼に食べるものをあげ、おなかをすかせた苦学生に会えば、抱き締めて痛哭しました。彼らに食べるものがない時は、彼らに食べるものを準備してあげるために学生服を脱いで埠頭で働き、石炭を運搬したりもしました。先生がそのような若い同志を愛するために闘ってきたことを知らなければなりません。先生に会った人々は、誰よりも私を親しい友人と考えました。
31 先生は、今まで誰を愛したのでしょうか。妻子と父母は愛しませんでした。世界を愛し、国を愛しました。世界を愛し国を愛そうとすれば、民族と氏族を愛さなければなりません。天が愛したかった国をこの地上で愛さなければならず、天が愛したかった氏族をこの地上で愛さなければならず、天が愛したかった家庭をこの地上で愛さなければなりませんでした。先生は、世界万民のために愛の涙をたくさん流しました。それは、天が公認するでしょう。この国のためにも、愛の涙をたくさん流しました。先生は、民族を誰よりも愛し、氏族を誰よりも愛しました。
32 新しい思想を抱いたこの男は、かわいそうな韓国の地に生まれました。かわいそうな韓国で生まれ、ひどく苦労し、ひどく冷遇され、ひどく追われて今まで来ました。皆さんは、そのままのんびり座って「自分は運勢が良くてここに来ている」と考えてはいけません。しっかりと目を覚ましていなければなりません。
皆さんがいい場所で幸福の鼻歌を歌って生活する時、先生は、ある農家の軒下で雨を避けながら、み旨のために涙を流しました。肌寒い日にも冷たい風とみぞれに当たり、乞食のような身の上となり、道をさまよいもしました。それでも、民族と世界のために闘いました。ですから、皆さんは、電車やバスに乗るとき、そこに薄汚れた服を着た青少年がいれば、彼を冷遇しないでください。師がそのような道を歩んできたのです。
33 先生は、卑賤な家門から生まれた人ではありません。苦労の道を行くように生まれた男ではありません。しかし、苦労しなければ復帰の道を開くことができないので、そのような道を行かざるを得なかったのです。先生には、民族全体を愛したいという切実な心があり、世界人類を愛したいという切実な心がありました。神様を痛哭させて民族を愛することができる縁を結びたいと思い、世界を愛することができる縁を結びたいと思ったのです。このような縁を、この三千里半島(韓半島)の荒廃した地で結んでおいたので、これから世界が「統一思想」を中心として、韓国の地を祖国として歓迎できる日が来るでしょう。
34 先生は、故郷も捨て、国も捨て、韓国教会もすべて捨て、迫害を受けて悪口を言われながら、追われる歩みを今までしてきました。私たちは、追われ追われて発展するのです。私たちは、絶望的な人々ではなく希望的な人々です。何をもってしても切ることのできない絶対的な愛で一つになった人々なので、私たちを占領する人はいません。愛だけがすべての勝利をもたらすことができるのです。愛がある所に永遠の勝利と永遠の天国が成し遂げられます。愛の前では、すべてのものが解放されます。先生は、そこに向かっていこうとするのです。
35 先生は、神様を愛し、世界を愛し、人類を愛しました。解放直後に、先生を囚人として銃殺しようとした怨讐までも愛しました。彼の子女が飢えている時、背広から下着まですべて売って彼にあげたあと、何もないなかで二週間生活したこともあります。そのときは、着るものがなくて外に出ることができませんでした。それは、ある手段としてそのようにしたのではなく、心からの思いでそのようにしたのです。先生の息子、娘のために、涙の祈りをしたことはありません。涙を流しても皆さんのために流しました。もし、先生が皆さんのために涙を流して生きてきた基盤がなかったならば、神様は役事されなかったでしょう。
36 先生が願うことは、先生を愛する前に神様を愛することです。先生が母親なら母親に、子女なら子女に教訓を与えるものが何かといえば、神様を愛する前に先生を愛してはいけないということです。ですから、神様を愛するために、先生が千里、万里の巡礼の道に出掛けたとしても、寂しく思ってはいけないというのです。皆さんは、先生を愛する前に神様を愛さなければならず、世界人類を愛さなければなりません。世界のどこに行っても、公義の法度の前でも耐え得る権威と、その内容を実践できる資格を備えられなければ、約束できないのが天倫の道理であり、人倫道徳の道理です。