天聖経: 第111話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第四篇 真の人間

第四章 真の人間が行くべき生涯路程 14-15

第三節 男女の真の愛と真の結婚 20-31

20 責任分担が重要であることを知らなければなりません。責任分担について神様がアダムに、先生のように説明してあげていれば、アダムは堕落しなかったでしょう。「責任分担!取って食べるなと言った。責任分担、責任分担!」と言いながら、夜でも昼でもいつでも責任分担を叫んだならば、堕落しなかったでしょう。

女性たちは、体格の良い夫を得なければならないと考えます。男性は体格が良くて背も高くなければならない、気前がよくなかったり背が低かったりしてはいけない、と考えるのです。それで先生は、そのような女性には一番背が低い夫を与えなければ、と思うのです。それが蕩減復帰です。そして、背が低い人は、背の高い女性を一度もらってこそ恨が解けるのです。痩せた人は、太った男性をもらってこそ恨が解けるのです。

 

21 春夏秋冬のように季節が異なるのと同じように、人間もみな異なります。生まれるとき夏の季節に生まれた人がいて、秋の季節に生まれた人がいて、冬の季節に生まれた人がいて、春の季節に生まれた人がいます。春の季節に生まれた人は夏を通らなければならず、冬の季節に生まれた人は春の季節についていかなければなりません。行く方向が違うのです。地球が回るので方向が変わるというのです。一つは上がっていく運勢で行かなければならず、一つは下りていく運勢で行かなければなりません。

ところが、下りていく運勢で行く人が下りていく人に会えば、二人とも粉々になるのです。事故が起きて二人とも死ぬなどということが起きます。ですから、下りていく運勢であれば、力を入れずに上がっていける運勢に乗ってこそ生き残るのです。それで、そのような男性は、できるだけ押し上げていける女性をもらわなければならないのです。

 

22 皆さんがもって生まれた天性は、どんな季節に一致しているのでしょうか。下りていく季節か、上がっていく季節か、それとも横切る季節か、相対型か、反対型か、すべて違うというのです。それを、最初は合わせていくのです。合わせるのも、何ヶ月ではできません。三年間は合わせなければなりません。そのような運命の道を開拓すべき道が残っているというのです。

皆さんが結婚したからといって、すべて解決するのではありません。結婚が本当に問題です。結婚をうまくしなければなりません。道端で会って、良く見えるからといって結婚すれば、長く続きません。若い男性と女性の目には、すべて夏なので青く見えるのです。青々とした木に美しい実があり、からすとかささぎが飛び回っているので良く見えるのです。しかし、その実が何の実か分かりますか。松の木は、松の木同士で接ぎ木しなければなりません。それぞれ科が分かれていて、科の境界線があるのです。

 

23 完全なプラスがあれば、完全なマイナスは現れるようになっています。完全なマイナスが現れなくても、完全なプラスがなくなるということはありません。そのようになれば、完全なプラスの立場にいる神様自体も、マイナスがなくなるときにはいなくならなければならないという結論が出ます。そのため完全なプラスは、完全なマイナスを創造するのです。

このような点から見るとき、神様がアダムのあばら骨を抜いてエバを造ったというのは、アダムを手本として造ったということです。完全なプラスがあれば完全なマイナスは自然に生じるので、アダムが完全なプラスであれば、完全なマイナスであるエバは、アダムを通して生まれたということになります。これが天地の道理です。このように分かってみれば、神様は真の科学者です。

 

24 神様が完全な男性を造ったのは、その完全な男性のためではありません。完全なプラスは完全なプラスのためにつくったのではなく、完全なマイナスのためにつくったのです。完全なマイナスである女性のために造ったのです。

根源的な神様が絶対的な主体者であれば、神様は絶対的な対象をつくらなければなりません。言い換えれば、神様が完全なプラスである絶対的主体者であれば、完全なマイナスの対象を創造しなければならないのです。ですから、完全なプラスはなくなるのではなく、完全なマイナスをつくり出すのです。完全な人格者は、じっとしていても、その環境のすべての良心的な存在がその周辺に集まり、その人に似ようとするのです。それと同じことです。

その主体者の前に対象圏を確保するために、すべての存在物、すべての元素世界、すべての物質世界は動くのです。より価値があり、より次元の高い段階に上がるためです。すべての元素は、一段階上がって、高い段階の、より円満で、より理想的な自分を追求するのです。

 

25 「私」が完全な主体になるか、完全な相対になるかということが決定されてこそ、完全な理想相対が出てくるのです。ですから、先決問題は、どのように自分自身が完成するかということです。皆さんが思春期になれば異性に対して愛そうとするのですが、それよりも父母様をもっと愛したという条件を立てなければなりません。「孝子だ、孝女だ」、このようになってこそ神様と愛の関係を結べるのです。これが天理原則であり、創造原則です。

理想相対を考える前に、まず自分自らが父母の前に孝子にならなければならず、父母が孝子として公認できる愛の関係をもたなければなりません。そのためには、父母と一つにならなければなりません。孝行しようとすれば、兄弟同士でも一つにならなければなりません。家庭において誰もが、真の模範であると言うことのできる話が出てこなければならないのです。それが終わったあとに理想相対が始まるのです。

 

26 神様は、人を見るとき、心を見抜き、その次に過去を見て、現在を土台に未来を見ます。若者たち、年の幼い皆さんは、これからそのような面を重要視しなければなりません。顔を見て人を選ぶのではなく、その人の心がどうか、その人の過去と生活を中心にして未来はどうか、このような面を見て選ぶことができなければなりません。

顔は窓口と同じです。この顔を見れば、目、耳、鼻、口の四つしか見えません。顔は良くなくても、品行を端正にし、厚徳な心をもちなさいというのです。神様が世界をすべて回って人を探すとすれば、どのような人を探そうとするでしょうか。世界くらい大きな人です。しかし、仮にそのような人がいるとすれば、目も世界のように大きく、手も世界のように大きいので、どこに行っても歓迎する人は一人もいないでしょう。しかし、心が世界のように大きければ調和するのです。顔よりも、徳の高い心をもって生きなければなりません。そうだとすれば、皆さんは未来において顔の良い奥さんを迎えますか、心の良い奥さんを迎えますか。心の良い人を迎えなければなりません。

 

真の結婚は創造理想を完成すること

27 結婚は、創造理想を完成するために、すなわち創造目的を完成するためにするのです。創造目的は、アダムの目的である前に神様の目的です。ですから、アダムが喜ぶ前に神様が喜ばなければなりません。このように見るとき、結婚は神様のためにするのです。言い換えれば、神様の創造目的というみ旨のためにするのです。み旨とは創造理想を完成することです。

創造理想は、自分を中心として完成されるのではありません。すべての心情が主体的な神様と一体になり、その方が動けば「私」も動き、その方が静まれば「私」も静まることによって心情的一致点を形成し、内外が一つにならなければなりません。このように、神様のみ前に和合できる基準を立てなければ、創造目的を完成することはできません。皆さんが創造目的を完成したアダムになり、エバになろうとすれば、結婚をしなければならないのですが、この結婚は、神様のためにするのであり、神様のみ旨のためにするのです。

 

28 「私」が生まれたのは愛のためです。宇宙の根本は真の愛です。男性も女性も同じです。男性と女性がなぜ結婚するのですか。結婚するのは神様を占領するためです。先に横的に移動するのではありません。縦的な愛、垂直的な愛が先です。神様が直短距離で九〇度を立て、その垂直になった所に九〇度で合わされば、それで終わるのです。そのようになれば皆さんの体と心は、永遠に闘いません。常に和合するのです。

 

29 男性と女性は、愛のために結婚します。なぜ愛のために結婚しなければならないのでしょうか。神様に会うためです。それでは、男性と女性はどこに行って会わなければならないのでしょうか。垂直的な宇宙の中心、父子関係を通して育ってきたその縦的基準に行って、額を合わせなければなりません。女性が一歩早く来てもいけません。男性が一歩早く来てもいけません。一緒に来て、互いにつかんで引っ張れば回るのです。愛する人に会って踊りを踊るとき、そのまま立っていますか、回りますか。引き寄せれば回っていくのです。回れば水平線から上がります。速く運動すれば上がるのです。

 

30 堕落した世の中では、愛というものが危険なのです。エデンの園にはアダムとエバしかいませんでした。女性はエバだけでした。しかし、この堕落した世の中には女性がいくらでもいます。その女性たちが夜も昼もなく、男性を惑わして転ばせようと騒いでいるのです。ですから、男性は自分の立場を守っていくのがどれほど難しいでしょうか。女性も同じです。結婚したあとは、男性は他の女性と会ってはいけません。結婚したのちには、夫婦が必ずくっついて歩きなさいというのです。堕落したのは管理を誤ったからです。その妻が夫の管理を誤ったからであり、夫が妻の管理を誤ったからです。また自分だけの夫であり自分だけを絶対視するように教育できなかったからです。そのように懇切な愛で愛することができなかったというのです。

31 家庭に息子、娘がいなければ、夫婦だけでいれば、横的基準は立ちますが、縦的基準を立てることができません。ですから、結婚したすべての夫婦は息子、娘を願うのです。天理運行の法度の力が作用して、そのように願うのです。

お嫁に行けば、大変なのになぜ赤ん坊を生むことを願うのでしょうか。なぜ、それほど苦労してまで赤ん坊を生まなければならないのかというのです。自分の生命を犠牲にしてでも夫を愛さなければならず、自分の生命を犠牲にしてでも息子、娘を愛さなければならない、その理由が分からなかったのです。それは宇宙の中心である神様の愛に接するためであり、神様の愛に接することによって万事にすべて勝利し、万事が思うとおりになるので、その愛のためにそのようにするのだという事実を知らなければなりません。それは皆さんによってつくられたのでもなく、皆さんが願ったことでもないのですが、本来、創造なさった神様の創造原則がそのようなプログラムになっているのです。

Luke Higuchi