天聖経: 第110話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、
もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第四篇 真の人間
第四章 真の人間が行くべき生涯路程 14-15
第三節 男女の真の愛と真の結婚 8-19
8 自然は、すべて愛の展示場です。主人になることのできるアダムとエバが、中心から東西南北を眺めるとき、そこに見えるすべての存在が教材になるのですが、それは愛の教材です。植物もすべて相対的条件であり、動物も同じであり、昆虫も同じであり、すべてが相対になっているのです。それは、アダムとエバが理想的な愛の道を歩むように教えてあげるための博物館です。愛の教示をするための一つの自然博物館になっています。それは、アダムとエバのためです。ですから、自然を愛せない人は、人を愛することができません。人を愛せない人は家庭をもつことができないのです。
9 男性は女性のために生まれました。また女性は男性のために生まれました。ですから、男性の生殖器と女性の生殖器は自分のものではありません。神様は知恵深い方です。主人を入れ替えておいたのです。統一教会では、浮気することを絶対に許しません。
「右」と言うときは「左」を先有条件として語るのであり、「上」と言うときは「下」を先有条件として語るのです。「女性」と言うときは「男性」を先有条件とするのです。男性は男性のために生まれたのではありません。
凸が必要とするのは凹です。凸の主人は男性ではありません。それは、この上なく神聖なものです。ここから神様の生命、神様の愛が連結されます。永遠の愛が発掘されて継続する、愛の源泉地です。男性は、この源泉地を通らなければ、神様の愛に接近することができません。それが愛の源泉であり、生命の源泉であり、血統の源泉です。愛が動くとき生命が沸きたち、血が躍動します。父母の愛を一つに交流させて一〇〇パーセント、球形に混ぜたのです。
10 神様は、愛の至聖所にいようとされました。堕落していなければ、人間の生殖器が神様の至聖所です。その至聖所は、人が作ったものではありません。それでは、神様が作ったものの中で最も複雑で、最も刺激的で、最も神経が鋭敏なものとは何でしょうか。男性と女性が愛し合うことのできる接触部分を何と言いますか。稲光が避雷針に接触するときは、先端に接触します。人間のすべての神経の先端が、男性と女性の唯一異なる器官です。その一点が異なるがゆえに、女性であり、男性なのです。それが何かは、説明しなくてもみなよく知っているでしょう。それは貴いものです。堕落していなければ、神様が臨在し、神様の愛が宿る至聖所だったというのです。
11 本来、至聖所は、完成したアダムとエバを象徴します。二つの石板やマナとうずら、そして芽が出たアロンの杖は、アダムとエバを象徴します。聖書の秘密の話は、アダムとエバについての内容が多いのです。雲の柱と火の柱もアダムとエバであり、生命の木と善悪を知る木もアダムとエバを意味します。アダムとエバの秘密の愛を暗示的に、すべてそのように記録しておいたのですが、それが分からずにいるのです。ですから、アダムとエバが堕落せずに成熟して夫婦になったならば、万事がすべて終わるのです。そこから天国が始まります。神様が愛した基盤の上で天国が広がるのです。しかし、堕落することによって、その愛した基盤がないというのです。
12 なぜ男性が生まれたかということが問題なのですが、男性のためではなく、女性のために生まれたのです。男性にとって最も重要なのは女性です。女性も、自分のために生まれたのではありません。生存の起源が自分ではなく、男性なのです。女性が女性として生まれ、もっているその美貌は自分のものではありません。胸は女性のものですか。大きなお尻が女性のものですか。女性のためにそのように生まれたのでしょうか。男性のために生まれたのです。また、男性の肩が大きいのは、威張って力を振るい、暴力の魁首になれといってそのようになったのではなく、女性を保護するためなのです。それで女性はお尻が大きく、男性は肩が大きいのです。そのようになってこそバランスが取れるのです。
生まれたのは自分のためではありません。自分のために生まれたと主張するようになるとき、真の愛はすべて破錠してしまうのです。真の愛は神様から始まりました。人類のためにいらっしゃる神様です。神様の愛は、与えて、与えて、与えて忘れてしまうのです。それが真の愛です。
13 生命の根源地、愛の根源地、血統の根源地が皆さんの生殖器です。それをひっくり返して打ち込んだので、一番下品な言葉になったのです。それを誤って使わなければ、下品な言葉ではなく、王の言葉です。神聖な言葉です。人間が堕落していなければ、男性と女性の生殖器が愛の王宮です。それをいい加減に使用することはできません。そして、生命の王宮です。そこから生命が生まれます。また血統の王宮です。そこから自分の生命が血統を受け継いで生まれるのです。「私」の生命の根源地であり、「私」の血統の根源地であり、「私」の愛の根源地です。
14 私たちの器官のうち、最も貴いものとは何でしょうか。愛の根本もここから、生命の根本もここから、後代の人類のすべてのものも、ここから連結されます。構造的に見るとき最も貴く、すべての神経系と結びつけられているのが生殖器官です。ですから、真の愛を願う人は、生殖器官を守ることができなければなりません。生殖器官を犯せば、自分の先祖を侵犯し、神様を侵犯し、生命の根源を侵犯し、血統と愛、すべてのものを侵犯する罪になるのです。それは、人類を蹂躙することであり、歴史時代のすべての人間を蹂躙することであり、すべての理想的愛を破綻させることなのです。
15 男性と女性の血と肉は、どこで和動するのでしょうか。これは夫婦関係において行われます。男性と女性が、このように目だけ見つめることによって血が交わるのではありません。夫婦生活、夫婦関係で交わるのです。夫婦関係をする所が生命の源泉地です。男性と女性の生命の血が他の所で交わるのではありません。ただ一ヵ所しかなく、夫婦が愛する関係において交わるというのです。次に、血統が連結されるのもその場です。生命の結合、生命の癒着もそこであり、血統の起源もそこであり、愛の結着もそこで行われます。愛が一つになる、その点しかありません。
責任分担と理想相対
16 人が福を受ける道とは、どのような道でしょうか。正常な原理原則に従って、神様の最高傑作である人間を愛する道です。それでは、愛の順序があるのですが、どこからでしょうか。子女からではなく、父母から愛を受けるところから始まるのです。そして、一番麗しい時期、花がいっぱいに咲く青春時代がいつかというと、思春期からです。その時期が正に、十八歳から二十四歳までの七年間です。この七年間は一生に二度とない、愛の花が咲く時期です。一度しかない麗しいこの時期が、どれほど貴いかというのです。
芍薬の花は、そのつぼみが色の違う黄色の花房によって、簡単に散らされないようにしっかりと包まれています。男性も女性もこれと同じです。皆さんの赤い愛、黄色い花のようなその愛のつぼみをいつ、いっぱいに咲かせるのでしょうか。天地の調和の中で美しさが最もよく現れる時が、その時期です。人間として見ても、最高に咲く時です。神様の傑作となり、最も中心の結晶として輝く期間です。成長しながら最も麗しい時期、最も美しい時期が青春時代です。
17 愛は円形を描いていきます。だんだんと小さくなるのではなく、だんだんと大きくなっていかなければなりません。愛は、さらに大きくなっていかなければならないため、個人的愛よりも家庭的愛を追求します。そのためには、「私」の家庭だけではいけません。氏族が必要です。氏族が必要なので、螺旋形に拡大運動をしながら発展する作用をするのです。
統一教会では、「個人は家庭のために」と言いますが、国は世界のために、世界は天宙のために、天宙は神様のために、神様は愛のために生じました。ですから、この地のすべての存在は、愛に吸収されようとします。人も、夫と妻が二人で暮らすときは夫がよく愛したのですが、夫に夫婦の愛よりもっと強い愛があれば、夫はその愛に熱中するというのです。夫婦で暮らす人も、世界を中心としてすべてをかき抱ける愛の世界があることを知れば、家庭を捨てて旅立つのです。それは悪いことではありません。その大きな愛に従って歩んでいく人々が、さらに神側に近づくので、それを善と言うのです。
18 神様は、アダムとエバが完全に成熟することを願いました。これはいが栗と同じです。六月や七月くらいになれば、いが栗の大きさは、収穫する時の大きさと同じになります。しかし、このときにそれをむいてみれば、中身がないのです。栗の実の形はすべてあるのですが、食べられる実がまだできていないのです。それと同じです。まだ実ができていません。成熟してこそ実ができるので、神様は実ができるまで待たれたのです。
アダムとエバが成熟すれば、宇宙の中心になります。存在するすべてのものが、宇宙の中心の位置に立つようになるというのです。ですから、十七、十八歳以上に育つまで、神様は待たれたのです。神様は、アダムとエバを成熟した人間として造ったのではなく、自然の法度に従い、幼子として造りました。アダムとエバがそのように成長し、神様と一つになって愛したならば、今日の人類は悲惨なことにはならなかったでしょう。
19 神様の愛以上に貴いものがないので、神様の愛さえもてば宇宙は「私」のものです。神様のものであると同時に私のものです。女性がもっているその愛の器官は男性のものであり、男性がもっているその愛の器官は女性のものです。あなたの体が私の体であり、私の体があなたの体であるという言葉が、それで成立するのです。そのように入れ替わっているのです。
男性にあるからといって男性が主人ではなく、女性にあるからといって女性が主人ではありません。ですから、いい加減に使えば大変なことになるのです。それは絶対的です。そのため、統一教会では自己本位な恋愛をさせません。初めての情を夫にあげなければなりません。アダムとエバも同じです。それで初愛が貴いのです。初愛は神様が導きます。神様が初愛の橋に乗り、地獄と天国を連結するのです。このようになれば地獄はなくなります。