天聖経: 第109話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第四篇 真の人間

第四章 真の人間が行くべき生涯路程 14-15

第二節 自己主管完成の道 14-16

第三節 男女の真の愛と真の結婚 1-7

14 人間の心は、いつも父母を思います。父母の愛を思います。その心の流れの方向性は何でしょうか。心は、父母の愛、兄弟の愛、国を思う愛、世界を思う愛、そして天地を思う愛を連結しようとします。このように前後、左右、上下関係の愛を連結しようとするのです。

なぜそうしなければならないのでしょうか。体と心が一つになる場は、北に偏っているのではありません。また南にも偏っていません。「私」を中心として東西南北、中央の近くに立とうとするのです。中央の近くに立とうというのは、中央に本来の愛、縦的な宇宙の愛、神様の愛と人間が関係を結べる一つの道があるからです。創造主も人間が完成すれば、人間と愛することができる一つの中心的愛の道があるのです。神様が人間を分身としたのは、人間の姿を見るためではありません。

第三節 男女の真の愛と真の結婚

 

1 男性が生まれたのは愛のためです。男性の愛は、男性から来るのではありません。男性の愛は女性から来ます。女性の愛は男性から来ます。愛を中心として見てみるとき、男性は自分のために生まれるのではありません。男性が生まれて探し求めていく真の愛の道は、自分のために生きる場においては絶対に探し出せません。前進することができず固着してしまいます。神様が、御自身をすべて投入して宇宙創造をした道に従っていくべき立場なので、男性が生まれるのも、人のために生まれるのです。真の愛のために生まれたのに、自分のためだと考えれば、真の愛を探すことができないのです。ですから、男性が生まれたのは女性のためであるという結論が出ます。そして、女性は、真の愛を中心として男性のために生まれたのです。

 

男性と女性は互いに相対のために存在する

2 神様が愛をもって喜ぼうとすれば、この宇宙はどうなるべきでしょうか。神様だけが喜んではいけないので、この宇宙もすべてペア・システムで造ったのです。鉱物世界にもペアがあります。水晶の結晶もペアでくっついています。そのような相対的概念が連結され、拡大するのです。私たちの目には見えませんが、すべてそのような作用をします。

宇宙が愛の概念を標準として造られたので、すべてのものはその愛に和動して従うようになっています。ですから、すべてのものがその愛に和動しようとすれば、主体と対象の関係がなければなりません。一人では愛することができません。主体と対象の概念を中心として愛によって連結されるので、宇宙はペア・システムになっているのです。

 

3 男性と女性は、お互いのために生まれました。男性は女性なくして愛を探す道がありません。愛ゆえに男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。それが貴いのです。真の愛は、自分を主張する所にはありません。ために生きる所にあります。ですから、互いのために生まれたのです。神様は真の愛をもった方なので、ために生きようとします。そのために人間を造ったのです。神様のために人間を造ったのではありません。真の愛のために存在するのです。

 

4 男性は女性ゆえに生まれました。聞きたくないかもしれませんが、それが天理です。億千万年変わることのない真理です。これが分からなかったというのです。男性にとって最も貴く、一番のものが愛なので、男性には女性が絶対に必要なのです。

男性と女性が結婚するとき、何を見て結婚するのですか。生理的構造において異なる一点、それを見て結婚するのではないですか。女性同士でも結婚できるのに、なぜ男性としなければならないのですか。それは絶対的です。生理的構造が違います。男性の愛の貴い生命のひもを受け継ぐことができ、愛の伝達を通して宇宙と関係を結ぶ道が生じるのです。

男性が探し求める愛の道は、女性を通してやってきます。女性が探し求める愛の道は、男性を通してやってきます。ですから、その愛でなければ、理想の基盤、すべての価値の基準を探し出すことができません。この愛と一つになって進み出るときは、この宇宙が歓迎するのです。東西南北、四方の方向を克服することができ、主管することのできる能力がここにあります。愛は偉大な力をもっているのです。

 

5 春の季節になり、鳩が「クククッ!」と鳴くのは、愛の歌です。それは悪いものではありません。自然はすべて、人間に教える教材です。すべての鳥や動物はペアになっています。互いが愛を中心として和動するのです。これは天地の調和です。宇宙の極と極が愛を中心として和動し始めるのです。

渡り鳥も同じです。南にいた鳥が北に飛んでいき、北にいた鳥が南に飛んでいって、地域を行き来しながら愛するのです。永遠に回ります。人間は、神様が造った博物館の教材を通してこのような愛を学びます。人間と神様が良いといって愛するようになれば、天下のすべての万物は、そこに拍子を合わせて和動するのです。神様が愛し喜ばれれば、天使世界も喜び、このすべての被造物が喜んで拍手を送り、賛美を送るのです。

 

6 芸術は、情緒的な背後が深く介在していなければ価値がありません。千年前のものを何千年後に見ても、そのとき以上の感情を感じれば、名作だと言えるのです。一つの絵を見ても、そのような感動や刺激を感じるとき、傑作と言うのです。

神様の作品の中で、最高の傑作は人間です。そして、人間の中にある愛です。神様が願われた愛の主体の前に、対象的な愛の美を備えて立てば、神様が涙を浮かべるのです。思わず溶けて美しい迷路に引き込まれていくのが、愛の美しさです。

暖かな春になれば、私たちの目にはよく見えない小さな虫たちも、雌、雄が愛を交わします。それを見れば、本当に不思議です。雌がいれば雄がいて、互いに愛し方を知っているのです。それを誰が教えてあげたのか分かりませんが、愛し合って子を生むことができるのです。それはすべて、神様が人間に愛を教えるための愛の博物館なのです。

 

7 アダムとエバが互いに愛するとき、神様は喜ばれます。御自身が愛するからです。神様御自身が、御自分の体であるアダムと、その相対であるエバを通して衝突を起こすのです。極と極が分かれてから合わされば爆発しますが、そのような爆発的な衝動を感じるとき、神様も愛に酔ってひっくり返るのです。このように話すからといって、不敬なのではありません。愛には不敬というものがありません。神様が好む愛さえあれば、それでいいのです。

世の中で、女性にとって一番良いものが男性です。いくら優秀で、天下が羨ましがるほどの美しい女性だとしても、その女性に愛することのできる男性がいなければ、何も始まりません。家に入っても寂しく、すべてのことが煩わしくなります。絹の布団を広げておいたとしても、蹴飛ばしてしまうのです。しかし、男性さえいれば、ぼろぼろの薄い布団を敷いて寝るとしても、味があるというのです。

 

15 肉身が願う欲望と、心が願う欲望は反対です。この体は人のものを盗んで自分の腹を満たそうとします。動物的です。父母の口に入ったものも、自分の腹が減っていれば奪って食べるのです。そのようにする性質が十分にあります。サタン世界の子孫として生まれた以上、それはすべて平等に現れるようになっています。この体が問題です。

ですから、高次元の宗教をもった民族は発展するのです。なぜ発展するのでしょうか。心に体をプラスさせることができ、体を吸収して一つにすることができるからです。プラスとマイナスが一つになれば光を発します。新しい力、エネルギーが発生します。これが天地の道理です。磁石を見ればプラスもあり、マイナスもあります。自分の体と心が完全に一つになれば、完全な磁石のようになります。磁石のようになった男性の体と女性の体は、プラス的磁石のようになることもでき、マイナス的磁石のようになることもできます。そのため、男性と女性が自動的に一つになるのです。言葉で愛を表現するというのは、すべて二次的です。人に会えばみな、良く思えるようになっているのです。

 

16 プラスである心とマイナスである体が完全に一つになれば、プラスの心に一つになるその力は、本然の創造主の力の権限に同参することができます。全能の創造力があり、生命力があれば、神様の創造力と生命力が接することのできる可能性があるというのです。体と心が永遠に一つになる境地に入れば、全天下がすべて見えます。ここに天地がすべて共鳴するのです。完全な心を中心として、完全な体が共鳴して一体化する立場に入れば、すべて通じます。宇宙が動く音がするというのです。その音に比例して笑顔になり、喜びがはじけます。超然たる力が無限に連結される一つの境地があるのですが、その境地は創造的理想の力が到達する境地です。

Luke Higuchi